29 学園前




***

 清輝学園。真上を向かなければ天辺てっぺんが見えないほど大きな門は金色の太くまっすぐな線がいくつも並び、その線の間には細くレースのような模様が人の介入を阻むように施されていた。


 その門の先には煉瓦造りのレトロな洋館、ガラス張りのビル、日本の瓦造りの城、夜国の城にも似た西洋の城、それらは一建物ずつがとても大きく聳え立ち、横に並んでいた。けれど壁は全て繋がっている。門の目の前が丁度洋館だった。



 理解し得ない芸術作品のような、これが学校だとは到底思えなかった。


常識が通用しなさそうで、小春は自分が今まで学んできた集団生活、社会の仕組みとは何だったのかわからなくなるほどにその衝撃を視界で受けていた。


 驚愕している小春の隣で来駕は見慣れた光景とでもいうように平然と門番に近づいていく。


門番は二人。一人は明輝と同じ制服を着ている男子、一人はダボついた黒いスウェットを着た男性。来駕はそれにも驚かず、制服を着ている男子へ話しかけた。



「学園へ入りたいんですが」


「身分証をご提示ください」



 両手を後ろで組んで彼は顔をまっすぐ前へ向けたまま。来駕を通り越してずっと先を見つめ、凛とした声でそう言った。すっきりと整えられた黒い前髪が特徴的で、赤い目をしている。


 もう一人の見立て三十代ほどの男は、くせっ毛のもさもさな黒髪、灰色の目はどこを見ているのかわからず、気怠そうに門の反対側に立っていた。片足に体重をかけてぼうっとしている。




「学園長には話を通しています。夜国、夜の番人、来駕と申します。それから、番人補佐の小春です」


 男子は強張った顔をして一瞬だけ、キョロッと来駕を見てから前へ視線を戻した。それからまた同じように小春を一瞥する。


「ですが!身分証がなければ入国……あっ……にゅう、入学、いや、入、園?……いや、が、……学園に入ることは認められません!」



 小春は呆然と彼を見つめていた。


 学園に入ることをなんて言えばいいのか、一生懸命考えて口籠って、でもわからなかったんだ。この初々しさは一体。


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 するとあのもさもさの男が掠れた声で、それはまるで今日初めて声を出したかのように口を開いた。



「は、励まし、痛み入ります!」


 ハッとして男子は男へ一瞬だけ顔を向けると嬉しそうに大きな声で言い、唇をぎゅっと閉じて潤んだ目をした。



「あー……またこれかよ。おい、紅弾くだん、話聞いてんだろ」


 来駕はまた溜め息を吐き出して、腰に手をあて黒スウェットの男——紅弾へ体を傾けた。


 紅弾が呼ばれたはずなのに、何故か男子のほうがびくりと肩を震わせて目が来駕と紅弾へ行ったり来たりしている。


「……。」


「そんなあからさまに嫌そうな顔すんなよ」


 紅弾はのっそりと来駕へ目を向けて無だった表情を動かした。口を微かに開けてじとっとした目をしている。


「……青息吐息あおいきといき


 ぼそり、と紅弾は口を動かす。来駕は呆れた顔をしながらも小さく笑った。



「……いくら話すのが面倒だからって久しぶりに会う同級生にも四字熟語かよ」


「えっ、来駕とあの人って同級生なの?」


「俺もあいつも清輝学園の出なんだよ。紅弾は今、門番の仕事をしていて」


 と、来駕があの男子へ視線を送り、「名前なんだったか」と小さな声でばつが悪そうに聞いた。


「自分は、紫露しろと言います!清輝学園2年朱雀組です!門番はバイトです!というか、紅弾さんに弟子入りしたく粘ってます!」



「え?弟子入り?」


 思わず紅弾を見てしまう。あのスウェットを着て焦点が定まらない目をしているあの人に弟子入り……?


「ああ見えて紅弾はこの世界最強——っと、いや、二番か?」


「でももう夜の王はいないだろ?だから世界最強」


 少し俯いて考える仕草をした来駕の隣に今まで後ろにいた明輝が並び、そう言うと、それにいち早く反応したのは来駕ではなく紫露だった。



「明輝?何か元気ない……?」


 さっきまでお腹の底から出した大きな声だったのに、紫露は明輝を覗き込むと柔らかく小さな声で心配そうな顔をした。


「え?あ、なんでもねーよ、大丈夫。あっ、それより紫露、明日の色彩調合の課題終わらせたか?あれ出さないと結構やばいって聞いたんだけど」


「え?そうなの?全然やってな……って、ううん。それよりも、明輝、何だか様子が」


「クラス戻って一緒にやろうぜ。俺は学生証あるし、すぐ通れるよな?」


「それはそうだけど、ちょっと、明輝ってば!」


 明輝はたじろぐ紫露の手を引いて小春と来駕に「先に言ってるな」と歯を見せて笑った。



小春には明るい明輝に見えたけれど、付き合いがきっと長い来駕や門番の紫露は様子がおかしいのに気づいているようだった。心配そうに瞳を揺らしていたから。



「明輝……。おい、紅弾!さっさと中に入れてくれ!」


 来駕は明輝の背中を見つめ、居ても立ってもいられない、という顔をして勢いよく紅弾を見た。そんな必死の来駕を見ても紅弾は表情を崩さない。


「……青息、吐息」


「二回も言うなよ。全く……。」


「あれも四字熟語なの?私、意味全然わかんないよ」


「あれは困難な時につく溜め息っていう意味。つまり、俺たちが中へ入るのは難しいってことだろうな」


「え、それじゃあ、どうするの……?」


 明輝と紫露の姿はすでに他の生徒に紛れ、わからなくなっていた。

胸の端っこがじりじりと痛む。明輝の傷ついた顔が、頭から離れない。


「紅弾、とりあえず学園長に会わせてくれ……っんだよ!」


 その時だった。来駕が話している最中に、電池が急に入った人形のように俊敏な動きで紫露が瞬きを一度する間に来駕の目の前まで来ていた。




雨過天晴うかてんせい


 来駕が後ろへ跳ぶ刹那、目をぎらつかせた紫露が落ち着いた耳にすっと通る声で言う。


「意味、わかんねえよ!」


 紅弾は指先までピンと指先まで伸ばし、右手を来駕の前で横に振るった。それを避ける来駕。小春が辛うじて目で追える速さだった。瞬きをすると目で追えなくなってしまう。


「何、あれ」


 小春は口元を押さえ、空間がぱっくりと割れているのを見た。


それは紅暖が指先で空を切ったところに線が入って、ゆっくり開いていく。

半透明の闇が溢れていた。先の見えない墨で塗りたくられた闇ではなく、もっと柔らかい黒。それは手を振るうことでさっき空いた部分がゆっくり消え、また新しい空間の裂け目ができる。


 確か、魔力があるのは夜国の人だけなはず。小春は紅弾の目の色を思い出してハッとした。灰色。灰色だった。

夜国が青、日華国が赤、碧水が黒、玉樹が茶。

——あれ、灰色なんてどこにもない。


あの人は一体——。



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