34 幻想




***



バサッと外套が床へ落ちてしまった。するりと手から滑り落ちて、そのまま掴み損ねた。


「……俺も、疲れてるのか」


来駕は溜め息とともに小さな声を出しながら、廊下に落ちたそれを拾い上げ、埃を払う。


清輝学園に入ったはいいものの、明輝のクラスがわからず彷徨っていた。


学園内で不審者に思われないようにと、外套を脱いだわけだが。


廊下を歩けば、人がはけていく。夜国の青い目をした生徒からは羨望と期待の眼差し。他国の生徒もほんの一部そういう目を向けてくれるが大方の生徒は恐れ慄く目、憎悪といった目を向けてくる。


ああいう生徒には声をかけられない。そう思い、夜国の生徒何人かに声をかけたのだが、固まるか逃げるか会話にならないか、で、来駕は途方に暮れていた。


あの門番——紫露は朱雀組と言っていた。その紫露に課題はやったかと明輝は聞いていた。だからきっと、同じクラスだとは思うけれど。


もし選択授業のことだったらお手上げだ。


とりあえず朱雀組を見つけようとしているのだが、この学園は広大。


しかも学年が変わる時に、変化は大事だという学園長のもと、大幅に教室の配置換えが行われる。だからこそ、朱雀組を自力で見つけるのは至難の技だった。


案内図がどこかにあるはずだから探しにいくか、それとも職員室まで行って聞くか——いや、期間限定とはいえ先生という立場。一生徒に個人的な話をしたい、なんて通せるものか。


「夜の番人」の一番の役目は、夜国に危険が及ばないよう他国の情勢に目を光らせていること。


その一環として、これからの国を担う学生に向けて恐れられている夜国とは本当はどんな国なのか、を知ってもらうための授業を一週間行うことになっている。


一コマごとにクラスをまわっていき、一週間で全てのクラスをまわる。


来駕は生徒の反応を見ながら、こんなことで大丈夫だろうかと不安を募らせるばかり。不安、のところで小春の自信なさげな顔が頭に浮かんできた。


来駕は清輝学園に入る前から小春の表情の暗さ、足取りの重さを感じとっていた。



疲れているのだろう、と先にホテルへ行かせたものの、あいつに頼んで大丈夫だっただろうか。


土地勘がなく、さっき盗賊に襲われたせいもあり、まさか小春一人でホテルまで向かわせるわけにも行かず、苦肉の策で紅弾にお願いした。


実力はあるのだが、紅弾は人付き合いを億劫に思う奴で必要以上の接触を嫌う。


困っている人がいたら助けるし、四字熟語の返答だが人を無視したりはしない、根はいい奴なのだけれど。他人から見れば、相当変わった奴、というレッテルを貼られてしまう奴で、小春の許容範囲であればいいのだが。



「……委細承知いさいしょうち



わけを話したら、すごく面倒臭いという顔をしながらも頷いてくれた。


紅弾の実力があれば、本人が門番をしなくてもあいつの魔力だけで学園を鉄壁にできる。が、それをしない理由。


なんだかんだ学園が好きなんだ、あいつ。


紅弾は自らの手で目で、手を抜くことなく学園をいつでも守っていたい。そのため、やむを得ない理由がある時だけ魔力を使って守っていた。


小春を任せている間は強力な結界を張ってもらっている。


「……朱雀組の場所、知っているか?」


「……え!うわああ、ら、らい、様!あの、わ、えっ!」



廊下でスマホをいじっていた男子生徒に話しかけてみるも、しどろもどろになり質問の内容は頭から抜け落ちているようで。



「明輝っていう日華出身の生徒を探しているんだけど、知らないか?」


なるべく優しい声色で、視線を合わせるようにしてみる。



目が合った瞬間、男子生徒は顔を青ざめて縮こまる。



——ああ、逆効果だった。




「ひ!し、知りま、知りません!」


来駕の笑顔に恐怖を感じたのか、男子生徒は飛び跳ねると勢いよく教室に戻って行ってしまった。




「……まさか、こんなに恐れられているとはな」


深く溜め息をつく。日華に来てから溜め息をついてばかりだな。少し落ち着こう、と来駕は廊下の窓側に寄りかかった。



『来駕の笑い方、嘘くさいのよ!』


いつだったか、彼女が怒った顔をしてそう言ったのを、ふと思い出す。遠い昔の話だ。それなのに、今でもこうして思い出してしまう。情けないと、どれほど思ったことか。


『私は楽しそうに笑う来駕のことが好きよ』


来駕は目を瞑った。目を細めて、ほんのり頬を赤く染めて、柔らかく微笑む彼女のことが、とても——。


「……実子、」


ゆっくり目を開けて。


無意識に名前を呼んでしまった自分の声が、あまりにも小さくて弱々しくて、ああ、なんて情けないんだろう、と苦しくなってしまう。


記憶の中の実子は、こうして時々目の前に現れるのだ。優しく微笑みながら、手を引いて。



——早く明輝を見つけて話を聞いてあげなくちゃ。めげていたら駄目よ。


実子は、言う。黒い艶やかな髪を、揺らしながら。



「来駕」


明瞭な、そのよく知っている声に顔を上げると、明輝が肩を竦めながら笑っていた。


振り向こうとした実子の横顔は黒髪に隠れて見えないまま、記憶の残像は、さらさらと消えていく。


「夜の番人様ともあろうお方が誰からも相手にされないなんてな。有名すぎるのも困ったもんだよ。な?」


「ほんと、その通り」


来駕も同じように肩を竦めて苦笑いを浮かべた。


一度、強く瞬きをする。現実と過去の境をはっきりさせるために。


「廊下が騒がしくて、多分来駕だろうなとは思ってたよ。でも、なんつーか、俺は大丈夫だから。来駕はいつも心配しすぎなんだよ」


「俺が大丈夫じゃないんだよ」


また逃げられたら困る、と来駕は明輝の腕を掴んだ。けれど明輝は抵抗することなく大人しく来駕と目を合わせる。憂いを帯びた夕焼けみたいな目で。




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