第5話・ホール達2

『只今、お客様2時間待ちです』


『1階より。お客様お帰りです。4名様2組、ご案内できます』


『了解』


ホール用インカムでは、途切れることなく情報のやりとりが流されている。


(やっぱり1階は回転が速いか…。)


お客様のオーダーを専用のハンディーに打ち込みながら、思わず思いだすのは入社したての頃…。


そういえば、今年のホールの新人ちゃんの中で1階に回された子ってまだいないんだっけ。


ただでさえ人少ないから、あんなとこやらせて即辞めされたら大変だもん。ハンディーをエプロンのポケットに仕舞いながらそんな事を考えた。


この3階だって、決して暇な訳じゃない。最大で6名掛けの席が全部で20席以上ある上、そのほとんどが埋まっているのだ。お客様がいない席は、予約席か、お帰りになったばかりかだ。


さっきからパントリーの出入り口の天井近くにこっそりと設置された信号が、ひっきりなしに光っているし。料理が出来たぞ早く持っていけよ!という厨房からの怒鳴り声のように見えてしまう。


「ご注文承りました。少々お待ち下さい」


私は苦笑いしそうなのを、なんとか接客用スマイルに変えて頭を下げると、お客様の席の間の通路を通る。


パントリーに戻って、料理を運ばなくちゃ。私の他に何人もホールの人間はいるが、お客様の対応をしていたり、料理を出しに行っていたり、下げ物をしなくてはいけなかったりと、皆それぞれやらざるを得ない事をしている。


(熱い料理は熱いうちに。冷たい料理は冷たいうちに)


店の第一の社内規定は、体に染みついているけれど。いくら頑張っても越えられない壁がある。


「すみません!」


「はい只今」


(もうちょっとだったのに…!)


けど、お客様に呼び止められては仕方ない。


声の呼んだ方を振りかえって、お客様の傍で腰を折った。立ったままではなく、なるべく目線を同じようにすること、というのはホールチーフのタンさんの口癖。


呼びとめたのは、二人でご来店された女性のお客様だった。


「あの、注文お願いしたいんですけど」


「かしこまりました。ご注文お伺いいたします」


にっこり営業スマイルを浮かべて、さっきしまったばかりのハンディーを取り出す。卓の上に広げられているメニューを見れば、デザートのページを開いている。


(5卓様にデザートの追加、っと)


商品をお客様に言われる前にちゃちゃっとできる作業をしながら耳を傾ける。


「えっと、この杏仁豆腐と、特製杏仁豆腐の違いって何なんですか?」


「そちらはひし形に切った杏仁豆腐を、例えるならフルーツポンチ仕立てにしたものでして、特製になりますと、プリンのような滑らかな食感の特別製杏仁豆腐になっております」


写真の無いメニューに対する質問に対して、具体的に説明するのも、私達ホールの仕事だ。お客様はそうなんですか、と少し悩んでからじゃあ、特製の方で、とおっしゃった。


「あと、このマーラーカオ一つでお願いします」


向かいに座る黒髪の女性も、注文を口にする。


「かしこまりました。特製杏仁豆腐と、マーラーカオで御座いますね。少々お待ち下さいませ」


確認しながらハンディーに打ち込む。そうしてお客様にきちんとあたまを下げてから卓から離れた。


ハンディーに目を向けたまま、卓から離れない。ちゃんとお客様の顔を見てから離れること!というのも、タンさんからの教え。


ちなみに、料理全部が4階の厨房で作られるわけではなく、デザートだけは1階のパントリーで仕上げられる。盛り付けくらい、ホールでもできるだろ、という料理長の考えで、1階は本当に忙しい。思い出すだけでげんなりしてしまうくらいに。


(さて、料理、料理っと…)


さっき目の端で二人くらい料理を持ってパントリーから出てきたのを見てたけど、今日の4階のダムウェーター前に居る人は不慣れらしい。タイミングがずれてるせいでまとめて送ってくれないものだから、タイムロスが産まれてる。


(どうせならまとめて上げてくれたらいいのに)


まあ、多分新人君が頑張っているんだろうけど。判ってはいるけど、皆私みたいに、微かにイラついていると思う。


「おねえさん!」


「はい、何でしょうか?」


(あーあーあー…!)


仕方ない、仕方ない。お客様がお呼びなのだから仕方ない。私は満面の営業スマイルを浮かべて声のした方に足を向ける。


「あのね、お父さんのラーメンがまだ来てないんです。いつ来ますか?」


「ラーメンでございますか?」


向かった先は、一か月以上前から予約で席を取っていたタカヤマダ様のお子様。ラーメンって言ったその子のいる卓には、結構色んな料理が出てる。


申し訳ございません、少々お待ち下さい?それともお子様相手だから…。なんて反応をしていいのか一瞬考えた私に、お父さんと思われる男の人が頭を下げた。


「すみません。…こら、ヒデ。お姉さん忙しいんだから駄目じゃないか」


「だって、お父さんのラーメンがまだ来ないんだもん。僕のチャーハンは一番に来たのに」


(なるほど、そういうことね)


この店では、お子様用のご飯モノは早めに出すようにしているのだ。お腹が空いたと言ってぐずってしまわないように。今は昼時で、多分一階が混んでいるから、ラーメンなどの一つですぐに食事が済むような物の注文がたてこんでいる頃だろう。


私はなるべく、男の子の目線に合わせて身を屈める。


「お待たせしてしまい、申し訳御座いません。どういったラーメンをご注文でしたか?」


「えっとね、お野菜がたくさん乗ったラーメン」


人見知りというのを知らないらしい男の子は、良い声ではっきりと教えてくれる。


野菜炒めラーメンか、五目麺かな。だったら、そんなに時間はかからないと思うんだけど…。


とその時。こちらに歩いてくる涼香の様子が見えた。そのトレンチにはラーメン丼らしきものが乗っている。


(もしかしてあれじゃないかしら)


周りのお客様はこのお客様よりも遅く入っていたから、もしラーメンを注文していたよりも、この卓よりも先に出るような事はしないはず。


私は、男の子ににっこりと笑いかけた。


「只今お持ちいたしますね。お待たせしてしまいまして、大変申し訳ございません」


お父さんらしき人にも頭を下げている間に、涼香が卓の近くにやってきた。


「大変お待たせしました、五目麺で御座います」


よく通る声で言ってから、涼香はトレンチに乗せていた五目麺を置いた。きっと会話が聞こえていたのだろう。口元がにやにやしている。


「お父さん、良かったね、ラーメン来たよ!」


「すみません。お騒がせして…」


若い女の人、多分男の子のお母さんが謝って男の子に静かにしないと、と言ってたしなめている。なんて和やかな家族だろう。どうぞ、お食事をごゆっくりお楽しみ下さいと、素直に思えるお客様方だ。忙しい中で、こういうお客様の接客をすると少しだけホッとする。


「いえいえ、では私は失礼致します」


後は任せた、と涼香に目配せしてようやく私は卓から離れることができた。


お話好きなお客様も、今みたいに悪気なく注文の料理が届いていないとおっしゃるお客様も、色々なお客様が居る。


それでも、ちゃんと対応するのが私達ホールの仕事。


(これでホールの料理を出すのが遅いっていうんなら、もう少し人増やしてよ!ゴールデンウィークはいっつもこうなるじゃない!)


どうしても越えられない壁に、私は心の中だけで叫んで、顔だけはにこにこさせながらパントリーに急いだ。




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