第2話・ホール達


『営業開始五分前です。ホール担当者達は、お客様のお出迎え準備に入って下さい』


ホール用インカムから聞こえてきた言葉に、私は周りの仲間と目を合わせて頷いた。支配人から言われるまでもなく、準備を整えた私達はフロアのエレベーターから続く廊下にきちんと整列している。


隣の涼香が、にやにやしながら私を小突いた。


「ね、宮野。キッチン用インカム聞いた?今日も谷原さん吼えてるわよー」


「よくあんた朝っぱらからキッチン用聞いてられるわね。私は営業スタートしてからでないと聞く気が起きないのに」


何が楽しいのか判らないが、涼香はいかつい料理長の怒号を楽しむのに、わざわざ営業前からキッチン用のダイヤルに自分のインカムを合わせている事が多い。


私はここに入社してばかりの頃、知らずにたまたま料理長の怒鳴り声をインカムから聞いてしまってからというもの、自分から進んで聞く気にはなれなくなっている。


「あんたたち、あんまりおしゃべりしてないで身だしなみ整えなさい。特に篠原、ネーム曲がってる」


私達の不真面目なおしゃべりが聞こえてしまったらしく、3階フロアのホールチーフであるタンさんが、切れ長の目を釣り上げている。指摘された涼香は、慌てて胸元のネームを正した。


いつもは気さくで優しいタンさんだけれど、今日ばかりはさすがにピリピリしているのが判る。


この黄龍飯店に入って2年。今年で3年目になった私は、まだまだこの日は怖い。けど、入社した年に一番忙しい1階フロアのホールを経験させられたせいか、あの時と比べれば…という心の支えがあるのでまだ耐えられる、かな?


ふと目にした腕時計の時間に、心臓がひくりと動いたけれど、それを誤魔化すように深く深呼吸を一つ。


『営業開始致します。お客様、ご来店です』


インカムの落ち着き払った声と共に、目の前のエレベーターが動き始めた。ついに始まるのだ、この日が。


「みんな」


エレベーターは、今1階にある。タンさんが小さな声で私達3階ホールスタッフを呼んだ。皆で10人ちょっとは居る。


「笑顔を忘れずにね」


「ハイ!」


エレベーターが2階へ動いた。この中に、お客様達がいる。


「今年も生き残るわよ」


「ハイ!」


エレベーターが、ついに3階で止まる。ウィン、とエレベーターのドアが開いた。見えたお客様達に、口は条件反射に笑みを形作った。


「いらっしゃいませ、お客様」


お辞儀をしながら、私はしみじみと思わずにはいられない。


今日もこの日…ゴールデンウィーク初日が来たのだな、と。




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