第7話 どうやらピンチのようです

色も形も異なる草花の中を歩きながら、アイリスは川のせせらぎに耳を傾けた。


さらさらと耳の奥で心地よく流れる音は、不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。


(これも水の魔力のおかげなのかな?)


 この世界に転生してきてから、魔法というものが存在することは知っていたが、今まで一度もだれかが魔法を使っているのを見たことがない。


(私も、魔法が使えるんだよね。どんな感じなんだろう?)


力をこめれば使えるものなのか、まだアイリスにはよくわからなかった。


そういえば、王族は光の魔法が使えると聞いたが、確かその魔力を持つのは国王となる者だけのはずだ。

国王ではないものはどんな魔力を持っているのだろう。


「あの、殿下。」


「はい?」


「殿下は、どのような魔力をお持ちなのですか?」


王子が振り向いた。


「私は、炎の魔力を持っています。…あまり強くはありませんが。」


そう遠慮がちに王子は言った。

エドワード王子の炎の魔法と、アイリスの水の魔法は対になる関係だ。

あまり相性がいいとは言えない。

王子はそのことを気にしているのだろうか。


「そうなんですの。」


アイリスは何ともない風に言った。


 そのとき、グイっと後ろに強く引っ張られる感覚があった。

それと同時に、ビリっと後ろから嫌な音がする。


 振り返ると、大きな犬がアイリスを見上げていた。

ハッハッハと大きな下を垂らしながら、くりくりした丸い目をさらに丸くしてアイリスに狙いを定めている。


「な、何?」


ジリっと後ずさるアイリスの動きに合わせて、犬も一歩前に出る。


「ルーファス!なんでここにいるんだ!」


王子も困惑しているようだ。

ルーファスと呼ばれる犬は嬉しそうにワンッと吠えると、こちらに向かって飛びかかってきた。


「いやあああ!」


犬は好きだが、ここまで大きいとむしろ怖い。

アイリスは広い温室の中を逃げ回った。


「アイリス様!」


王子の声が遠くで聞こえる。だが、犬はどんどん後ろに迫ってくる。


(どうしよう!)


少し手前に大きな植物が見えた。迷っている暇はない。


アイリスは気の一番丈夫そうな蔦につかまると、えいっと体を引き上げ、そのまま一気に上に登った。




 アイリスを見失い、ルーファスは下できょろきょろとしている。


(8歳の身軽さすごい。)


我ながら自分の若さに感動するアイリス。


「アイリス様!」


エドワード王子が走ってきた。


「ここですわ!」


そう言うと、王子がこちらを見上げ、ひどく驚いたような顔をした。


(!貴族の女の子はこんなことしないんだった!)


とっさのこととはいえ、自分のしてしまったことに気付いて青ざめる。


「ルーファス、こっちに。」 


王子はルーファスの首輪をつかむと、逃げられないように自分の方に引き寄せた。


「僕が抑えてますから、もう大丈夫ですよ。降りられますか?今、手を―」


お貸しします、と言う前にアイリスはさっと地面に着地した。


 王子はまたしてもあっけにとらている。


(またやっちゃった!)


度重なる失態に恥ずかしくなるも、それを顔に出すまいと、


「な、なぜこの子は追いかけてきたのでしょう?」


と話題をそらす。


「ルーファスは放し飼いにしているときがあるので…きっと間違えて入り込んでしまったのかもしれません。」


王子はそう言うと、ルーファスの前にしゃがみ、


「女性を追いかけるのははしたないぞ。もうしてはいけないよ。」


と言ってたしなめた。

怒られてか、ルーファスは落ち込んでクウーンとないた。


王子はよしよしと頭をなでると、アイリスに向き合い、


「申し訳ありません。あの、お召し物が…」


と言った。


 背中を見ると、リボンが破けてぶら下がっている。きっとルーファスはこれを狙っていたのだろう。


ルーファスの方に目を向けると、申し訳なさそうにこちらを見ている。

アイリスはそれを見て、なんだかかわいそうになり、ボロボロになったリボンをドレスから外した。


「っアイリス様、何を!」


エドワード王子が慌てたように言ったが、アイリスはそれに対しニコッと笑うと、


「リボンくらい、どうってことありませんわ。はいルーファス。これ欲しかったのでしょう?」


そう言ってリボンを差し出した。


ルーファスは顔を輝かせると、しっぽをちぎれんばかりに振って、王子を見上げた。


王子はアイリスとルーファスを交互に見て、仕方ないというように、


「よし」


と首輪を離した。


「ワンッ」


嬉しそうに吠えると、ルーファスはリボンをくわえた。


「フフ、かわいい」


ルーファスの頭をなでると、その毛並みの良さにびっくりする。


(さすが王宮にいるだけあって、良いもの食べてるのね。)


「さあルーファス、庭園に戻りなさい。」


「ワフッ」


王子が言うと、ルーファスは満足そうに走っていった。




「あの子には、いつもここには入ってこないように言っているのですが…」


ルーファスがいなくなった後、王子が気まずそうに言った。


「気にしないでください。おかげで背中が軽くなりました。」


正直、煩わしかったリボンを外すことができてアイリスは上機嫌だった。


(ルーファスよくやった。)


心の中でルーファスをほめる。


「それよりも、殿下は大丈夫ですか?顔色が悪いですが…」


先程、アイリスたちを追いかけて走ったためだろう。体調が悪そうだ。


「あちらで休まれた方が…」


そう言って、近くのベンチを指さす。


「…ええ。」


 王子を支えながらベンチに座ると、暖かい日が差し込んできてとても気持ちよかった。


王子は息が上がっているようで、少し苦しそうにしていた。


「お水を持ってきますね。」


 そう言って立ち上がり、アイリスは入口の方へ歩いて行った。

確か入り口付近に小屋があったはずだ。




 小屋の前に着くと、先ほど入ってきた扉が目に入った。


「ルーファスはここから入ってきちゃったのね。」


王子が鍵を閉めたはずの扉は空いていた。


また何かが入ってこないようにもう一度鍵を閉めなおし、小屋に入った。




 ベッドや小さな台所のある小屋の中は、小ざっぱりとしていてきれいだった。


(誰か住んでるのかな?)


そう思いながら、小さな戸棚を開ける。一人分の食器しか入っていなかったが、コップは二人分あった。


そのうちの一つをとり、水を汲む。


(魔法の使い方がわかったらすぐ出せるのに…。)


そう思って前を見ると、座っている王子が窓から見えた。


遠くて顔はよく見えないが、具合が悪そうなのがわかる。


(急いでいかなきゃ。)


しかし、蛇口を閉めて外に出ようとするが、ドアが開かない。


「え!?」


ガチャガチャと扉を開けようとするがびくともしない。


「もうっこんな時に!」


お行儀が良いとは言えないが、今は王子のことが心配だ。


 アイリスは台所に飛び乗ると、小窓から外に出た。するとビュウッと風が吹き、ヒヤッと手の上に何かが触れた。


「!?」


驚いて見ると、小窓のへりにかけた手の上に、小さいカエルが乗っていた。


「…なんだ、カエルか。」


手の上の黄緑色のカエルはつぶらな瞳でアイリスを見上げている。


「かわいい~。」


前世のころから生き物は種類問わずどれも好きだ。

まあ、年頃の女の子にしては珍しいのだろうが。


「さっきの風で飛んできちゃったの?」


「ケロッ」


かわいらしい声でカエルが鳴いた。


「そっかそっか~じゃあ私と一緒に行こうね。」


 その時、またしても風がびゅうと吹いた。


(気のせいかな。さっきから、風が吹くようになったように感じる。どこかに穴でも開いちゃったかな。)


もしかするとこの温室は古いのかもしれない、と思いながらベンチへと向かう。


 片手にコップ、片手にカエルという妙な格好で現れたアイリスに驚きながらも、王子はアイリスを見ると笑顔になった。


「はい、どうぞ。」


「恐れ入ります。」


 そう言って水を飲んだ王子は、先ほどよりずいぶん顔色が良くなったようだ。


「…そのカエルは?」


アイリスの手に乗ったカエルを指さす。


「風に飛ばされたそうですの。川に連れて行ってあげようと思って。」


「風…?」


元気になった王子と一転、カエルは元気がなさそうだ。


「これは急ぎましょう。川はこちらです。」


立ち上がろうとする王子に、


「教えていただけたら一人で向かいますわ。殿下はここで休んでてください。」


というが、王子は「大丈夫です」と言って歩き出してしまった。


アイリスは、さっきより冷たい風で走った寒気を振り払うように、エドワード王子の後を追った。




 奥まで歩くと、温室を縦断するように澄んだ小川が流れていた。


「わあ~!きれいですわね。」


 橋の上に立って川をのぞくと、水面が日光を反射してキラキラとガラス細工のように輝いている。


「温室の中にこんな素敵な小川があるなんて!」


この世界に来て初めての川だ。

アイリスは前世を思い出して心が躍った。


「この川を引いてくださったのは、現メルキュール公爵ですよ。」


「え、お父様が?」


意外な事実に驚くアイリス。


「はい。公爵の水の魔法で、近くの川から引いていただいたのです。」


(魔法って、そんなこともできるんだ。)


「私もいつかできるでしょうか?」


「ええ。アイリス様なら。」


優しい子だなと思いながら、アイリスは微笑む。


「…ケロ。」


手に乗ったカエルが弱々しくないた。見るとだいぶ弱っているようだ。


「あ、ごめんねケロちゃん。今返してあげるからね。」


「ケロちゃん?」


「はい。前世の…じゃなくて、ケロッとなくので、ケロちゃんです。」


小さいころ育てていたカエルの名前を付けたのだが、安直過ぎだろうか。


「…かわいいですね。」


王子がこちらを見つめながらつぶやいた。


「この子にぴったりですよね。」


そう言うアイリスに、王子はふっと笑うと、


「まあ、そういうことにしておきましょうか」


と言った。


「?」


アイリスは意味が分からずしばらく考えていたが、


「ケロ」


催促するケロちゃんにハッと我に返った。


「ごめんごめん。はい、どうぞー。」


そう言って、アイリスはしゃがんでケロちゃんの乗った片手を川に差し出す。


ピョンっと小川に飛び込んだケロちゃんは、水の中で嬉しそうに泳ぎ回った。


「バイバイ、ケロちゃん。」


 そう言って、立ち上がろうとしたその時、今までにないほどの強風が吹き荒れ、アイリスの体はふわっと宙に浮いた。


「!?」


何が起こったのかわからないまま、空中に投げ出されるアイリス。


ごうごうと、耳元で音が鳴っている。


「アイリス様!」


スローモーションのように、視界の端でエドワード王子が手を伸ばしかけるのが見えた。






 彼の手がアイリスをつかんだ瞬間、バシャンっと水しぶきを上げ、二人は川に落ちた。






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