第8話・エレベーター前


「ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」


高崎は、エレベーターから降りてくるお客様が会計を済ませるのを見届け、頭を下げた。まだ、順番を待っているお客様は多い。列は随分短くはなっているけれど。


(1階に3組、5階に1組ご案内できるな)


個人カウンターに密かに設置しているモニターを見て、高崎は考える。そのモニターには、リアルタイムでどのフロアのどの客席がご案内可能か表示されるようになっているのだ。そうして、どこにお客様をご案内するか考えるのが高崎の役目である。


お待ちのお客様、と名前を呼ぼうとした時、ホール用チャンネルに合わせている右耳のインカムが喋った。


『3階、高山田様お帰りです』


『了解です』


出かかっていた言葉を飲みこんで、別な言葉を吐いた高崎は、動いたエレベーターが到着するのを待つ。


見送った時と同じように、チン、と音を立てて到着したエレベーターから降りてくるのは顔なじみである50歳代後半の女性と、その娘夫婦、そうして男の子の4人家族。


「ありがとうございました。高山田様」


「美味しかったです、ごちそうさまでした」


「ありがとうございます、秀貴くん」


ちゃんとお礼を言いなさいね、と躾られているのだろう男の子の、まるでお遊戯会の時のような喋りに、高崎は笑顔で応える。


「デザートまでサービスして下さって、有難うございました。タンさんにも言っておいたのですが、谷原さんによろしくお伝え下さい」


「でしたら、直接どうぞ、美鈴さん」


「いえ、今はさすがに…」


娘さんに言えば、元調理場にいただけあって、今の惨状が想像できているらしい。やんわりと断られる。その旦那さんに目が合うと、軽く会釈を返された。


「じゃあ、営業の邪魔になっちゃいけないので、私達はこれで失礼するわね。明後日にでも、陣中見舞い持ってくるから」


「いつもお気遣いありがとうございます」


早々に会話を切りあげる彼女に、素直な心情を表す。辞めてから5年以上は経つのに、この人は未だにここで働いているスタッフが何かと気にしてくれているのだ。


お会計へと流れて行く幸せそうな家族を一度頭を下げて見送ってから、先程飲みこんだ言葉を改めて吐き出す。


「4名でお待ちのサトウ様、6名でお待ちのイケダ様、3名でお待ちのスズキ様。お席のご用意ができました。ご案内致します」


ようやく名前を呼ばれて表情を緩めるそれぞれのお客様を各フロアに案内して、高崎は手元のウェイティング表と事前予約表を確認する。


各フロアの状況を把握して、待っているお客を客席に的確に案内するのが高崎の仕事。間違いの許されない重大な役割である入口の司令塔は、待っている客の組数を改めて数え直した。


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