第7話 B♭

「Sustainable Development Goals、SDGsについて知ってる人は?」


 次の授業で教授が尋ねた。

 教室の前の方でぽつぽつと手が上がるが、私は知っているのに手をあげるのが何だか気恥ずかしくて動かなかった。

 教室のスクリーンに映し出されるスライドが送られる。


「1.NO POVERTY、2.ZERO HUNGER、3.GOOD HEALTH AND WELL BEING、4.QUALITY EDUCATION、5、、、」


 カラフルなインフォグラフィックとともに映し出される項目を一つ一つ読み上げる。


「以上、17つのグローバル目標が持続可能な開発目標、SDGsの骨子です」


 配られたハンドアウトを見ながら詩帆は真剣にメモを取っている。

 受験勉強のための高校の授業とは違って、現在世の中で問題となっている事柄について、専門家の意見を聞けるのが私もとても楽しかった。

 一言も聞き漏らさないように注意をしながら、私も必死でメモを取った。


 午前の授業が終わって、私と詩帆は昼食を食べるために学食に向かった。


 大学のキャンパスは広い。

 高校では1つの校舎で完結していた生活が、ここではわざわざ歩かないとお昼にもたどり着けないが、春めく季節に、緑色を添える木々が並ぶキャンパス内を歩くのは気分転換にちょうど良かった。

 学食は駐輪場に沿って少し歩いたところにあって、THE 学生食堂といった趣の外観はちょっと残念だったが、メニューは意外と凝ったものを揃えているようだった。


「私これにしよ!九州フェアの熊本ラーメン!」


 詩帆はメニューもろくに見ずに各季節毎に変わるフェアのポスターを見て決めた。


「え、詩帆もう決めたの?えーどうしよう」


 ショーケースの中に並べられた食品サンプルは、グランドメニューのどれもが美味しそうで、私はすぐに決めかねていた。


(Aランチもおいしそうだし、あ、うどんもおいしそう……)


「蒼依ゆっくり決めていいよ!あ、私ちょっとだけ電話してくるね!」


 学食を出てすぐ入り口の脇で詩帆は電話をしているようだった。

 私は散々迷った挙句にようやく釜玉うどんにすることに決めた。

 写真が美味しそうだったし、何より安かった。

 只でさえ一人暮らしでお金がかかっているのだから、あまり贅沢はしないようにしようと思ったのだ。


(何かバイト探さないとな……)


「ごめんごめん!お待たせ!」


 何だかさっきよりも嬉しそうな顔で詩帆が戻ってきたのを見て、私はきっと彼氏だなと思った。


「ううん、私も決まったから行こうか!」


 学生が立ち込める学食内は席を探すのもやっとで、私たちはカウンター席の左端、出口のすぐ横を何とか確保した。

 荷物を置いて食事を注文しに行く。

 麺類は同じ列だったので、私たちはケース内の様々なおかずなどを見て誘惑されながらも、何とか初志貫徹でそれぞれの食事を注文した。

 

「いっただきまーす!」


 私の注文した釜玉うどんは当たりの部類で、学食のおばちゃんが新入生サービスで多くしてくれたゴマとネギの風味が口の中で広がった。


(これおいしい、安いしいいメニュー見つけてラッキーだったな)


 温泉卵を箸で割って、黄身を絡めて食べるとまた一味違って濃厚な口触りが食欲をかき立てる。

 きくらげを箸で避けながらラーメンを食べる詩帆の横顔に向かって、私は尋ねた。


「そういえば、さっきの電話、彼氏?」


 私は詩帆をからかうつもりで聞いたのに、詩帆の返事はからっとしたあっけないものだった。


「そうだよ〜、連絡しとかないと結構うるさくてさ!束縛強めなタイプ?」


 ラーメンをレンゲに小さくまとめて、詩帆は笑いながら話した。

 詩帆によれば高校の時の1コ上の先輩と1年半ほど付き合っているのだそうだ。

 彼氏は地方の大学に進学したらしく、遠恋で会えない分連絡をこまめにするのが2人の取り決めなのだという。

 口では面倒くさそうにしながらも、彼氏のことを話す詩帆の顔は頬が緩んで幸せそうに見えた。


「蒼依は?彼氏とかいるの?」


 今度は詩帆がからかうように尋ねた。


「私の高校1学年40人しかいなかったから、そういうの縁がなかったんだよね」


 私が照れながら答えると、詩帆は驚いたようで声のトーンが上がった。


「40人?少な!岩手って行ったことないけど結構田舎なんだね、ってごめん!失礼か!」


「ううん、実際田舎だし!マジで何もないよ」


「蒼依ちょっとイントネーションが違うもんね」


「え?本当?恥ずかしいから気をつけてるつもりなんだけど」


「ちょっとだけね。でもかわいいよ。別に気にすることないんじゃない?ほら!方言萌えで彼氏できるかもだし!」


 詩帆は飾らない表情でまた笑った。

 

  『彼氏』


 そんなこと今まで考えてもいなかったが、一人暮らしの寂しさを埋めるのに恋をしてみようかなんて、ふと思ってみたりした。

 ふと思ってみた後で、そんなことをしている暇は無いと思い直した。

 まずは一人暮らしに慣れなくてはいけないし、勉強だってしっかりしないと置いていかれてしまう、アルバイトも探さないと。

 大学生活を送る上で私にはこなさなければいけない課題が山積みだった。


(でも、ちょっとなら、期待してもいいよね)


 恋なんて、したことないから分からない。

 分からないからこそ、どこか憧れているところもあった。

 でも、どうせなら運命的な恋をしてみたい。

 そんな幼稚な夢を描くほどに、私は恋愛に関してまだまだお子様だった。


(運命?最近どこかで聞いたな)


 釜揚げうどんの最後の1本をすすって、ご馳走様と手を合わせる。

 外では風に揺れる新緑が高くなった日の光を浴びて輝いていた。

 

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