貴婦人

最近の若者はこぞって高いキラキラとした時計を買いたがる。それは自分の財力の見せ所なのだろう。私はシンプルな白黒の文字盤に革張りのバンドの時計が好みなのだがもう時代遅れということなのだろうか。


時代がすぎても私の店は毎晩開く。今日も店先の看板を「CLOSE」から「OPEN」に変えて客を待つ。と言っても毎日来る訳でもないし、来るとしてもいつかの少年のように開店直後に来るとも限らない。

だから私は店を開いている時間のほとんどを読書で消費している。

今日読むのは「西の魔女が死んだ」。

私の客の中にも中学生時代を思い出しにくる人もいるからそういう人たちと重ねて見ても面白い。

他人の人生と比べてみたりするのはこの仕事をやっているからこその本の楽しみ方だな。そばの柱時計が22時を告げた頃扉が開いた。


「すみませんやっているかしら?」

立っていたのは貴婦人だった。しかし背筋をピンと伸びておりいかにも厳格そうな雰囲気をまとっていた。

「いらっしゃい」

「いきなりですみませんけど、ここって時計を持ってくれば記憶を見せてくれるのよね」

「ああ、お客さんの時計であれば」

この店も有名になったのだろうかと少し嬉しい気持ちになった。リピーターはいないがこうやって口コミで広がってくれるのはいい事だ。歩き疲れているようだったので私が椅子を出すとありがとうといって行儀よく座った。

時計を扱うのに周りに柱時計しかないので不思議そうにしている。


「この時計なのだけど」

婦人が見せた時計は革のベルトにシックな色の文字盤。そして小さな秋桜コスモスの飾りが華やかに文字盤を彩っている。私の好きなタイプの時計だ。さっきまで厳格そうな目つきはこの時計を見る時は柔らかになっていた。

「いい時計だ」

「でしょ?私のお気に入りなの。学生の頃から直しながらずっと使っているの」

「あれ、この秋桜黒いのか」

「秋桜は白やピンクだけじゃないのよ。この秋桜はチョコレートコスモスと呼ばれてて、これはその秋桜をかたどった飾りなんですの」

時計について話すときはどこか楽しそうだった。いくつくらいか分からないが学生の頃からということはかなり長い間使っているものらしい。


「それじゃついてきな」

婦人はゆっくりと立ち上がり私に着いてきたが動きがぎこちない。元気そうに見えても老いには勝てないようだ。

仕事場に着くとようやく道具などが見えたので安心したようだ。私は婦人から時計を受け取り作業を始めた。

「そういえばここにある時計は店先にあった柱時計だけですの?」

「いや、他にもいくつかあるが全部古かったり盗難されると困るから他のところに保管してある。全て私にとって大切な時計で、大切な記憶だ」


そしてようやく出来た。私は婦人に最後の確認をした。

「見せるのはあんたにとって悲しいものかもしれない。もしかしたらもっと辛いものかもしれない。それでもいいか?戻るのなら今しかない」

婦人は一瞬悩んだような顔をしたがすぐに覚悟を決めて頷いた。

私は時計の竜頭を押した。

流れた映像は婦人の学生時代のようだ。

シワのない綺麗な肌にセーラー服。いかにも昔の女子高校生と言ったところか。そばには背の高い男が立っている。優しそうな顔をしていてお互いに好いているようだ。


「あの、美智子さん。今日誕生日ですよね。こ、これ良かったら」

男は彼女にこの時計を彼女にプレゼントした。貰っている方もあげた方も照れて赤面している間に流れている空気は若々しく甘やかで儚い雰囲気を持っていた。そして時は過ぎて1年先輩だった男が卒業する日、彼女は別れを告げられた。理由はあまりにも理不尽で彼女は泣いて泣いて泣き続けた。

そこで映像が止まった。

婦人は泣いていた。しかし涙は一滴も出ては来なかった。

「おかしいわね。もうあの時から何十年も経って涙が溜まる頃だと思ってたのに、まだまだなのね」

「どうだったか。後悔はなかったか」

「ええ、やっと思い出せたわ。傍から見ればあの記憶は悲しいもので私にも当然悲しい記憶なんだけど、あれを見た時とても嬉しかったわ。ありがとう」

婦人はない涙を拭って答えた。

婦人は来る前よりも少しだけ柔らかい顔をして扉を開けた。

「ところでこのチョコレートコスモスの花言葉はご存知?」

「いや、そういうのには疎くてな」

「チョコレートコスモスの花言葉は『恋の終わり』『恋の思い出』そしてもうひとつは、フフフ。彼がこの意味で送ってくれたんだと願いたいものね」


婦人は最後まで教えてくれなかった。

今回はきちんと仕事をこなすことができてよかった。これからも小説を読みながらゆっくりと必要とする客を待つのみである。

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