第13話 B♭







愛情は料理の隠し味なんて今まで信じてなかったのに、不思議と味見した時よりも美味しく感じた。







 夕飯を食べ終えて一息つくと、草深さんはキッチンに行って冷蔵庫を開けていた。


「コーヒーと紅茶どっちが良い?」


 冷蔵庫から何かを取り出しながら、キッチンから私の方を見ずに尋ねる。


「え、と、紅茶でお願いします」


 我ながら図々しいなと思ったけれど、今日は誰かに甘えたい気分だった。


「りょーかーい」


 しばらくして木製のトレーにティーセットとティラミスを乗せて草深さんが戻ってきた。

 コップは耐熱ガラス性で紅茶専用というわけではなかったが、可愛らしいティーポットからは紅茶の良い香りが漂ってくる。


「夜だからノンカフェインな、眠れなくなると困るし」


「ありがとうございます。これ、ティラミス、もしかして草深さんが作ったんですか?」


「そうだよ、作り置きだけど。夜甘いもの食べたくなるんだよな。ティラミスって結構簡単なんだよ。どうぞ召し上がれ」


 ふざけているのかカフェの時の営業スマイルで私の前にティラミスを置いて、私のコップに紅茶をついでくれた。

 オレンジが微かに香る優しいダージリン。

 1口飲むだけで、まだ少し緊張していた私の神経を解きほぐしてくれるようだった。

 柄が少しカーブした可愛らしいスプーンを手にとって、ティラミスを掬う時に、お皿に手が触れる。


(冷たい)


 きっと少し前から冷蔵庫でお皿も冷やしていたんだろうと思った。

 一体どこまで気が回るんだろうこの人は。

 マスカルポーネとココアパウダーが優しく混ざって、ティラミスが口の中で静かに崩れる。

 きっと甘さが控えられたレシピのはずなのに、私には何だかすごく甘く感じた。


「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」


 ノンカフェインのダージリンティーを飲みながら、私は体が芯まで温まっていくのを感じた。

 草深さんは優しく微笑んで私を見つめたまま何も言わなかった。

 目が合うと急に照れくさくなってしまって、私は洗い物をしようと立ち上がるとテーブルに足をぶつけてしまった。


「あはは、何やってんだよ、平気?」


 草深さんは心配なんか微塵もしていないように笑った。


「だ、大丈夫です。私、洗い物しますね」


「マジで?じゃあお言葉に甘えちゃう。サンキュー」


 食器をトレーに乗せて、一緒にキッチンまで運ぶ。

 少し冷たいキッチンの空気は緊張とダージリンで熱くなった私の体を心地よく冷やしてくれた。


「このスポンジ使って良いから。じゃあ宜しく、皿割るなよ」


「割りませんよ。もう」


 少しずつ心拍数も落ち着いてきて、自然と笑みがこぼれた。

 ふとコンロを見ると、ポトフがまだ少し余っている。


「草深さん、ポトフ、まだ残ってますけど明日とか食べますか?」


「あれ、お前食べないの?ならもらおうかな。うまかったし。皿に入れて冷蔵庫に入れてもらえる?」


「分かりました」


 私は先に深いお皿を洗って、ポトフを鍋から移してラップを巻いた。

 勝手に冷蔵庫を開けて良いものかちょっと悩んだが、入れてと言われたんだからいいだろうと思って冷蔵庫を開けると、金属性のトレーにティラミスが半分くらい残っていた。

 

 流しに置いてある洗剤はヤシノミ洗剤で、私の部屋にあるものと同じで何だか少し嬉しかった。


(環境のこととか考えたりするんだ)


 洗い物をしている間、草深さんは部屋でギターを弾いているようだった。

 アコースティックギターが奏でる優しい音。

 どこかで聴いたことのあるメロディー。

 あの日夢の中で聴いた、切なくて悲しい、けれど、どこまでも優しいあの曲だった。


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