35 夕日の少年
「来駕は自分のことを情けなく思ったりしないだろ?強くて頭が良くて優しい。呆れちゃうくらい完璧だよな。それに夜国の中でも来駕の魔力は秀でているし。そんな力を持っていながら自分のためには使わない。誰かを守るために、国を守るためにその力を使っているだろ。それを他国民もよくわかってんだよ。だから、恐れる。凄い人だ、って。人のために何かができる人だ、って」
少しだけ大きな声は、感情が詰め込まれた叫び声みたいだった。
「それに対して、俺は。……騎士団長の息子が呆れるよな。すぐに背後をとられて、挙句、恐怖に震えた。兄さんたちは皆、父さんと同じで強いのに俺だけが落ちこぼれ。情けねえよ。……自分が惨めだ」
明輝は目を逸らし眉間に皺を寄せ、顔を歪ませた。
「あ、」——と名前を呼ぼうとした。
けれど勢いよく顔を上げた明輝の、今にも泣き出してしまいそうな苦痛に歪んだ顔を見たら声を失ってしまった。
「俺が大丈夫って言うんだから、大丈夫なんだ。今はお願いだからほっといてくれよ。来駕に心配されればされるほど、自分がどんどん惨めになっていく」
ゆっくり明輝は俯いていく。拳を握る手は微かに震えていた。
太陽が雲に隠れ、廊下が薄暗くなっていく。
「……不本意だろうけど、」
来駕は廊下に落ちる窓枠の薄い影へ目を落としながら、小さな声を出す。明輝に寄り添いたくて。
「そうやって大丈夫だって言いながらも俺に弱いところを見せてくれるのが、嬉しいんだ。明輝はいつだって明るくあろうとするだろ。俺は、それがずっと心配だよ。楽しいことは誰とだって共有できる。だって楽しいんだからな。でも、辛いことや悲しいことは本当に心を許した奴同士じゃないと——」
「俺は来駕みたいになりたいよ」
来駕の言葉を遮って、明輝は寂しそうにぎこちない笑顔をつくった。
太陽が顔を出して、廊下が明るくなっていく。
「来駕さ、たまに話し方が崩れるんだよ。そういうところも無駄に真似してさ。来駕と親しくなればなるほど、自分に足りない部分が埋まっていく気がしてた。強さとか自信とかそういう部分。でも、そんな気がしているだけで本当は何も変わっていないことだってちゃんとわかってる。俺ね、明るくすることしか取り柄がないんだ。明るく前向きに、しない、と、何だか今にも自分が崩れ落ちて駄目になっちゃいそうで」
明輝は、オレンジがかった赤い目を苦しみや悲しみでいっぱいにして、最後に唇をぐっと噛んだ。泣いている、と来駕は思った。涙は流れていない。でも、明輝は泣いている。
明輝の目の色——あの日の、夕焼けと同じ色。
あの日。全てが一変し、全てが終わったあの日を思い出す。
荒廃した日華の空には夜の残骸が淀み、黒みを帯びた青が今にも落ちてきそうなほどに重く街にのしかかっていた。
遠くの空には微かに赤が混ざっている。太陽が夕日へ変わろうとしているところだった。
建物が崩壊し、砂や埃が舞い、人が死んだ匂いが立ち込めている。
人々は力尽きて動けない来駕を遠巻きに眺めていた。
何もせず、ただただじっと眺めていた。ひそひそ声で話す人々、それに交じる罵声。全て来駕に、夜国へ向けられたものだった。
来駕は夜の王の封印に魔力を使い果たしていた。世界最強と恐れられた王の封印は自分の生命を削らねばならないほどに強大だったのだ。
呼吸が弱くなっていくのを感じていた。いろんな体の機能が低下しているにもかかわらず、何故か遠くの言葉は耳にすんなり入ってくる。
——卑しい夜国が我々の国を汚した
——夜国の所為でめちゃくちゃだ
——全ての元凶は夜国だ
——夜国の奴なんか救えるか
これは報いだと、来駕は妙に落ち着いた心持ちでいた。後に来駕はこの時の感情を、絶望と呼ぶ。
『らいが、らいが』
聞き慣れない高い声で誰かが近づいてくる気配を感じ、うつ伏せになっていた体をなんとか起こそうとする。けれど、体の内側に激痛が走った。そのまま体を丸め痛みに耐える。本当のことを言えば指先を動かすことさえ、とても辛いことだった。
『ら、らいが!大丈夫!?』
それは、小さな手だった。背中に置かれた温かい手。前髪が目にかかり視界が悪い。汗が地面に落ちていく。
『病院、早く行かないと!今、俺の父さんが車を持ってきてくれているから!もう少しだから!』
知らない、見たこともない少年だった。
その少年はミルクティー色の、来駕が今まで見たことのない綺麗な髪色をし、目はあの夕日と同じだった。少年の後ろには真っ赤な太陽とオレンジ色の空。夜の残骸と暗く重い空を夕日が飲み込んでいく。
夕日は赤とオレンジが混ざった火の粉を地上へ落としていく。燃える夕日は生きていた。
『らいが、日華のためにありがとう。誰もどうにもできなかったのに、凄かった。皆、感謝してるよ!らいが、ありがとう』
ぼろぼろで汚くて、日華や他の国を守りきれなかったと絶望する来駕を少年——明輝は抱きしめた。
「……っ俺は、」
身体が軋んで痛い。痛い、の中の切なさのような部分が込み上げてきて、それは涙となって溢れていった。ぼろぼろと涙が流れ出して初めて、心が痛いと叫んでいたのだと知った。
大好きだった、本当の兄のように慕っていた夜の王を。—— 一煌を。封印してしまった。大きな手で頭を撫でてくれた一煌。見上げれば、腕越しに目を細めて微笑んで「来駕」と名前を呼んでくれる。あの大好きな人がもう、いない。
あの人がやったことは決して許されることじゃない。だから、あの人の分まで報いを受けるのが俺の役目だ、と。それなのに、どうして。どうして、お礼なんて言うんだ。
『ありがとう』
涙声で、きっと辛いことがあっただろうに、少年の明輝はまたお礼を言って来駕の肩に顔を埋めた。それから更にぎゅうっと強く、来駕を抱きしめた。
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