第8話 決死の席替え

 この状況を読み解くにはかなりの時間を費やしそうだが、教室の端で人間観察に明け暮れていた俺には分かる。仁泉の表情から察するにこれは本気の告白だ。嘘偽りなく俺の事が好きなのだと思う。


 いや、それは違うか。仁泉が好きなのは俺だけど俺じゃないんだよなぁ……。


 俺は前日仁泉に振られたばかり。今仁泉が告白をしたのは榊にではなく、坂井にだ。


 仁泉は奇しくも、榊とは別人に見えて同一人物の坂井に告白をしてしまったのだ。


 これ、どうすっかなぁ。今ここで、「俺実は榊なんだ‼︎」と言って、「え、榊くんだったの⁉︎ じゃあ付き合いましょう‼︎」はい元鞘、とうまく行くはずも無い。仮に俺が正体を明かしたとしたら仁泉は赤面必死だろう。


「えっと……。俺なんかでいいの?」

「坂井さんがいいんです」


 おい俺、何が「俺なんかでいいの?」だよ。このままだと本当に別人として付き合っちゃうよ? その後の状況よく考えてみろって。本当にカオスだから。絶対付き合ったらダメなやつだから。


 とはいえ、ここで俺が仁泉の告白を断れば仁泉は他の男を好きになり、その男と付き合う事になる訳だ。俺が別人として仁泉と付き合えば俺以外の男と付き合うなんて状況にはならないわけで……。

 でも絶対ダメだから‼︎ 仁泉には他の男と付き合って幸せになる人生が待ってるんだから‼︎ 俺がその人生を壊す訳にはいかないんだから‼︎


「じゃあ……お願いします」


 本当馬鹿。後先考えず行動するとか俺が一番嫌いなやつなんだけど。人間とはなんて欲深い生き物なのだろうか。目の前にニンジンをぶら下げられたら走らずにはいられない。人間というか欲深いのは俺か。俺はいとも容易く自分に負けた。


「本当⁉︎」


 あー、なんか榊に向けられてた笑顔よりも可愛さが何倍も増してる気がするわ。とりあえずそこはスルーしておこう。


「とりあえず連絡先だけ……。あ、ごめん。今スマホ持ってないからID書くね」

「ありがとうございます」


 危ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎ 普通に榊の方でライン教えるところだった‼︎


 いや、気付いてよかった本当ナイスよ俺。


 俺はゲーム用にスマホを二台持ちしており、ゲーム用のスマホでもラインをしていたためそっちのIDを教えた。教室の隅で一人でゲームをプレイするためだけの寂しいスマホだったが、こんな時ばかりはずっとゲームをしていた自分に感謝したい。

そして俺はテーブルにあった紙ナプキンにボールペンでIDを記入した。


「また仕事終わったら連絡入れるから。ゆっくりしていってね」


 そう言って俺は厨房へと戻っていった。


「先輩、どうでした?」


「うん、付き合った」


「そうですかそうですか。それはよかった……え⁉︎」


 そういう反応になるよね。俺もそう思うもん。


「どういうことですか⁉︎」


「いや、なんか告白されてさ。俺が榊だって気が付いてないみたいなんだけど、オッケーしちゃった⭐︎」


「オッケーしちゃった⭐︎ じゃないですよ⁉︎ そりゃ学校とバイト先でこれだけ見た目が違えば気付かれないでしょうね……。どうすんですかこれから」


「逆にどうしたらいいと思う?」


「そんな状況聞いた事もないですよ。分かる訳ないじゃないですか……」


 本当どうしよ、こりゃ困った。こんな状況、俺じゃなくともどう収集を付けるのが最善策かなんて分かる訳が無い。


「これからどうすっかなぁ」


「というか仁泉先輩も仁泉先輩ですよ。この前榊先輩の事を振っておいてすぐ別の男、いや、同一人物ですけど………。いくらなんでも軽すぎです。一言文句言ってきてやりますよ‼︎」


「ま、待てって‼︎ 仁泉からの告白をOKした俺も悪いし……。怒ってくれるのは嬉しいけど、とりあえずこの状況をどうしたらいいか、一緒に考えてくれ」


 仁泉は嬉しそうな顔しているが、対照的に真野は怒り心頭だ。訳が分からなくなってきた俺は考えるのをやめた。




 ◇◆




 俺が坂井として仁泉と付き合った翌日も仁泉は俺の横の席に座っていた。そりゃ席替えもしていないのだから横にいるのは当たり前だ。


 仁泉と別れた後も俺は癖の様に目線だけを仁泉の方に向けてしまうのだが、一つだけいつもと違う部分がある。人間観察をしていたから、いや、仁泉の事が好きだった俺だからこそ分かる。


 仁泉の口角がいつもより上がっている。


 それはきっと、ティモの坂井と付き合うことが出来たからなのだろう。坂井は俺だというのに、素直に喜ぶことは出来なかった。


 中途半端でどうしようもないこの状況を打開するべく、俺はあることを実行しなければならない。


 朝イチで教室に入ってきた担任の堤先生声をかけた。


「先生、僕目が悪くて、なんとか我慢してたんですけどやっぱり一番前の席にしてくれませんか?」


「おーそうか。それなら一番前の席の奴、榊と代わってやれ」


 そう、俺は学校で仁泉から離れる事にしたのだ。変に口を滑らせて俺が坂井である事に気が付かれる訳にはいかない。それに、俺が隣の席からいなくなった方が仁泉としても気が楽だろう。


 机を引きづりながら前の席へと移動していく俺の姿を仁泉はどんな表情で、どんな感情で見ているのだろうか。


 あわよくば、仁泉が俺と隣の席ではなくなる事に寂しさを覚え、悲しい目線を送ってくれてはいないだろうかと、ただそう考えるのだった。

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