第2話 繭

何度見直しても新規着信メールなし、もちろん音声着信もなし。

折りたたみ式の携帯電話を、開いたり閉じたり繰り返してみる。「そうだ、電波が悪いということがあるかも」携帯片手に部屋の中をウロウロし、「電波のよさそうな」場所の床にぺたりと座り込む。「メールの行き違いということがあるかも」と、主電源のスイッチをいったん切り、1分後には再び入れてみる。

こんなことを、もう2時間近く繰り返しては深いため息をついている。


ねぇ、わたしの何がいけなかったの?

今年の東山とうやまさんのお誕生日は、一緒にごはん食べに行ったじゃない。仕事が忙しいとかで、どうにか作ってもらった時間は、東山さんの誕生日当日ではなく翌日だったけれど。その上待ち合わせの時間より15分以上遅れてきて、「悪いね、ちょっと立て込んでいてね。」とだけ言い、さっさと先に立って東山さんの選んだお店に向かって早足で歩いていく。東山さんは背が高いし、わたしも背が高い方だから午後8時過ぎの新宿の雑踏の中でも見失うことはなかったけれど、これが洋子みたいに背が小さい女のこだったら、確実にその歩幅についていけないし、下手したら見失うかも知れない。

それでもよかった。一週間に2~3回一緒にごはんを食べられて、あるいはもっと遅い時間にしか待ち合わせ出来なさそうなときは、軽くお酒を飲みに行って地元の駅まで一緒に帰る。それだけでよかったし、十分“しあわせ”だと思っていた。

そんな小さな“しあわせ”が、ある日突然手のひらからさらさらと乾いた砂がこぼれてゆくような瞬間ときが来るなんて、これっぽっちも考えたことはなかった。

泣きたい気持ちが溢れると同時に目から涙も…、一滴も出なかった。ただの一滴も!

「ここで大声を上げて泣けたら、どんなにかすっきりするだろう」と思ってみても、涙は出てきてはくれない。

火の気のない部屋の床に、ずっと座ったままで2時間以上経った。今まで全く感じなかった寒さを突然感じ、手近にあった毛布を引き寄せてぐるぐるにくるまる。

「毛布に包まっているわたし、繭みたいじゃない?」

蚕みたいに繭の中でさなぎとして休眠して、時が来たら羽化するんだ。蚕は白い蛾になるけれど、わたしは世界一美しい蝶モルフォに羽化するの。同じモルフォチョウ属でも、カナリナウスモルフォなんかじゃ駄目。羽が白くて太陽光に透けた感じがきれいだから、モルフォチョウ属だから、ただそれだけでしかないじゃない。羽に黒い模様が入っていたり、体まで真っ白なわけじゃない。それにひきかえ、蚕は羽根が退化してしまって羽化しても空を飛び回ることは出来ないけれど、羽も体も、何もかも真っ白。観賞用としては、全然珍重されないけれど。

せっかくなら、エガモルフォみたいに美しい金属光沢がある真っ青な美しい蝶か、アナクシビアモルフォみたいな希少価値のあるモルフォがいいな。目の覚めるような美しい青い蝶。


ねぇ、わたしの何がいけなかったの? 何がいけないの?

直さなくちゃいけないところは、直すから。そうしたら、東山さんの望むようなおんなになれるから。

毛布に包まったまま、もう一度携帯電話の電源を切って、再び電源を入れる。

新着メッセージは相変わらずなし。聞き飽きるくらい何度も何度も聞いた留守番電話センターのお姉さんの声も、「新しくお預かりしているメッセージはありません」としか答えてくれない。


そうだ、もう寝よう。

明日あしたになれば、何か状況は変わっているかも知れない。

毛布に包まったまま冷たい床にころがり、そのまま真っ暗な闇の中に引き込まれてゆく快感に似た感覚に身を任せる。

「おやすみなさい、東山さん」

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わたしを愛した偶然と必然 未央 @ohmiky-masahi

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