第3話 温泉での一悶着
リトが温泉に入っている間に、ミリエルは温泉に浸かっていたときに見えた峡谷に向かった。
峡谷に、岩がせり出して屋根のようになっている場所があれば野営にちょうどよいと考えたからだ。
峡谷に来てみると、
(これなら雨は避けられるし、マントを使えば風除けにもなるだろう……)
期待していた通りのちょうどよい野営場所を見つけたと思い、ミリエルはいい気分になってリトを呼びに温泉に戻った。
ミリエルが見つけた峡谷の入り口と温泉の間には大きな岩があり、温泉に行くにはその大きな岩を回って下って行くことになる。
そして、ミリエルがその大きな岩回って温泉に向かうと、ちょうど湯から上がったばかりのリトと鉢合わせしてしまった。
そう、鉢合わせしてしまったのだ。全裸で仁王立ちしているリトと……。
どうやら彼はミリエルがどこに行ったのかが気になって、湯から上がり膝丈ほどの岩に乗って遠くを見ようとしていたらしい。
そこへリトからは死角になっている大きな岩の影からいきなりミリエルが出てきたのだ。
ミリエルからすれば岩を回ったら目の前にリトが、岩に乗っているため腰の位置がちょうどミリエルの顔の高さになっているリトがそこにいたことになる。
その時ミリエルは、一瞬なにがあったのか理解できなかった。
「あ……」
同様にリトも、どう反応すればよいのか分からずに固まってしまった。
時間が凍りついた。
「!!」
やっと状況を理解したミリエルは月明かりでもそれとわかるほど顔を真っ赤にして目を大きく見開いた。
「や……やぁ、ミリエル。おかえりぃ――……」
リトは頭をかきながら気まずそうな笑顔で言った。
「せめて……」
うつむいたミリエルは声を絞り出すように言った。
「ん?」
リトが問い返す。
「せめて……隠す素振りだけでもしろぉぉぉぉーーーー!!」
ミリエルは大声で叫びながら輝く両手を天に掲げ魔法を発動しようとした。
「わぁーーーーやめろミリエル、それはやめてくれぇぇーー俺が男でなくなるぅぅーーーー!」
咄嗟にリトは股間を両手で防御した。しかも反射的に魔力バッファを両手にかけて。
火山帯の温泉地という状況は豊富な魔力エネルギーを二人に供給してくれるらしく、もしこのまま二人の力がぶつかりあったら周囲一帯が吹き飛んでいたことだろう。
『落ち着きなさい、ミリエル』
頭に血が上ったミリエルに声が聞こえた。
(誰……?!)
まさに魔法を発動せんとしていたミリエルは動きを止めて首を巡らせて周囲を見た。
しかし、彼女とリトの他には誰もいなかった。
(……空耳か?)
再度ミリエルは魔力を充填しかけた。
『やめるのよ、ミリエル』
今度は先ほどより心なしか厳しく感じる口調で声が聞こえた。
(空耳ではない……)
それは、今までにミリエルが聞いたことのない声だった。
今は亡きミリエルの母親の声とも違っていた。ミリエルの母親は明るく快活でどちらかといえば高い声で話す女性だった。
しかし、今聞こえた声は落ち着いて、やや低めの声で話す女性の声だ。
それは、長い年月を生きた重みを感じさせ、それでいて若々しさも感じる、そういう不思議な響きの声だった。
目の前のリトはというと、ミリエルからの魔法攻撃に備え必死で防御の姿勢をとったままで、その表情を見ると、どうやら女性の声は聞こえていないようだった。
ミリエルはゆっくりと両手を下ろして気持ちを落ち着けるように深呼吸をした。
「おお……思いとどまってくれたか、よかったよかっ……」
魔力を鎮めたミリエルを見てリトは安心して股間を防御していた手を上げかけたが、
「はっ……!」
と、ミリエルの鋭い視線に気づき、手を元に戻してそそくさと脱いだ服を置いておいたところへと避難した。
そんなリトを横目で見ながらミリエルは今しがた聞こえた女性の声のことを考えていた。
(幻聴だろうか……それとも私の頭が変になってしまったのか……)
「不思議な声が聞こえる」などと人に言ったら、ほぼ間違いなく頭がおかしくなったのではないかと思われてしまうだろう。
『幻聴でもないし、あなたの頭がおかしくなったわけでもないわ』
今度ははっきりと聞こえた。
間違いない。
果たしてこういう場合、問い返していいものかどうか判断に悩むところだ。
正直なところ怖くもあったが、ミリエルは思い切って問いかけてみることにした。
(あなたは、誰?)
ミリエルが問う。
『その質問への答えは難しいわね』
そう女性は答えた。
(難しい?)
『私には名前はないの』
(名前がない……?怪しい……怪しすぎる……!)
ミリエルの警戒心が最大値に達した。人の頭の中に直接話しかける魔術か何かだろうか?そのような魔術も魔法もミリエルは聞いたことが無かったが……。
『怪しく思うのも当然ね。今のところはここまでにしましょう。それと……』
(それと?)
『明日あなた達はある人に出会うことになるわ。そしてその人の話をよく聞くこと』
(ある人って?)
ミリエルは問い返したが、それ以上は女性からの返答はなかった。
そこへ衣服を着たリトが戻ってきて不安げに言った。
「……まだ、怒ってるか、ミリエル?」
謎の女性(ミリエルは頭の中に直接話しかけてきた声の女性を暫定的にそう呼ぶことに決めた)とのやり取りに気を取られて、リトの接近に気づかなかったミリエルはがはっとする。
「……ん?ああ……もちろんだ。そう簡単に許せるわけがないであろう……」
と、厳しい言葉を並べてはいるが実際のところ口調は平坦で、もうどうでもいいといったように聞こえる言い方であった。
「そ、そうか……すまん」
リトはミリエルの反応に少なからず戸惑ったが、そこは深く追求しないことにした。
「それよりも、リト……」
ミリエルは謎の女性のことを彼に話そうかとも思った。
が、やはり「声が聞こえる」などと言ったら、大雑把で細かいことにこだわらないリトであっても、さすがに怪しむだろうと思い、この場は何も言わないことにした。
「ん、なんだ?」
「あ、いや……野営だ。さっき峡谷の入口辺りにちょうど野営ができそうな良い場所があったのだ」
「おお、そりゃあいいな!」
「うむ。とりあえず一晩くらいなら問題なく過ごせそうに見えた」
「よし、早速行こうぜ!」
つい今しがたのドタバタはどこへやらといった感じで、二人はミリエルが発見した峡谷の野営候補地に向かった。
『……』
そんな二人の様子を好ましく見ているかのような『謎の女性』の満足げなため息は、この時のミリエルに聞こえなかった。
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