第9話・ホール達3
『お待ちのお客様居ません。看板をCloseに返します』
やっとインカムから支配人のその言葉が聞こえてきたのは、延長営業から40分くらい経ってからのこと。
丁度、卓から下げた物をパントリーの洗い場に回していた時。
(もうそんな時間だったんだ…)
腕時計を見て、ようやく私は肩の力が抜けるのを感じた。客席に座っているお客様は、まだフロアの半分くらいはいらっしゃるのだけれど。
でも、もう料理は大体出終わっているし、後はデザートか、お会計か、のお客様が多い。
料理を出して、という点滅も、ひっきりなしに動き続けていたダムウェーターも、もうすっかり静かになっている。
「宮原っ、おつかれ!」
「涼香…。あんたなんでそんなに元気なの?」
私より先に手が空いていたらしい涼香が、洗い終わったカトラリー類を拭きつつ、今朝と変わらないテンションでいた。私はもうお客様の前でしかにこやかになれないくらい、疲れているのに。
「今日のタカヤマダさん所の男の子、可愛く無かった?」
「あー、お父さんのラーメンがとかって言ってた子?」
「私、担当のテーブルだったんだけど、すっごく礼儀正しくて可愛かったんだよねー。もう、思い出したら疲れもふっとぶ、って感じ?」
忙しかった中に一緒にいたはずなのに、涼香の顔はハツラツと輝いてる。
なんだろう。今朝もこんなことを聞いたような気がする。同期入社したけれど、涼香の好みは未だによく判らない。
「確かに良い子っぽかったけど、私には効き目ないわ。それよりお腹減ったー」
そりゃ、あの忙しい中の一瞬だけ、ホッとはしたけど。
本音を零しながら、涼香の隣に並んで、私は洗い上がっているグラスを拭く。ちゃんと拭いてキレイなグラスでないと、お客様には出せないのだ。
他のホールスタッフは客席を回っていたり、明日の最終予約を確認しに行ったり、消耗品の補充をしている頃なのだろう。
店の顔であるホールスタッフの、地味な仕事をまったり出来る時間。それは息抜きができるささやかな時間でもあったりする。
もちろん、ちゃんと仕事をしながらだけど。
「明日の予約出たよー」
「大和さん、お疲れ様です」
「お疲れさまです」
5年先輩の、背の高くてすっきりした顔立ちの大和さんがパントリーに入って来る。この先輩はお客様の前とパントリーとで、180度くらいキャラが変わる。
「さすが、ゴールデンウィークだよ」
ほとんど無表情な顔で言って、予約の紙を貼り直す大和さん。きっちり結んだ黒髪のせいで、その横顔はきつねそっくりだと私は密かに思っている。
「うわー、真っ黒ですね」
予約表を見たのだろう。涼香の声。真っ黒、という事は予約が埋まり切っている、という事だ。
「数える気にもなれないわね」
大和さんも言う。私は、見る気にもなれない。
「かっせぎーどきー」
(どこまでタフなんだろう)
歌うような涼香に、そういえばゴールデンウィークは始まったばっかりなんだった。そうだった。
(明日は忘れないで栄養剤持ってこようっと…)
涼香みたいにお客様を見て疲れを飛ばせない私は、せいぜい明日を思って溜息を飲みこむくらいしかできなかった。
まだまだ、先は長い。
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