第3話 かぞく
髭を生やした男の生まれ変わりである赤ちゃんは、かごに薄いクッションが敷き詰められた新生児用のベッドで思い悩んでいた。
ここは何処なのか。ここがヴァルハラであれば、いつでも戦えるように死んだときの大人のままの姿のはずだ。だが、今は赤ちゃんの姿である。そう考えると、ここはヴァルハラではなく違う場所だろう。
しかし、ここの建物は考えられないほど立派で、外からは剣や盾がぶつかり合う金属音や何人もの人々が訓練をしているような音が聞こえてくる。建物は木造ではなく大理石で出来ており、荘厳な雰囲気を醸し出している。
赤ちゃんはこの部屋から出たことがないが、部屋は生まれ変わる前に住んでいた木造の家よりも広く、花の芳しい香りに包まれていた。
かごに詰められたクッションも今まで触ったことのない程の柔らかさと温かさがあった。
赤ちゃんは歩くことが出来ず、見れるものに限りがある。それでも、この建物はヴァルハラといっても過言ではないと思っていた。
様々なことを考えていた為、金髪の女性がかごのベッドを持ち上げるまで赤ちゃんは彼女が近付いてきたことに気が付かなかった。
「あー、うー」
びっくりして思わず赤ちゃんは声をあげてしまった。
なんとも情けない声をあげてしまったと赤ちゃんは恥ずかしく思いながら、金髪の女性を見つめる。
金髪の女性は申し訳なさそうな表情を浮かべ、かごのベッドを両手で優しく持ち上げ、赤ちゃんに話しかける。
「jts*^☆iljf/->cOp∑¬zkw▼\\<ndg#"vrQi∴#」
赤ちゃんは金髪の女性の優しい眼差しに見惚れながら、心の中で叫んだ。
(何を喋っているか全くわからん! 何語を話しているんだ、
本当に理解できん!)
話している言語が異なるため、赤ちゃんは情報収集が出来きないことに苛立ちを感じていた。
赤ちゃんは睨み付けるかのように金髪の女性をじーっと見つめる。
金髪の女性は見つめられたのが嬉しく、顔がほころぶ。
そのほころんだ顔を見ていると赤ちゃんは苛立ちも消え、金髪の女性の魅力的な笑顔に心惹かれていた。
金色でウェーブがかった美しい髪は胸下あたりまで伸びており、微かに甘い香りがする。
金髪の女性は色白で背が高く、豊満な胸なのに細身で引き締まった身体をしている。
サファイアのような蒼い輝きを放つ瞳と母性溢れる表情を見ると、赤ちゃんは心が落ち着いた。
おそらく金髪の女性が自分の母親だからなのだろうと考え、赤ちゃんは微笑み返す。
「jfg∑\nqz☆fzw^<jdjf:"sKd"'njkf#^jfngk」
金髪の女性は赤ちゃんが理解できない言葉で語りかけながら長い廊下を歩き、庭につながる扉を開いた。
「あー、あー」
青く澄みわたる美しい空が頭上に広がる。赤ちゃんは生まれ変わって初めて見る空に感嘆の声をもらした。
庭を見渡すと、庭木は丁寧に剪定されており、青々とした綺麗な芝生が広がっている。
踏み心地の良さそうな芝生の上に、剣を構えた上半身裸の男が立っている。
風が銀色の長い髪を揺らし、髪の間から長く尖った耳がはみ出ている。彫刻のように整った顔立ちをしており、顔だけでは性別が分からないほど上半身裸の男は綺麗である。
身体は細身であるが引き締められていて、この世のものとは思えない程の美しさと力強さがあった。
赤ちゃんは眉間にシワを寄せ、耳が長く尖った男を睨んでいた。実のところ、赤ちゃんは耳が長く尖った男があまり好きではなかった。
何故なら、耳が長く尖った男が毎日赤ちゃんに頬や口にキスをしたり、赤ちゃんの前で母親である金髪の女性といちゃついているからだ。
好きこのんで男とキスなんかしたくないし、夫婦のいちゃついてる様子を見ていると羨ましいという感情が沸き上がり、赤ちゃんは父親である耳が長く尖った男を少し嫌っていた。
赤ちゃんが睨み付ける中、耳が長く尖った男は剣を持ち上げ、振り下ろした。
「あー」
赤ちゃんは驚愕のあまり目を見開き、口をぽかんと開けている。
耳が長く尖った男の素振りは目を見張るほど洗練されており、武を極めた人の到達点といえよう。
赤ちゃんは教えを乞いたいと切に願い、何度も声を上げた。
「あー、あーあー、うー、ううー、あー、あー」
想いは伝わっていないが、耳が長く尖った男は赤ちゃんの存在に気付いて素振りを止めた。
先ほどまでの凛とした表情が崩れ、顔一面に笑みを浮かべて赤ちゃんに理解できない言葉で話しかけている。
耳が長く尖った男は話ながら片手で剣を天に向けた。
急に周りの雰囲気が変わった。空気が震え、肌がひりつくような緊張感が生まれる。
耳が長く尖った男の周りに淡く光輝く小さい球体が無数に現れる。その球体は激しい火花と音を立てている。
金髪の女性が取り乱し、焦って必死に何か言っている。
金髪の女性の動揺した姿に目もくれず、赤ちゃんは耳が長く尖った男を見続ける。
銀色の髪が舞い上がり、頭上高く構えている剣が雷を纏い光輝く。
耳が長く尖った男は赤ちゃんのいる場所と真逆の方に剣を降り下げた。
その瞬間、金髪の女性が赤ちゃんを守るように覆い被さった。金髪の女性の背後から激しい爆発音が鳴り響き、凄まじい振動が伝わってきた。
あたり一面に土ぼこりが舞い上がっている。
金髪の女性はかごの中を覗き赤ちゃんが無事であること確認すると、ひと安心した表情を浮かべた。
金髪の女性が何か呟くと、周りに淡い薄緑色の球体が現れる。右手を胸に持っていき、右側に大きく手をふると、突然激しい風が吹き荒れた。
土ぼこりが風に飛ばされ視界が広がる。
赤ちゃんの目に映った庭の姿は悲惨な状況だった。地面がえぐれ、爆風の影響で折れた木や枝や葉が散らばっている。
半壊した庭に剣を携えた耳が長く尖った男の姿が見えた。
どうだ凄いだろうといわんばかりの得意そうな顔をしている。
それを見た金髪の女性は青筋を立てて怒鳴り声を上げながら、赤ちゃんが入ったかごを持ちながら近付く。
赤ちゃんは一言も発してなかった。いや、声を出すことが出来なかった。
怒る金髪の女性と謝ってる耳が長く尖った男の姿は赤ちゃんの目に入ってこなかった。
赤ちゃんは耳が長く尖った男が雷の剣を降り下げた姿を何度も何度も頭の中で繰り返し見ていた。
それはまるで北欧神話に出てくる軍神トールが雷を放つミョルニルを振り回している姿にみえた。
耳が長く尖った男は軍神トールで、やはりここはヴァルハラだったんだ。トールが父親ということは自分はエインヘリャルではなく神になったのかと色々考え、赤ちゃんは興奮していた。恍惚感に包まれて、絶頂すら感じていた。
「あー」
突如、赤ちゃんは大きめの声を漏らした。
激怒している金髪の女性と平謝りしている耳が長く尖った男は大きな声に驚き赤ちゃんを見た。
金髪の女性は赤ちゃんを持ち上げると、腰に巻かれた布が濡れていることに気付いた。
金髪の女性に見られ、赤ちゃんは恥ずかしさのあまり目線を外した。
何故なら、歓喜のあまりうれしょん、つまりおもらしをしてしまったからだ。
赤ちゃんはおしっこで濡れてる布を脱がされて、替えの布を金髪の女性が用意している間、耳が長く尖った男の両腕に抱かれていた。二の腕で赤ちゃんの首を支えていたが、抱き方が悪く少し首が下に向けられて抱っこされていた。
「おぎゃあああああああああぁぁ」
赤ちゃんは泣き叫んだ。今までで一番大きな声で泣き続けた。その声には絶望の音色が含まれていた。
赤ちゃんは見てしまったのだ。首を下に傾けられたとき、自分の股に男の象徴がなかったことを……。
そう、髭を生やした男は女の子に生まれ変わったのだ。
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