第23話 バイトを飛び出して

 ティモの更衣室で服を着替える。普段はティモの制服に着替えると、バイト頑張るぞ‼︎ という気持ちになるのだが、今日の私は落ち込んでいた。こんな気持ちのままでは今日一緒に働く予定の店長や御影先輩、お客さんにも迷惑をかけてしまうかもしれない。


 私が落ち込んでいるのは先輩が仁泉先輩を振れなかったからだ。


 正直先輩が仁泉先輩を振れないのは予想していたので、先輩から仁泉先輩を振れなかったと聞いたときは意外と落ち着いていた。

 しかし、今になって悲しみの波が押し寄せてきている。


 チキンでヘタレな先輩でも私に宣言をしてくれたからには仁泉先輩を振ってくれるのではないだろうか、そして私のことを好きになってくれるのではないかと淡い期待を抱いていた。分かっていた事ではあるがその期待は儚く散ったのである。

 私に振る宣言をしたにもかかわらず仁泉先輩を振れなかったという事は、それだけ仁泉先輩に対する思いが大きいという事にもなる。


 先輩が私の事を水菜と名前で呼んでくれる約束を取り付けた分を差し引いても、私の心は全く満たされなかった。


 私、自分で思ってる以上に先輩の事好きなんだなぁ。


「……はあ」


 思わずこぼれるため息。ため息は体に良いという話も聞くが、運が逃げていくような気がするので私的に極力ため息はしたくない。


「あれ、えむポンがため息つくなんて珍しいね」


 私が更衣室を出ると休憩室に座っていた戸崎とざき店長が声をかけてきた。えむポンとは私の名前のイニシャルがMMであることから店長が勝手に付けて店長だけが呼んでいる私のあだ名である。


「前からそのポンってのやめて下さいって言ってるじゃないですか」


「良いじゃん。可愛くない?」


 まだエムと呼ばれたり、エムちゃんと呼ばれるのであれば問題はない。いや、エムちゃんって呼ばれるのは色々と誤解を招きそうなのでやめた方がいいか。まあ今のところは店長が勝手に呼んでいるだけなので特に支障はない。


「可愛くないです恥ずかしいだけなのでやめて下さい」


「それで、なんかあったの?」


「いや、特に何も」


「ああ、エッスーの事ね」


「ち、違いますけど⁉︎」


 エッスーとは先輩のイニシャルがSSであることから店長が勝手に付けて勝手に呼んでいる先輩のあだ名である。


 なんとなくそんな気はしていたが、店長には私の気持ちがバレているのか……。


「バレバレだけど」


「そ、そうですか……」


「エッスーの話はマッスーから大体聞いたけど。かなりややこしくなってんね。まだ仁泉って子と別人として付き合ってんの?」


 ややこしいのはその呼び方も同じである。マッスーとは御影先輩に店長が勝手に付けて勝手に呼んでいるあだ名である。

 ここに来て御影先輩のイニシャルがSMと同じローマ字が続かなかったが、店長はSとMを逆にしてマッスーというあだ名で御影先輩を呼んでいる。エッスーとマッスーであだ名が似てしまうというプチ奇跡が起きているがそこは気にしないでおこう。


「そうなんですよね。先輩、この前の土曜日にその仁泉先輩の事振るって言ってたんですけど直前になって怖気付いて振れなかったんですよ」


「だいぶ拗れてんねぇ。まあエッスーらしいっちゃエッスーらしいけど」


 店長は三十代前半で子持ちの父親だ。私も詳しい話は聞いた事が無ないが、店長は奥さんと離婚しており休日しかお子さんに会えていないらしい。

 そんな恋愛経験、いや、人生経験が豊富な店長ですらこの状況を打開するのは容易ではないだろう。


「あれ、二人して珍しく難しい顔してますね」


 休憩室に入って来たのは今日同じシフトの御影先輩だ。御影先輩は私をイジッてくる事が多いので絡みは面倒くさいが、たまには頼りになる先輩だ。


「えむポンがエッスーの事で悩んでんの。マッスーも話聞いてあげてよ」


「ああ、史桜まだ仁泉先輩と別れてないらしいな。まあ仁泉先輩美人だしなあ」


「ちょっとどっちの味方なんですか」


「もちろん真野だけどさ。仁泉に加担したくなる事情もあるし……」


「え、なんですか?」


「いや、なんでもない。そう言えば今日榊と仁泉が一緒に帰ってるところ見たぞ」


 ……ん? 先輩と仁泉先輩が一緒に帰るところを見た?


 それはあれか、坂井としてどこかで落ち合ったという事だろうか。……そうだ、そうに決まってる。まさか先輩が榊として仁泉先輩と会っている訳がない。


 そう思いながらも私は確認の意味を込めて御影先輩に質問した。


「先輩、バイトモードでした?」


「え、いや、普通に学校モードだったけど」


 先輩が榊として仁泉先輩と会っている。その事実は私の心に更なる闇を落とす。なんで先輩が榊として仁泉先輩と二人で……。


「普通に一緒に帰ってるだけでした?」


「俺が最後に見たのは駅前のカフェに二人で入ってくとこだな」


 先輩が仁泉先輩と二人でカフェに入って行ったとなると、下校中にばったり遭遇してしまい仕方がなく一緒に帰ることになったとは考えづらい。


 何がなんだか分からないが、そんな話を聞いてしまっては大人しくバイトをしてられる訳もない。


 いてもたってもいられない私は店長の方を見た。


「行ってきなよ。今日はお客さんも少ないだろうし、僕とマッスーでなんとかする」


「--ありがとうございます‼︎」


 私は急いで学校の制服に着替え直し、ティモを後にした。

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