第21話 許し方

 口を滑らせて真野の前で仁泉の事を結衣と名前で呼んでしまった瞬間、真野は眉間に皺を寄せて俺を睨みつけた。この最悪な状況を打開する言い訳はないだろうか。


「いや、えと、昔の名残が……」


「仁泉先輩に何か言われたんですか」


 咄嗟に嘘をついてしまったが、真野にはそれを嘘だと一瞬で見破られてしまう。声のトーンは低いし語尾にハテナマークが付いてないのが怖い。

 嘘をついてさらに真野を怒らせてしまっただろうか。焦って口から出まかせがスラスラと出る自分に嫌気がさす。俺も学ばないよなぁ。こんな状況で嘘なんかついてもどうしようもないし、今までだって俺の嘘を真野には見破られてきたじゃないか。


「……そうだよ。仁泉から、もう名前で呼んでくれないんだ、って言われたから名前呼びに戻す事にした」


「へぇ。榊先輩を振って別の男と付き合ったくせによくそんな事が言えますね。いや同じ男なんですけど」


「それは流石に俺も思ったよ。よく俺のこと振っておいて俺に話しかけれるなって」


 あり得ない話だが、俺が今とは逆の立場に居たとして、俺から仁泉を振ったのであれば仁泉に気軽に話しかける事など到底出来ないだろう。となれば、俺が坂井として仁泉を振ってしまえば仁泉との関係は完璧に途切れてしまう事になる。


「本当ですよ、夜道で後ろから殴りかかってやりたいくらいイライラしたます」


「それな、俺も流石にそれくらいの憎悪が……ってえ、冗談だよねなんか顔が本気なんですけど夜道に後ろからは事件性あるからやめてね?」


 冗談を言っているはずの真野の顔が笑っていない。表情をピクリとも変えず真顔でそう言うので、本当に夜道で後ろから殴りかかってしまうのではないかと不安になふ。

 いや、そりゃ怒ってくれるのは嬉しいけど俺の事なんだし、そんなに張り詰めなくてもいいんじゃね? 真野には関係のない事なのだから、仁泉に殴りかかって問題になり謹慎とか退学とかだけはやめていただきたい。


「冗談に決まってるじゃないですか。流石の私でも事件は起こしません」


「冗談で言ってるように見えなくて怖いわ」


「今のところは冗談ですよ」


「今のところは……?」


 今のところはって事は今後仁泉に殴りかかる可能性があるって事か? 相変わらず真顔の真野の表情に気圧されてしまい恐怖すら感じる。


「これ以上仁泉先輩が先輩の事をたぶらかす様な態度を見せたら殴りかかるもですね」


「いや、そりゃ無いだろ。仁泉は坂井が好きなんだから」


「だからですよ。坂井の方の先輩と付き合ってるのに、榊の方の先輩をたぶらかしてたら流石にやばい女でしょ?」


「まぁ確かに……」


「私からしてみれば仁泉先輩はすでにヤバい女なんですけどね。まぁとにかく、先輩は私の事、水菜って呼んでください。それで今回は許しておきます」


「ヤバい女ってそれは流石に失礼だろ……--は?」


 ん? 仁泉の事をヤバい女だと言った部分に気を取られて最初は気が付かなかったが、俺が真野を水菜って名前で呼べば許すって言ったか? 真野の発言の意味が分からない。なんで俺が真野を名前で呼べば許してくれるのだろうか。


「は? なんで俺が真野の事名前で呼ばないといけないんだよ」


「なんでもです」


「いや、それじゃ理由になってないだろ」


「いいですよ別に。私の事真野って呼び続けても。まぁそれなら私は先輩を許さないですけど」


「いや、訳分からんて。……まぁそれで結衣って呼んでるのを許してくれるなら呼ぶけどさ」


「先輩の物分かりがいいところ、好きですよ」


 こら、好きとか簡単に言わないの。そういう意味じゃないって分かっててもドキっとするでしょうが。


 真野の機嫌が元に戻ってくれたのはよかったが、結局俺は訳がわからないまま渋々真野の事を下の名前で水菜と呼ぶ事になった。

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