6 新しい世界へ



「……っ、ここは」



 頰に触れる何かがくすぐったくて瞬きをすると、それが草だとわかった。

緑が近く、風に靡く音がさああっと聞こえてくる。


 体を起こして乱れた髪を手櫛で直しながら、辺りを見回す。



振り返ると大きな建物の白い壁のようなものがそびえたっていた。

辺りは暗く、空を仰ぐと星の見えない闇夜が広がっている。明かりがないせいで闇を近く感じた。


夜が重くのしかかってくるようだった。



『小春。その祠が元の世界への出入り口です。それは私が引き寄せることができるので必要があれば言ってください』


 一煌の声が響いて体をびくりと震わせる。


空から視線を落とすと、目の前には月夜神社と全く同じ祠があった。


扉は閉まっていた。祠はだんだん薄くなっていき、やがては消えていく。



「祠が出入り口ってこと?……あれ?一煌?」


ハッとして一煌の姿を探す。隣にいるのかと錯覚してしまったが、姿が見当たらない。




『小春、ピアスを通して話しているんですよ。その世界では私はまだ姿をつくれない。ですが小春の元いた世界からそのピアスを通して話せるので、安心してください。私の力が持つ限り、ですが』



 声はどうやら頭の中で響いているようだった。



確か、一煌は悪者に封印されていると言っていた。

体が成せない、ということも。——だけど、やっぱり心細いな。



だってここは悪者の根城ってことでしょ?——あれ?そんなところに私一人だけ?

小春は急激な不安に襲われた。これ、私、大丈夫なの?


逃げることにいっぱいいっぱいで、そこまでよく考えていなかった。



「一煌、その……。悪者はどれくらい強いの?私一人で、欠片集められるかな」


『そんなに強くはないですが、悪知恵が働く。嫌な奴です』


「えぇ……。」


『ですが小春と私が手を組んでいるなんて、あの男は夢にも思いませんよ。それに、私にとってあの男が悪者でも小春にとっては取るに足らない、悪者でも何でもない男ですよ』


「えぇ……。本当かなあ」


『交換条件みたいになってしまって、私も本意ではないんです。別世界に逃げたいなら逃げればいい。私はそのお手伝いをするだけです。

ですが、どうしてもこの国を取り戻してやらなければならないことが私にはある。小春には申し訳ないですが』


「……ううん」




沈黙が流れる。風に靡く草木の音は聞き慣れたものだった。

一煌はおもむろに言葉を続ける。



『……私の欠片を探してその星のピアスの中に入れてください。そうすることで私に力がだんだん戻ります。全てを取り戻したら、小春の願いを約束通りもう一つ叶えましょう』



「何でもいいの?願い」


『どんなことでも。私の能力が及ぶ限りですが』



一煌の「能力が及ぶ限り」とは、どれほどのものなのか皆目見当もつかないけれど大抵のことは叶えてくれそうな気がする。


それに、と小春は思う。


 親も友達も小春にはちゃんといる。だけど、いつもどこかひとりぼっちのような気がして孤独感に苛まれていた。

きっと一煌もひとりぼっちで故郷にも帰れなくて。



 ひとりぼっちは怖い。心細い。自分の内側で暗くひっそりとしたところで物事を考えるしかない。

周りに人がいたって誰かと話をしたって、心は晴れなかった。



小春は自分の気持ちを正直に話せる人がいない、という意味でひとりぼっちだった。でも一煌はきっと正真正銘のひとりぼっち。

その気持ちを考えると、居た堪れなく思ってしまう。



一煌はその悪者とやらに蹂躙された。心の痛みは計り知れないものだろうと、小春は同情してしまう。


同情は薄っぺらいものだと思っていたけれど、その人を理解したいという気持ちでもあって。



「……一煌は、辛かった?」


『辛い?急にどうしました?』


「その悪者に国から追い出されて、辛かった?」


『……辛くないと言えば嘘になりますが。でも、もう大丈夫です。立ち止まっている暇はないですから。って、頑張ってもらうのは小春なので卑怯ですが』


「……大丈夫だよ」


きっと一煌には見えていないけれど首を横に振って小さな声を出した。




傷は目に見えている外傷だけじゃない。

内側にも傷はいっぱいあるのに、人って目に見えないと全然気づかないんだ。


刃物で斬られて血が滲んでいても、それが外側に流れ出さないと攻撃をやめない。もしくは気づいても「それくらいで」と攻撃を続けるかもしれない。


一煌の傷は、一体どれほど深いんだろう。



『小春?大丈夫ですか?』


「……うん、大丈夫、だよ」


『まずは休息をとったほうがいいですね。慣れない世界は疲れるでしょう』


「一煌、なんていうか……気を遣ってる?」


『それはそうですよ。だって世界が変わるんです。そこは小春が生きてきた世界とは違うんですよ?私のせいで重荷も背負わせているわけですし、気を遣う、というか心配しているんです』




一煌は思っていたよりも小春の気持ちを気にしてくれているようだった。

それが嬉しくて、思わず笑みが溢れる。




『なので、まずは眠れるところを確保しないと——ああ、その前に大事なことが』


「うん?」



『私のことは他言無用に。小春が協力者だとわかれば、あの男たちに何をされるかわからない。くれぐれも注意してください』



「……そう、だよね」


『それから。ああ、話を戻しますが、まずはこの土地に慣れることが大事ですね。

私は夜国から長いこと離れていたので現状がどうなっているのかわかりませんが、寝床は確保しなければ。生きていくためのお金が必要なので働き口も』



「働き口!?あ、でも、そうだよね。前の世界とそういうところは同じなんだ……。」



『がっかりしました?でも、夜国は夜が長いんですよ。夜は様々なものを引き寄せ、魔力を高める。夜国で暮らす人々は魔力が高いんです。そういうのは小春の世界と違うところですよ』



一煌の声が急に遠くなった気がして、「一煌?」と名前を呼ぶと、掠れた声が返ってくる。



『……ああ、すみません。力が及ばず。小春。とりあえず、泊まれるところを、探して』



「えっ!?一煌!ねえ!」



 一煌の声はどんどん小さくなっていった。最後は底に沈んでいくような声で——消えてしまった。



嫌だ、一人にしないで!と、ピアスに触れて縋るが一煌からの返答はない。




一煌の力は相当弱っているのかもしれない。



「……え、嘘、でしょ」



でも、でも。と、小春はうずくまる。

ひとりぼっちだ。本当の、ひとりぼっち。どうしよう、怖い。



 小春は暗闇の中、呆然と立ち尽くした。

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