第14話 F

 洗い物が終わって部屋に戻ると、草深さんはベッドの上に座って、壁に寄りかかりながらギターを弾いていた。

 改めて部屋を見回すと、エレキギターが2本、アコースティックギターが弾いているのとは別に1本置いてある。

 私は曲の途中で邪魔をするのも悪いと思って、テーブルの前に体育座りをして曲が終わるまでその音色に耳を傾けていた。


 膝の上に顎を乗せて部屋を見回す。

 本棚には沢山の教科書が並んでいる。

 細胞生物学、分子生物学、ハーパー生化学、生理学テキスト、獣医解剖学、獣医免疫学、獣医伝染病学、家畜寄生虫病学、異常値の出るメカニズム、獣医内科学……

 利己的な遺伝子、盲目の時計職人、虹の解体、悪魔に仕える牧師、神は妄想である、進化の存在証明、リチャードドーキンスの本が重々しく並んでいる中で、私の好きなレイチェルカーソンの沈黙の春も並んでいた。

 同じ棚に海外のバンドの楽譜と思わしき本も沢山並んでいる。

 CDもこんなにいつ聴くんだろうというくらいの量が、アーティスト毎に順番に並べられていた。

 ベッド脇に置かれたままのマグカップの持ち手には何故だか沢山糸が結ばれている。

 私と同じ部屋の間取りなのに、この部屋は草深暖という人間が好きなもので溢れていて、まだ他人の家みたいな私の部屋も時間が経てばいつか自分の家になるのかな、なんて思った。

 

 ギターの音色は木製のボディーの中で静かに響いて、余韻を残しながら曲が終わった。


「すごい、上手ですね。ギター好きなんですか?」


 草深さんは適当にギターを静かに弾きながら答えた。


「俺、軽音だからね。もうとっくに引退したけど」


「軽音!どんな音楽やってたんですか?」


「んー色々?ロックもポップもアニソンもメタルも。頼まれればなんでも」


「今はバンドを組んだりしてないんですか?」


「バンドはもういいかな。俺中学からギターやってたんだけど、バンドが好きなんじゃなくて、ギターが好きなんだって去年ようやく気がついてさ、それで、今はこういう曲ばっかり」


「アコースティックギター?」


「そう、ソロギター。体に良さそうだろ?」


 本気なのか冗談なのか分からないトーンで草深さんは笑った。


 

  話しながらも、両手は絶えず動いている。

 少しも途切れることのない音楽は脈絡のない様だけどいつまでも聴いて入られそうだった。


「トラップ大佐知ってる?」


「トラップ大佐?分からないです」


「サウンドオブミュージックは?」


「えーっと、ドレミの歌の?音楽の授業で見ました」


「トラップ大佐がさ、子供たちにエーデルワイスをギターで弾くんだよ。子供達もみんな安心して聴き入ってさ。俺、中学の頃あのシーンを見て、かっけーーーってなってさ。軽音引退してからは俺もギターで誰かを安心させてあげたいと思って、ソロギター始めたの」


 間接照明のせいかもしれないけど、暖さんは少し照れている様に見えた。

 弦が震えて音が鳴る。

 これほど単純なことはないのに、そこから奏でられる音は不思議と人の心を温めてくれる。


「さっきの曲…」


「Yesterday。知ってる?」


「知ってます」


「まぁビートルズは義務教育だから」


「義務教育って、何ですかそれ。たまに弾いてますよね?」


 私は使い所の間違った言葉に息をこぼして笑ってしまった。


「あれ?音漏れしてる?悪い、今度からミュートするよ」


「ううん。私その曲大好きなんです。いつでも弾いてください」


 携帯でいつも流していた曲が、目の前で演奏されるのは何だか不思議な気分で、どこか運命を感じてしまった。


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