第4話・厨房にて2

昼時を過ぎた厨房では、あちこちで男達の猛々しい怒号が飛び交っていいた。


「炒飯用の飯回せ!」


「ラーメンスープ追加のラーメンスープできたぞ!」


「蒸してる魚、あとどんくらいだ!?」


「あと五分です!」


「盛り付け崩すな!雑に運んでんじゃねえ!」


「すんません!!」


鍋の男達が振る中華鍋の中で煽られる食材達の音。


大きな蒸し庫の閉じきれない扉の隙間から漏らす蒸気。


湯気を吐くラーメンスープの入った火傷しそうに熱そうなどんぶりを、眉ひとつ動かさずに運ぶデシャップの先輩。


それを横に見ながら、音を聞きながら、今年入りたての見習いの一人である渡は厨房の中を走り回っていた。


走りさる中で、炒飯用に炊き上げている米が1升は入っているバットを、3番鍋の伊藤の方へ押し出す。


「おう!」


伊藤は、1番2番鍋の人間が使うよりも大きな鍋で大量の炒飯をひたすら作り続けている。軽く考えても、この午前中だけで100食は優に超しているはずだ。


「ぼさっとしてんな渡ィ!早く次の飯炊いて来い!その後もやることあるんだろうが!」


「ハイっ!」


すぐ後ろ、板の中島に怒鳴られ、渡は慌てて元きた道を走って帰った。


壁に向かってひたすら鍋を振り続ける厨房の花形、その花形達が作った料理を運んだり、板からの食材を回したりするデシャップ。


そのデシャップが動き回るその背後に、飾り切りの野菜や肉を切ったりする板達がいる場所がある。


その板達の後ろを通っていく渡。その板の更に奥、渡から見て右手に独特の空間を描く前菜部隊と、間に壁を挟んで向かい合うようになっている点心部隊。


この二つはさっきから注文伝票が止まらずに、ぶらりと紙がいつも垂れ下がっている状態だ。垂れ下がりすぎて床ぎりぎりになっている。


厨房のだれもかれもが、息つく暇なく動き続けている。


つんのめるように自分の持ち場に帰り着くと、渡は手早くボウルに精米を測り入れた。


その量4升。それを三分で研げとボスに言われている。


額に汗をかきながら、必死に渡は手を動かした。この後には見習いでも切らせてもらえる野菜を切るように言われている。


白菜3玉、青梗菜1箱、タァ菜2箱。朝の仕込みの時に同じ量を切って、仕込み籠一杯にしたはずなのに、板周辺にはもう空の仕込み籠が置かれている。


渡と今年の4月に同期で入った人間は、他に3人いた。


一人は点心部隊でめまぐるしく動き回って、一人は料理を各階に送る三台のダムウェーターの前でそれこそくるくる働いている。


最後の一人は昨日の段階ではまだいたはずだ。しかし、先輩方が今日の事をどれだけ忙しいか語って聞かせてくれてから、今日の今まで姿をまだ見ていない。


つまりは、野菜を切ったり、米を炊いたりという雑用ができるのは渡しかいないのだ。


研ぎ終えた米を4升炊きの大型炊飯器にセットして、火を着ける。


一つの炊飯器が炊けるまで30~40分はかかる。その時間は、自分で調理場の時計を見ながら確認しなくてはいけない。


ちなみに、米を炊き損ねるのは店の死活問題にかかわるので、失敗は許されない。今スイッチを押した炊飯器の他にも、まだ3つ炊飯器がある。


まだ炊きあがりまで時間があるだろうか、と渡が調理場の時計を見た時、その下では谷原が難しい顔をしてインカムを聞いていた。その眉間に深すぎる皺が刻まれた、その瞬間だった。


「ウェイティング2時間待ち!お前ら今日は何回転目標だったか忘れたか!?ホールの連中が料理が出てくるのが遅いせいだってわめいてっぞ」


吠えた谷原に、一番鍋としてフカヒレの姿煮込みを仕上げていた藤村も呼応する。


「てめぇの仕事がおせぇんじゃねえのかっ!浜本!ちんたらちんたら鍋振ってんじゃねえぞ!泉、もっときっちり動け!料理送る場所なんべん間違えてんだ!冷めた料理は出せねえんだぞ!?」


「すんません!!」


副料理長でもある藤村が的確な叱責を飛ばすと、4番鍋の浜本とダムウェーター前の泉が大声で謝る。


「高山田サンとこはお子様連れがいんだからな!インカムで聞こえてっだろうけど、炒飯一番先に出せ!伊藤!!」


「今上がりッス!」


ジャっという音と共に、八角型の更にこんもりと山を作って炒飯が盛られる。


「さすが伊藤だ!おら、野郎共ォ!あいつの後に続けぇ!!」


「ウッス、着いてくッス伊藤さん!!」


谷原のユーモアに、周囲の精鋭達も必死の顔に少し微笑を浮かべて動きを早くする。


並んでいる人達が全員待っていてくれる保証などどこにもない。それなら、少しでも待ってもらう時間を縮めるくらいしかできないのだ。


料理を一分でも早く作って、一分でも早くホールに届け、速やかにお客さんに届けることしか。


飯店4階の厨房で、彼らはそのスピードの限界を超えようともがき続けていた。





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