Episode 12-21 男の在り方、女の気持ち

 結局、雇われの身の最終日は何事もなく終わり、夕刻にヘルムートをコンラートの屋敷へと送って今回の仕事は終了となった。


 別れ際においても、ヘルムートの態度は非常にあっさりとしたもので、特に何事かを言う訳でもなく又三郎と別れた。男に対しては自ら積極的な興味を示さない、いかにもヘルムートらしい態度であったとも言える。


 仕事を終えて報酬を受け取る際、コンラートは何度も又三郎に頭を下げて礼を述べた。


「なにぶんあのような性格の父ですから、供廻ともまわりをしていただくのも随分と大変なことだったでしょう」


 コンラートの言葉に、又三郎は苦笑をもって返すことしか出来なかった。


「まあ何とも破天荒な御仁ではあられたが……最後に一つ、お尋ねしてもよろしいか」


「はい、何でしょうか」


「コンラート殿の御母堂ごぼどうはヘルムート殿の七番目の奥方で、ヘルムート殿には十一人の奥方がおられるとお聞きしたが、そのことについてコンラート殿はどう思われているのだろうか?」


「と、申されますと?」


 不思議そうに首を傾げるコンラートの様子に、又三郎はやや気まずそうに鼻の下を右手の人差し指で撫でた。


「いやなに、あれだけ女子への関心が強いお方が御尊父であられると、ご家族の皆様方もなかなかにご苦労をなされているのではないかと思いましてな」


 又三郎の言葉に、コンラートは苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべて答えた。


「父と母とのなれそめは、この街で日々の生活に困窮していた当時の母に、父が声を掛けたことが始まりだったと聞いています。母は自分が父の七番目の妻になることにも、その後も父に新たな妻が増えたことにも大層驚いたようですが、そのことで父の母に対する愛情が変わるようなこともなく、常々から母は父に感謝し、父を心から愛していたようです」


「……」


「父が己の才覚で、数多くの女性やその子供達に幸せを与えてくれたことについては、私も尊敬の念を禁じ得ません……かといって、私は父の真似をしようなどとは思いませんがね。傍目はために見ればただの女好きのようにも見えますが、父のような生き方は、なかなか出来るものではないのでしょう」


 又三郎には、返す言葉が見つからなかった。ヘルムートはその言葉通り、常に相手のすべてを飲み込む度量をもって女達へと向き合っているのだろう。コンラートの言う通り、とても自分には真似が出来そうにない。それは一つの「男の強さ」とも言えた。


 コンラートの屋敷を後にした又三郎は、懐手ふところで姿で街の大通りを歩きながら、ここ数日の出来事を思い返した。


 ヘルムートには何かと振り回されることが多かったが、教わった事もまた多かったように思う。又三郎がこれまで貫いてきた新選組の士道では、女は里心の一つであり、士道とは相容れぬものとされてきた。その士道では示されなかった男の在り方の一端を、ヘルムートが紳士道という形で示してくれたのだろう。


 それにしても、この五日間で様々なことがありすぎた。まるで春の嵐のようだった――そんなことを考えながら道を歩いていると、突然聞き覚えのある声に呼び止められた。


「ようマタサブロウ、久しぶりだな……って、何だかしけたつらしていやがるなぁ、おい」


 そこに立っていたのは、長く伸ばした黒髪を頭の後ろで無造作に束ねた剣士の男だった。その傍らには、細い金糸のような長髪と長い耳が目立つ小柄な娘が立っている。


「やあ、ロルフ殿か。それにシャーリィ殿も、久しいな」


 思わず又三郎が声を上げると、シャーリィと呼ばれたエルフの娘がにっこりと笑った。


「ハイ、マタサブロウ。元気にしていた?」


「こちらはまずまず、といったところか……ところでお二方、このような場所で一体どうなされた?」


 又三郎の問いに、ロルフがニヤリと笑った。


「なに、これからカリムのおっさんと一緒に、三人で酒場へ繰り出すところだったんだが……どうだ、お前も一緒に来るか?」


「無理にとは言わないけれども、貴方とは積もる話もあるし、お酒の席は賑やかな方が楽しいわ」


 シャーリィも、軽く両手を打ち合わせてにこやかに笑う。


「いや、それがしは」


 又三郎は一瞬躊躇ちゅうちょしたが、此度こたびの依頼においてはカリムの助力を得ていたことを思い出し、ややあってから答えた。


「ふむ……カリム殿には一言礼を言わねばならぬところだったし、たまには酒の席もよろしかろう。喜んでご同道させていただく」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 だが後になって、又三郎はこの酒の席に同席したことを後悔していた。


 カリムと合流して四人で酒場に入ったのが九の刻(午後六時)を過ぎた頃で、席に着いた四人はそれぞれ酒の入った酒器を手に取り乾杯した。


 それからしばらくの間は、互いの近況などについて語り合っていたのだが、そこから何故か此度の又三郎の仕事の話になり、ここ数日間の様子を根掘り葉掘りと尋ねられた挙句、その話をさかなにロルフとカリムから散々からかわれる羽目になった。


 そして、こちらの世界の酒に未だ慣れない又三郎は、酔った拍子にどこかでいらぬ口を滑らせてしまったのだろう――今酒の席に上っている話題は、又三郎とナタリーの関係についてであった。


「で、お前さん、あの教会の姉ちゃんとはその後も仲良くやっているのか?」


 ロルフがエールと呼ばれる発泡酒の入った酒器を傾けながら、意味ありげな笑みを浮かべてみせた。元々酒には強い体質のようで、飲んだ酒の量の割には酔った素振りがあまり見られない。


 その隣ではカリムが、酒器の中のエールをぐいぐいと飲み干しつつ、酒精アルコールでやや充血気味の目でじろりとロルフを見た。


「おいロルフよ、お前が以前言っていたその教会の娘御というのは、大層な別嬪べっぴんなのだろう?」


「そうだな……ちょっと雰囲気は違うが、イザベラと十分にタメを張れるぐらいってところかね。体つきはイザベラの方が上だが、可愛げは教会の姉ちゃんの方が上ってところかな?」


 顔を見合わせてげたげたと笑う酔漢二人の様子を、やや白けた様子で杯を重ねるシャーリィが見つめている。


 シャーリィが口にしている酒は、シードルという名の林檎から作られた発酵酒だ。又三郎にはその酒の強さが分からなかったが、傍目で見る限り彼女の顔色はほとんど変わっていない。


 酒器を口に運ぶ回数が次第に減っていた又三郎にしてみれば、だんだんと酔いが醒め始めてきた思いだった。


「ロルフ殿、あまり妙なことを申されては困る」


「何が困るだ、このヤロー。あんな別嬪と毎日仲良くやっているくせに、イザベラとまで仲良くしやがって……お前、自分が他の冒険者連中からどんな目で見られているか知ってるのか?」


 唐突に振られた話に、又三郎は思わず目を白黒させた。


「相待たれよ、一体何の話でござるか」


「何だよお前、知らないのか? 冒険者ギルドの受付嬢とのやり取りってのは、普通は毎回相手が変わるものなんだよ。冒険者の男連中の方が気に入った受付嬢のところに行きたがるってことはあっても、受付嬢の方から特定の冒険者に声を掛け続けることなんて、そうそうないものさ」


「……イザベラ殿からは、たまたま指名で依頼を受けることが何度かあったから、そのように見えただけでござろう」


 無実の罪の弁解を試みる又三郎に、ロルフが酒臭い息を吐きながら被りを振る。


「俺はその辺りのことは知ったこっちゃないが、アイツに好意を寄せている顔見知り連中からぼやきや恨み節を聞かされることは、ちょくちょくあるんだぜ?」


「あらロルフ、知ってる? 貴方も貴方で、似たような目で見られているってこと……贔屓ひいきにしてもらっている受付の女の子の数は、むしろ貴方の方が多いんじゃないかしら?」


 しれっとした顔で合いの手を入れてきたシャーリィに、ロルフは肩をすくめて目を逸らした。


「そう言えばミネルバの奴も、マタサブロウのことを何やら気に入っておるようだの」


 店の女給から酒の入った新しい酒器を受け取ったカリムが、その中身に口をつけながら大声で喚いた。


「まあどちらかというと、あいつの場合はやたらとマタサブロウを衛士にしたがっているようだが……それにしたって、あの娘も器量はなかなか悪くない。あちらこちらで女にもてて、何とも羨ましい限りよの」


 そう言って何度もばんばんと肩を叩いてくるカリムに、又三郎は思わず閉口した。この調子で万が一にもジーナのことまで俎上そじょうに載せられては、たまったものではない。


「まあマタサブロウは、ちょっと目元が怖いけれどもそれなりに男前だから、女の子達に人気があったって別に不思議じゃないけれど」


 それまで比較的静かに酒器をあおり続けていたシャーリィが、又三郎に尋ねた。


「マタサブロウ。貴方、その首に下げているものは一体どうしたの? 認識票じゃない、その金色の方」


 襟元から少し、金色の鎖が覗いていたらしい。又三郎はそっと胸元のペンダントを取り出してみせた。


「これはナタリー殿から、誕生日の贈り物として頂いたものだ。何やらお守りとしての効果もあるらしい」


「ふーん……とても素敵なペンダントね」


 シャーリィの切れ長の目が、すっと細くなった。


「貴方もなかなか、いいご身分よねぇ……今回は仕事っていう名目で、あっちこっちで綺麗な女の人と遊ぶことも出来たみたいだし」


「あ、いや、それは」


「で、そんな素敵なペンダントをプレゼントしてくれたあの子は、今も教会で貴方の帰りを待っているのでしょうけれども……貴方、あの子のことを一体どう思っているわけ?」


 それまで賑やかな声を上げていたロルフとカリムが、揃って視線を逸らし急に黙り込んだ。又三郎を酒の肴に騒いでいた二人も、その一点についてだけは触れないようにしていたらしい。


 ロルフがちらりと横目でテーブルの上にある空の酒器の数を数え、小さく舌打ちして小声で呟く。


「まずい……シャーリィの奴、飲み過ぎだ」


 それまでとは異なり、がらりと豹変したシャーリィの様子に狼狽した又三郎は、つい余計な口を滑らせてしまった。


「それは、その、だな……ナタリー殿には何やら良き縁談の話もあったようだし、それがしもナタリー殿には、ぜひとも幸せになってもらいたいと」


「……はあ?」


 シャーリィの目の奥に、剣呑な光が覗いて見えた。


「縁談の話って、何よそれ? 貴方ひょっとして、それを知っていてただ黙っていたっていうの?」


「いや別に、ナタリー殿から直接聞いた話ではないし、本人が口にされないことをそれがしがとやかく言うのは何とも……」


 しどろもどろに答える又三郎の様子に、苛立ちを抑え切れなくなったシャーリィが右のてのひらでテーブルを叩き、鋭い声を発した。


「ちょっと貴方、あの子と一緒に暮らすようになって、一体どれぐらいたつのよ?」


 周囲にいた者達の視線が、一斉に又三郎達のテーブルへと集中する。


「まあ、そうでござるな……一年を過ぎた辺り、といったところか」


 又三郎の言葉に、シャーリィが深く大きなため息をついた。


「あのねぇ、マタサブロウ……女っていうのはね、好きでもない男と同じ屋根の下で、一年以上も寝食を共にするなんて出来ないものよ? 貴方は自分のこと、居候だの何だのって言っていたけれども、あの子の優しさに甘えすぎよ」


「……」


「貴方達二人の様子を見ている限り、もうほとんど夫婦みたいなものじゃない。それなのに何で、あの子の縁談話を知っていて何も言わなかったのよ」


 シャーリィの鋭い舌鋒に、又三郎は思わずたじろいだ。ロルフとカリムの二人は、触らぬ神に祟りなしとばかりに傍観を決め込んでいる。


「貴方がそんな曖昧な態度を取っているようじゃ、あんまりにもあの子が可哀想すぎるわ。貴方はあの子の事、好きなの? 好きじゃないの? 一体どっち?」


 思わず言葉に詰まった又三郎に、シャーリィは右手の人差し指を突き出し、畳み掛けるように言った。


「もしも貴方があの子のことを好きだって言うのなら、貴方に足りないことはただ一つよ。それはね……」

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