第86話 身近な寝顔

 まだ水菜や史織に学校を休むことを連絡していなかったのが幸いだった、と言ってもいいのかは置いておいて、その選択が俺にとってプラスに転んだのは紛う事なき事実である。


 俺は今日学校を休んだ理由を風邪を引いたということにしようと考えていた。流石に結衣と二人で学校をサボります、なんて正直には口が滑っても言えないからな。

 とはいえ、仮病で学校を休んだことは俺と同じ家に住んでいる史織にはすぐバレるだろうし、どうしようかと頭を悩ませていたのだが、どうやら結衣は本当に体調が悪かったようで今俺の部屋のベッドで眠っている。


 体調が悪くて辛い思いをしている結衣には申し訳ないが、水菜と史織には「体調が悪くて通学路でしゃがみ込んでいた結衣をとりあえず家に運んだ」という言い訳のメッセージを送信しておいた。 



 この言い訳なら結衣が家にいても自然だし、変に勘ぐられる事はないだろう。


 俺に寄りかかってきた時は顔が赤く息もかなりの荒さで辛そうにしていたが、ベッドに寝かしてからもう数時間が経過し時刻はお昼過ぎ。

 今は顔の赤みも引いてきて呼吸も安定しているし、眠る事で大分病状が良くなったのだろう。 


 結衣が急に超ド級の告白をしてきたのは体調が悪くて頭が混乱していたからだったのか……。

 となると、目を覚ましたら俺にした発言を忘れてしまっている可能性もある。  


 それなら俺は先程聞いた事実を最初は知らないフリをして結衣に話しかけるのが最善だ。


 結衣が学校に来るのが遅かった事にも違和感は感じていたが、そもそも優等生の結衣が学校をサボること自体が異常だったのだ。

 風邪をひいたという異常がなければ俺の部屋にやってきた勢いとはいえ、普通であれば好きな人がいるなどと俺に明かす事はなかっただろう。


 それにしても、俺はなぜ結衣に好きな人がいると聞いた時、それを素直に喜ぶことができなかったのだろうか。俺は水菜と付き合っていて幸せで、結衣が新しく好きになった人と幸せならそれが一番のハッピーエンドではないのか?

 まさかまだ結衣に対する気持ちが消え去っていないのだろうか。そんなことは考えたくもない。


 現実から逃げるために俺は一度結衣の表情を確認する。

 病状が落ち着いてきたからか、結衣はあまりにも愛らしい寝顔で寝ており、俺は思わず眠っている結衣の頭を撫でた。


「……結衣には辛い思いさせてばっかりだったよな」


 体調を崩して俺のベッドで眠っている結衣を身近に感じたのか、思わずそんな言葉を言いながら結衣を労うようにしばらく頭を撫で続けた。


 その時、家の鍵が開く音が俺の耳に入ってきた。


 その後で急いで家に入り込み、階段を駆け上がる大きな足音が聞こえる。

 この足音ではせっかくゆっくり眠っている結衣が起きてしまうと思い、俺は自分の部屋を出て階段を登ってきた足音の主を静止する。


「おまえら、結衣が寝てるから。静かにしてやってくれ」


 俺の言葉で足音の主であるいつものメンバーはリビングに戻った。


 階段を駆け上がってくるみんなを小さな声で静止するのに必至になっていたが、そんな中でもなぜか俺はみんなの表情をくっきりと記憶している。

 皆が結衣を心配するような表情を浮かべている中で、もちろん水菜も不安そうな表情を浮かべているのだが、水菜が感じている不安は皆が考えている不安とは別物なのではないかと焦りを感じるのだった。

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