38 真実
「大丈夫?」
「あ!はい!ごめんなさい、大丈夫です」
花香は驚いた顔をしてから、へらりと笑い、目を擦ろうとするものだから「目が腫れちゃうよ」と小春がそれを止めた。
ポケットからティッシュを取り出して優しくぽんぽんと拭いてあげる。
「……お姉ちゃん、私のこと、嫌じゃないの?」
されるがままに花香は大人しくしていた。ぽつり、と弱々しい声に小春の手が止まる。花香の目の色は、明るい紫色だった。
「これ以上騒げば、騎士団を呼ぶぞ。さっさと行け。お前らも散れ」
紅弾が掠れた声で、精一杯と思われる声量を出し、男と傍観者たちにそう告げた。ぼんやりとしていたはずの紅弾の目は鋭く、表情は険しい。
「こんなホテル、こっちから願い下げだ!卑しい夜国め!」
「ご、ごめんなさい!」
びくりと花香は顔を強張らせ、また男に謝った。男はそんな彼女を睨んで舌打ちをすると、大股で去っていく。周りの人達も小さな声で何かを話しながら立ち去っていった。
「……しんど」
紅弾は深い溜め息を吐き出すと、げんなりとした顔をしてその場に座り込んでしまった。意外とこの人、話すんだな。
「あ、あの、紅弾様、いつも助けてくれてありがとうございます」
「……ん」
相当疲れているのか、目を瞑ったまま紅弾は微かに頷いた。それから花香は小春にも「お姉ちゃん、ありがとうございます」と頭を下げた。
「ううん、私は何も!でも、さっきの人、夜国がどうのって言ってたけど……。」
「あっ、それは、私の先祖に夜国の人がいて、だいぶ血は薄まっているんですけど。だから私の目は赤と青が混ざった紫なんです。私も日華国民なんだけど、この国の人は夜国をよく思っていないから、ああいうことが多くて。
これ、お兄ちゃんが誕生日にくれたものなの。返してもらえて、本当に良かった」
花香は弱々しく笑った。子どもがそんな顔をするなんて、と心が痛くなる。
「……夜国って、どうしてそんなにも嫌われているの?」
来駕が深くフードを被っていた理由。小春のフードをすごく気にしていた理由。あの人のわかりにくい優しさが、今少しだけ、わかった気がした。
「お姉ちゃん、知らないの?もしかして、他の世界から来た人?」
「あ、えっと、そうなの」
「そうなんだ!だから私のことも全然嫌じゃないんだね。そっかあ。他の世界かあ、いいなあ。私も、ここじゃない世界に行きたいな。誰も私のことを知らない世界に」
花香は掌のネックレスへ目を落とし、別の世界に想いを馳せているようだった。
小春はどくん、と嫌な心臓の音を感じながら、服の裾をぎゅっと握った。
元いた世界が嫌でこの世界に逃げてきた。でも、この世界にも他の世界に逃げたいと思う人がいる。
——ほわって暖かい春みたいな優しい明かりがあることを忘れないで欲しいの。
母の優しい言葉を、笑顔を、思い出す。明かり、って?
「夜国だけがね、魔力を持っているんです。昔、夜国には一煌様という王様がいて、その方が国を治めていました」
「一煌……?」
息が、詰まる。瞬きを何度もしてしまう。なんとなく、気づいてはいた。でも、はっきり言われると胸がすごく苦しくなる。小春は一煌の為し得たいことを聞くのが物凄く怖かった。
「世界最強と言われていました。魔力もその政治力も。それで、他の三国は一煌様を恐れ暗殺を企てたそうです。あっ、でも暗殺を企てたっていうのは噂で!本当のところはどうかわかりませんが!」
「でもそれ、他の国が悪いね……。」
一煌を、もしかしたら悪い人なのかもと思ってしまった自分に嫌気がさした。一煌は何も悪くなかった。他の国が悪いんだ。
じゃあきっと、為し得たいことっていうのも善良な——。
「それを一煌様はいち早く察知したそうで、他国へすぐに攻め入りました。日華の光を、夜に沈めたんです。あの夜は、地獄そのものでした。私のお兄ちゃんも、交戦にまきこまれて……。」
「……え?」
思考が、ぴたりと止まる。
「でも、来駕様が!夜国のとてもお強い方なんですが、来駕様が一煌様に立ち向かっていかれて。それで、封印を。それから夜国は他国に戦争を二度と起こさないという意思表示のため、王を置くことをやめました。それから封印を4つの欠片に分けて四国に散らし、封印を夜国は絶対に解かない、という示しも」
「……っ、そん、な」
爪がくいこむほどに拳を握り、汗が背中に伝っていくのを感じていた。頭がくらくらする。
お母さん、明かりって、本当に存在するの?目の前が、真っ暗になる。
一煌が成し得たいこと。もし、復讐だったら?もし、誰かを傷つけることだったら?そしたら私は、どうしたら。
——私は一刻も早く力を取り戻して故郷に帰り、悪者に支配された夜国を取り戻したい。
初めて会ったあの日の一煌の言葉。あの人にとっての悪者は誰?
「小春」と名前を呼ぶ来駕の顔が浮かんでくる。
「お姉ちゃん?大丈夫?」
「わ、私……。」
花香が小春を覗き込み、真っ青な顔を見て心配そうに眉を下げた。小春は花香の綺麗な明るい紫色の目を見て、どうしようもない気持ちになってしまう。
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