36 思い出
「明輝、」
来駕は俯く明輝に手を伸ばし、追い越された身長に時の流れを感じながら頭を強く撫でた。
「成長すれば周りと自分を認識して考えるようになる。その中で劣等感がうまれたり、な。他人と自分を比べるな、なんて無理な話かもしれないけど、なんつーか、つまり、」
「来駕……?」
「俺は昔、明輝に救われた。だから明輝が辛い時は俺がそばにいたい。今度は俺が助けになりたいって、ずっと思ってる。でも、俺は明輝が思っているほど出来た人間じゃねえし、だから、明輝が完璧って言ってくれて少し安心したんだよ。明輝の前では兄みたいな存在でいたいって見栄を張っているところがあるから。俺だって情けないところばっかりだよ、本当は」
「……でもっ、それでも、俺は」
「自分が惨めに思える?」
明輝の言葉を来駕が口にする。するとハッとした顔をしてから、力が抜けたように落ち込んで、明輝はゆっくり頷いた。
「明輝の兄さんたちは体術や剣術に優れているだろ?それは強さだ。でも、強さは一つだけじゃねえよ。明輝の、人の前では明るくあろうとするところ。それは、何にも変えられない明輝の強さだ。俺は自分の感情を制御しきれないところがあるからな。皆が皆、できることじゃない」
来駕は拳をとんっと軽く明輝の胸に当てた。すると、明輝は顔を上げて何かを言いかけて。
「あ!明輝、やっと見つけた!色彩調合の課題、まだ途中でしょ!一緒に終わらせちゃおうよ!」
紫露の大きな声が廊下に響いた。頰を膨らませて少し怒ったように近づいてくる。
明輝は口を微かに開いて、焦ったように来駕と目を合わせた。窓から差し込む光が明輝の目の赤みを濃く引き出す。来駕は明輝の伝えたいことがなんとなくわかった気がして、目を細め笑った。
「あれ!夜の番人様!お取り込み中でしたか?」
「いや、問題ない。な?明輝」
今度は明輝の肩に手をのせた。
明輝の顔には苦痛の皺や歪みはもうなく、歯を見せて小さく笑った。
「紫露、悪かったって。教室戻ってさっさとやるぞ。俺、明るい色の調合は得意だからすぐ終わるって!」
「えー本当かなあ。僕、さっき明輝が調合失敗したの知ってるんだからね」
「ちょっとミスっただけ!次は上手くいくから」
紫露と明輝は二人で笑いながら教室へと戻っていく。一瞬だけ、明輝が来駕へ目を向け、「ありがとな」と口をぱくぱくさせ、笑った。
***
小春は隣を歩く紅弾をちらりと見て、気まずさを感じていた。
さっきからこの人、一ミリも表情を変えない。ずっと気怠げな表情をして前だけを見て歩いている。
歩き方も彼らしく足をあまり上げないで、ずるように歩いていた。
履いているサンダルは、ちょっとコンビニまで、という時に履いていくような簡易的なもの。あれでさっき来駕に向かって行ったのだから、実力者だと痛いくらいにわかる。
学園から歩いてお店が並ぶ通りを抜け、住宅街らしきところを歩いていた。マンションこそないけれど、家の外観は小春が住んでいた世界と同じように見える。
白や橙色、灰色の壁、瓦屋根、三角屋根、緑の小さな庭。一度は小春が見たことのあるものばかり。
特に花が植えられている小さな庭は、家族を思い出させた。
母は花が好きな人で、庭に四季折々の花を植えるのが趣味だった。
庭先にある小さな庭園のすぐ近くに物干し竿があり、春になると服の中にてんとう虫や小さな虫が紛れていることはざらで、それが嫌でたまらなく「お願いだから二階に干して!」と懇願したほどだった。
父が休みの日は、縁側に座りアイスコーヒーを飲みながら時折、母の園芸を手伝う、というのんびりとした時間が流れる家庭だった。
ただ、小春がそれにまざることはなかった。虫が嫌いだったし、花を愛でる余裕がなかったからだ。それは学生の時も、社会人になってからも同じ。
『小春の名前はね、冬の初めの、穏やかで暖かい春に似た日和が続く頃のことを指すの。言葉の意味そのままなんだけど、とても素敵でしょう?例え、寒くて冷たいところにいたとしても強い光じゃなくていいから、ほわって暖かい春みたいな優しい明かりがあることを忘れないで欲しいの。冬は準備期間、春に咲き誇るの。ね、小春。春みたいに優しい子に育ってくれた。名前の通り』
——小春。大好き。
びくり、と体が震える。春、暖かい陽気の中、ふと振り返って土で頰を汚した母はにっこりと柔らかく笑ってそう、小春に伝えた。それは確か、就職活動中のことで。
「……
「は、はい?」
隣から聞こえた言葉に、知らない人の庭から目を逸らした。紅弾を見ると灰色の目だけを小春へ向け、様子を窺っているようだった。
小春は四字熟語なんてわからないよ、と困ってしまう。
第一、日常生活で四字熟語を使う機会なんてそうそうない。来駕は紅弾と親しかったからなのか四字熟語の意味がすぐにわかるようだったけれど。
「いっちょ、う……すみません、何でしたっけ」
「……。」
目を少し細めて「そんなこともわからないのか」とでも言いたげに見つめられる。
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