第85話 荒い息

 朝通学路で衝突してしまった時から何かに悩んでいるような雰囲気を醸し出していた結衣は俺に話があると言った。

 俺に話があるということは、結衣が抱えている悩みは俺に関する以外考えられないだろう。


「私ね、好きな人がいるの」


  ……ん? 今なんて言った?


 好きな人がいるって言ったか? そうか、結衣にもついに好きな人が出来たのか。

 


「そうなのか……ってなんて⁉︎」


 気持ちを落ち着けて結衣の発言を理解しようとしたつもりだったが俺は結衣の発言を全く理解できていなかった。

 好きな人がいるって言ったよな? 好きな人ができたって事は俺と付き合っていた時のことは完全に忘れて、新しい恋に進んだと言うことになる。


 ほらみろ、神の言うことなんてアテナならないじゃないか。新しく好きな人ができたと言っている結衣と俺が浮気なんてできないだろ。

 まぁ結衣以外の女子と浮気するという可能性もゼロではないだろうが、その可能性はゼロに等しいだろう。


「好きな人ができたの」


「そ、そうか。驚きの発言すぎてしっかり聞き取れかったわ」


「それでね、そのことについて相談ししたいんだけど……」


 なるほど、結衣が何かいつもと様子が違って悩んでいるように見えたのはその好きな人とやらのことで悩んでいたからか。


 結衣が俺のことを完全に忘れて、別の誰かのことを好きになるのは喜ばしいことだ。

 結衣と一悶着あったとはいえ、俺だけが水菜と見せつけるようにみんなの前でイチャイチャしているのでは申し訳なさもある。


 結衣に好きな人ができたのなら俺は喜ばなければならない。そう心で分かっているのに俺の心はなぜか晴れてくれなかった。


「なんでも相談してくれ。最善の回答はできないかもしれないけどな」


 心が張らないとはいえ、結衣の相談に乗らないわけにはいかないので俺は渋々結衣の相談に乗ることにした。


「話聞いてくれるだけでも嬉しいから。あのね……。さっき私が言ってた好きな人なんだけど、彼女がいるんだ……」


「彼女⁉︎」


 好きな人に彼女がいる⁉︎ まさか結衣がそんな人を好きになっているなんて……。

 俺の時は同一人物を違う人だと思って好きになったり、かと思えば次に好きになった人には彼女がいるとは結衣も付いてないな……。


 俺は思わず苦虫を噛み潰したような表情を見せそうになるが、悩んでいる結衣にそんな表情を見せる訳には行かないと必死に口元を緩める。


「やっぱりおかしいよね……。こんな恋、するべきじゃないよね……」


 結衣からの問いかけに安易に答える訳にはいかないが、そう考えると結衣に返す言葉は中々出てこない。


 しかし、返答をせず黙り込む訳にも行かないので、俺は俺なりの返答をすることにした。


「俺が言うのも変な話だけどさ、今でこそ結衣とは別れちまってるけど、結衣と付き合ってた事は後悔してないし、むしろ良かったって思ってるんだよ」


「……どうして?」


「あの時間がなかったら今の俺たちの関係って絶対生まれてないだろ? それなら今は辛かったり違ってることをしてたとしても、後々見返したらそれも必要なことだったって思えると思う。だから、結衣はその人のこと、好きなままでいいんじゃねぇかな」


「……やっぱりすごいね。史桜くんは」


「べ、別になにも凄くないけど……って結衣⁉︎ ちょ、ちょっと⁉︎」


  俺が偉そうに結衣にアドバイスをした後で、結衣は俺に抱きついてきた。なぜ結衣が俺に抱きついてきたのかは知らないが、流石にこの状況はまずい‼︎


 こんなの水菜に見られたら浮気現場じゃねぇか‼︎


「結衣さん⁉︎ ちょっと⁉︎ は、離れてほしいんですが‼︎ ……って結衣? もしかして……寝てる?」


結衣の顔を見ると、結衣は目を瞑り、若干頬を赤らめて粗い息をしながら眠っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る