第6話 Dm/C

 初めの授業は大教室で行われる他学科合同授業のフレッシャーズセミナーだった。

 

 開講15分前に大教室に入ると、まだ人の入りはまばらで、私は教室の左端の真ん中より少し前あたりの席に座ることにした。

 次第に生徒が増えてきて、教室内ががやがやと賑わってくると、高校も大学も授業前の雰囲気は対して変わらない。

 いつのまにか、何となく誰となくそれとなくグループができていて、出遅れたように思った私はこれから友達が作れるかな、なんて少し焦りを感じた。

 中学も高校も仲の良い友達はいたけど、どうやって友達になったのかは思い出せなかった。


(友達ってどうやって作るんだっけ)

 


 始業時間になっても私の席の隣は空いていた。

 担当教員の長くてありきたりな退屈な話が始まる。


『大学生活を送る上での注意事項、心構えについて。お酒の一気飲みはやめましょう』


 私は初めの内こそ真面目に話を聞いていたのだが、昨日の疲れが出たのか何だか眠くなってしまった。


 天井の高い教室の窓は採光の為か大きく設計されていて、朝の光を薄いカーテンが和らげてくれて、陽だまりが心地いい。

 今朝のシリアルは美味しくなかったな、なんてぼんやりしていると隣の席に人が座った。


「隣空いてる?」


 茶髪の長い髪を後ろで纏めて、その女の子は小声で尋ねた。


「うん、大丈夫だよ」


 私が答えると、彼女はにこっと微笑んで筆箱とシラバスをカバンから取り出して前を向いた。

 うっすらと化粧をした横顔は柔らかい光に照らされて綺麗に見えた。

 彼女も初めのうちこそ真面目に話を聞いていたのだが、至極当たり前の話の内容に徐々に退屈になってきたようでシャーペンを回したりしていた。

 ふいに、体を私に寄せてまた小声で尋ねた。


「ねぇ、何学科?名前何ていうの?」


「真咲蒼依。環境科学科だよ。そっちは?」


「マジで!私も環境科学科!私は前里まえざと 詩帆しほ。ねぇ、どういう字書くの?ここに書いて!」


 そう言って彼女は自分のシラバスのフレッシャーズセミナーのページの空白部分を指差した。

 良いのかな、と思いながらも私は左手を伸ばして自分の名前を書いた。


「あれ?左利き?書きやすいように持ってっていいよ!」


 シラバスを私の前に動かして彼女は笑った。


「へー、綺麗な名前だね。私はねー、あ、私も名前書いてもいい?」


 私もシラバスを彼女の前にずらした。


「実は私もなんだ」


 なぜだか自慢気に笑いながら左手にピンク色のシャーペンを持って、彼女は自分の名前を記した。

 バランスの良い、均整のとれた、洗練された字が現れていく。


「前里さん、字、上手だね。すごい!」


「詩帆でいいよ。ありがとう。習字習ってたんだ。ねぇ、私も蒼依って呼んで良い?」


 詩帆はストレッチをするように手を前に伸ばした後、頭の後ろに腕を組んで笑った。

 

 フレッシャーズセミナーは1コマの時間の割にあっという間に終わった。

 ざわめき出した大教室を後にして、次の講義に移動するため私たちは並んでキャンパス内を歩く。


「蒼依はどこ出身なの?」


 詩帆はペットボトルでお茶を飲んで尋ねた。

 葉の間から溢れる光が、黄色の光を反射して揺れる。


「私は岩手。雫石っていうところだよ。詩帆は?」


「岩手!じゃあ一人暮らしか!良いなぁ。私は横浜。電車だから毎日大変だよ」


「横浜かーいいなーおしゃれだね」


 横浜といえば港があって、ヨットハーバーがあったり中華街があったりおしゃれなビルがあったり。

 私の頭の中の横浜は憧れの街だった。


「おしゃれなのは桜木町だけ。私は緑区だから普通に田舎だよ」


「そうなの?桜木町、行ってみたいな」


「じゃあ今度私が案内してあげるよ。一緒に行こう」


 飾らずに笑う詩帆の声はよく通って、その笑顔は構内の銀杏並木の陽だまりの中で輝いて見えた。


 地元についてや高校生活について話しながら歩いていると、銀杏並木の向こうに犬の散歩をしている白衣の男子の姿が見えた。

 私は視力が両目0.6で、日常生活には不便しないのだがいざ遠くの人の顔を見るとなると、知り合いだと気づくまでに距離と時間が必要だった。

 白・黒・茶色のビーグル犬は、口を開いてベロを出して尻尾を振りながら嬉しそうに歩いていて、白衣の男子と一緒に私の方へ近づいてくる。


「おお、ニャン丸!初めての授業どうだった?」


 最悪。草深暖。ていうか今更だけどニャン丸ってあだ名はなくない?

 それでもお隣さんなので、邪険にするわけにはいかない。


「オリエンテーションだったので大したことなかったです。あの、草深さん、ニャン丸っていうのやめてくれませんか?」


 私は必死に笑顔を作って、出来るだけ失礼にならないように、声のトーンに気をつけて伝えた。


「何で?ニャン丸、可愛いじゃん」


 曇りなく笑うその表情の前ではもう何を言っても無駄なように感じた。


「おい、ちょっとなつめ!引っ張るなって、じゃあまたな!」


 早く散歩をしたいのか、なつめという名前のビーグル犬は尻尾を垂直に立てて振りながら草深暖を引っ張って銀杏並木に消えていった。


「なになに?今の人知り合い?かっこいいね!っていうか、ニャン丸って何?」


 詩帆は好奇心満々で目を輝かせながら尋ねてきた。


「ただのアパートの隣の人!ニャン丸って言うのは……」


 死ぬほど恥ずかしかったが、私は昨日の経緯を詩帆に説明した。





「あっははは!何それ最高じゃん!私も蒼依のことニャン丸って呼ぼうかな?」


「絶っ対やめて!もー、せっかくの大学生活なのに超恥ずかしいんだから!」


 詩帆はお腹を抱えて大笑いした。

 あまりに笑いすぎて涙が浮かんでいたので、私も何だかおかしくなって一緒に笑った。

 引っ越してきてからこんなに笑ったのは初めてだった。

 

(あぁ、この感じ。意味もなくおかしくて笑いが止まらない。懐かしい)


 誰かと笑い合うのは何だか久しぶりで、大学生活に感じていた不安もいつの間にか消え去ったように思えた。

 

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