第6話 第二のフラグがやってきたようです②
兄の前にかばうように立つレオン王子に、
「レオン。ご挨拶なさい。」
再びエドワード王子が言った。
しかし言われた本人は、アイリスをまるで悪者のような目で睨みつけたまま、微動だにしない。
「アイリス・ロ・メルキュールにございます。この度はお会いできて光栄ですわ。」
動じずに挨拶するアイリス。
(ふふん。これが大人の余裕よ!)
心の中の17歳の高校生が得意げに笑う。
「俺は、お前に名乗る義務はない。」
「レオンっ」
そう言い放つレオン王子を、エドワード王子がたしなめる。
「ご無礼をお許しください、アイリス様。レオンも緊張しておりまして。」
そう弁解する兄の姿を見て、アイリスは「微笑ましいなあ」と思った。
「微笑ましいですわね。」
うっかり口に出してしまう。
「え?」
「え、あ、いえ、お気になさらないでオホホホ…」
慌てて訂正する。
(マズイマズイ。年下相手だからうっかり口から出ちゃうわ~。)
「お前にそんなこと言われる筋合いはない!」
再び突っかかってくるレオン王子。
(第二フラグはレオン王子か…お兄さんを悪役令嬢から守りたいのね~。)
「ふふ、かわいい。」
またしても心の声が出てしまう。
「か、かわいいだって…!?」
わなわなと震えるレオン王子に、我に返るアイリス。
(はっ、またやってしまった!)
「失礼な女だ!兄上から離れろ!」
怒りで顔を真っ赤にして叫ぶレオン王子に、
「―謝りなさい。」
エドワード王子が言った。
「しかしっ、兄上こいつは!」
「レオン。これ以上無礼を重ねるなら、お前はあっちへ行ってなさい。」
「…っ!」
冷たく兄に言われ、レオン王子はなおも何か言いたげにしていたが、悔しそうに走り去って行った。
「申し訳ございません、アイリス様。ご無礼を…」
エドワード王子はこちらに向き直り、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お気になさらないで、かわいい弟さんですね。」
アイリスがそう言うと、エドワード王子は苦笑いした。
「はい…レオンは私の双子の弟で、体の弱い私をいつも心配してくれているのですが、幾分過保護すぎるといいますか…」
「よいご兄弟をお持ちですのね。」
レオン王子が去って行った後を見ながら、アイリスはしみじみと言った。
「そうですね。」
優しそうに笑うエドワード王子の顔に、少しだけ、ふっと寂しそうな影がよぎった。
しばらくバラの花に囲まれて歩きながら、アイリスはいつこの王子をフろうかとタイミングをうかがっていた。
早くしないと、王子が帰ろうと言い出してしまうかもしれない。
「あの、」
一人悶々と考え込むアイリスに、ふいに王子が話しかけた。
「は、はいっ」
いきなり話しかけられて驚くアイリス。
「……僕は、ご存じの通り体が強くありません。もしかしたら、あなたを不幸にするかもしれない。」
「はあ…」
「それでも、アイリス様は婚約を望みますか?」
そう問いかける王子の真剣な表情からは、彼の心情が伝わってきた。
(自分の体が弱いから、国王になるのが難しいと思ってるんだ。)
王家の息子として生まれ、あらゆる面で天才と呼ばれる彼を、周りの人は体が弱いことが唯一の欠点だと言わんばかりに憐れむばかりで、誰もが健康で、完璧な王子のエドワードしか望んでいなかった。
(体が弱い自分を誰も受け入れてくれなかったのね…)
前世で体調を崩しがちだったアイリスは、その気持ちが痛いほどよくわかった。
何度も高熱を出し病院に連れていかれる自分に、母親は「つらい思いをさせてごめんね」とよく泣きながら謝っていた。
(確かに体も苦しかったけど、あんなお母さんの顔を見る方がつらかった。)
熱を出すことで母親に悲しい思いをさせる自分すら、当時は受け入れることができなかった。
だからこそ、エドワード王子の姿が、かつての自分の姿に重なって見えた。
次期国王として期待されるも、この王子はどこかそれは叶うことがないと思っている。
思わずアイリスは王子の手を取った。
「だからこそ、そばでお支えする者がいるんでしょう?大丈夫。きっと(ヒロインのような素敵な婚約者が現れるので)大丈夫ですから!」
そういって握りしめる手を、王子はあっけにとられたままじっと見つめていた。
それに気づき、アイリスはパッと手を放す。
「す、すみません!」
(あぁ~!またやっちゃった!)
しかし、王子は「ふふっ」と小さく笑った。
「では、よろしくお願いいたします。」
何のことかわからずぽかんとするアイリスに、王子はにこっと笑いかけると、
「行きましょう、こちらです。」
と、再び手を取って、もと来た道を戻り始めた。
(え、ちょ待っ、王子速っ)
スタスタと意外に速く歩く王子に手を引かれ、転びそうになりながらなんとか付いて行くアイリス。
(え、もう帰るの!?タイミング逃した…)
しかし、着いたのは応接間ではなく、一面ガラス張りの大きな温室だった。
「ここは…?」
「ここは僕のお気に入りの場所です。あなたにぜひ見てもらいたくて。」
顔を赤らめながら、王子は扉を開けた。
中に入ると、温室という割には涼しく、中には大小さまざまな植物が植えられていた。
「ジャングルみたい…」
「ここは僕が管理しているのですが、あまり手入れができていなくて…」
王子は恥ずかしそうに言ったが、アイリスは見たことのない植物に興奮していた。
「殿下が管理なさっているのですか!?すごい!どれも生き生きしてる」
先程までのバラ園とは違い、隅々まで人の手が加えられておらず、少々散らかっているようにも見えるが、反対にそれが植物の本来の良さを出しているとアイリスは思った。
「殿下、もっと近くで見てもよろしいですか?」
前世では見たことのない珍しい形の花に興味津々になりながら尋ねた。
「どうぞ。」
しゃがんでよく見てみると、花びらはとても艶やかで大きく、それを周りで支える葉の葉脈は刺繍のように細やかだった。
「うわあ~とてもきれい」
花に見とれていると、王子も横にしゃがんでその花を見た。
「それはリカーモフラワーですね。葉脈が美しいでしょう?」
近くで話す王子の髪がアイリスの頬に触れる。
(まるで絹糸みたい。それにいい香り…どんなシャンプー使ってるのかな。)
なんとも女子高生らしい考えである。
近くで顔を見てみると、長いまつげが影を落とす薄い青色の瞳が美しく輝き、驚くほど色白な肌はきめ細かく、物語の中から出てきたのではないかと思ってしまう。
(あ、ここも物語の中のようなものか。)
まじまじと顔を見つめるアイリスには気づかず、王子は愛おしそうに花びらに触れた。
「この花は、多くの鳥を呼ぶために、大きく、美しく成長します。しかし、開花するときには、自身の茎では支えられないほど大きくなってしまうんです。」
憐れむように説明する王子に、この花はどう映っているのだろう。
権力のため、富のため、自身を飾り立て没落していく貴族か、はたまた力を欲するあまり我を忘れ命を落とした歴代の魔術師だろうか。
この一週間歴史を学んで、アイリスは、この国が決して平和に成り立ったものではないことを知っていた。
現在のこの王家と貴族のバランスを保つために、魔力を持つ者とそうでない者との争いで、今まで数えきれないほど多くの命が犠牲になってきた。
平和になってからも、現在では少なくなったが、魔力のある人のそうでない人々への差別はなくなっていない。
王子も、王家の一員として生まれてきた以上、そういった現実を多く目の当たりにしてきたのだろう。
(この幼い体で、どれだけの重圧を感じていたんだろう。)
王子の背中にそっと手を当て、アイリスは言った。
「しかし、この花には支えてくれる葉がいるではありませんか。誰しも味方はいるものです。」
自分よりはるかに小さく儚いこの少年が、今にも壊れてしまいそうで、守ってあげたいと思ってしまう。
「…この花は幸せですね。」
そうつぶやき、王子は立ち上がった。
アイリスもならって立ち上がると、かすかに水の流れる音が聞こえた。
「あら、川の音が…」
そう言うと、王子がこちらを向いた。
「アイリス様は水の魔力をお持ちですから、離れていても感じるのですね。」
「もしかして、本当に川がございますの?」
アイリスはぱあっと顔を輝かせた。小さいころから川で水遊びをしていたこともあり、川は大好きだ。
「ええ、こちらにありますよ。」
そういって、川に向かいながら歩く二人の後ろを、一つの怪しい影が通った。
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