Episode 12-20 人の営み

 又三郎がヘルムートの供廻ともまわりに就いて、五日目。コンラートから依頼された供廻りの仕事は、今日までの契約となっている。


 又三郎はこれまでと同じように、ヘルムートの後に続いて街中を散策していた。ヘルムートはいつもの恰好だったが、又三郎もいつもの和装姿で歩いている。やはり着慣れた衣服が一番だと、又三郎はつくづく思った。


「いやしかし、昨日はお前さんのおかげで、思っていた以上に稼ぐことが出来たわい」


 昨晩の賭け試合でよほど懐が暖かくなったのか、ヘルムートは至極しごく上機嫌で又三郎を振り返った。


「お前さんも昨日貰った賞金があることだし、何なら今夜も女子達と遊びに行くか?」


「……ヘルムート殿は、本当に元気でござるな。明日にはこの街を発たれるというのに」


 半ばうんざりとした表情でため息をついた又三郎に、ヘルムートは右の人差し指を立てて軽く振って見せる。


「儂が元気なのではなくて、お前さんが淡泊すぎるのよ……男として生まれたからには、多くの女子おなご達と巡り合うて、楽しんでなんぼのものじゃろうに」


「……」


「儂に言わせれば、お前さんが何を楽しみに生きておるのか、さっぱり分からんわい。お前さんの生きている意味は、一体何じゃ?」


 ヘルムートの何気ないその言葉に、又三郎はしばし無言のまま考え込んだ。


「ヘルムート殿、ちとお尋ねしてもよろしいか?」


「何じゃい、藪から棒に」


 怪訝な顔をしたヘルムートに、又三郎が尋ねた。


「実は少し前に、とある者から言われたことがあり申してな……己の在り方は、己が関わった全ての者達と繋がっている、と。ヘルムート殿であれば、この言葉の意味をどのように解釈なされるか」


 人の往来で賑わう通りを歩きながら、ヘルムートがさもつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「お前さん、そんなことで悩んでおるのか?」


「……」


「そんなもの、長らく男をやっておれば当たり前のことであろう? 好いた女子をめとって子を成し、いずれは死んでいく。男として、至極普通のことじゃ。夫として、父として、その在り方は妻や子と繋がっておるわい」


「ヘルムート殿の話は、常に男女の事柄のことでござるな」


 そう言って苦笑した又三郎に、ヘルムートは手にした杖の握り部分を突きつけて言った。


「それが人の根源に関わることだからじゃよ。世に愛の形は数あれど、男と女が交わらねば、次の新しい命は生まれぬ。それが世のことわりじゃ、人の生きた証じゃ」


「……つまりは子を成すことが、人の生きる意味だと?」


 又三郎の言葉に、ヘルムートが面倒臭そうに被りを振った。


「誰もそのようなことまでは言うておらんわい。人の生きる意味などは、あくまでも己で決めるもの。例えば子を成さずとも、歴史にその名を刻むことで世に生きた証を立てた者だって大勢おるじゃろう?」


「……」


「どうにもお前さんはあれこれと、つまらん理屈を並べたがるようじゃが……率直に言ってお前さん、女子は好きか? それとも嫌いか?」


 又三郎が迷惑そうに顔をしかめた。


「これまた妙なことを尋ねられる」


「ここ数日のお前さんを見ている限り、どうもその辺りがはっきりとせんのよ。多かれ少なかれ己に好意を寄せる女子の知り合いが多いくせに、そのいずれとも妙に距離を取りたがる。普通の男ならば考えにくいことじゃ」


「……」


「そのくせ、女子を完全に拒絶するという訳でもなく、場合によっては情けすらかける。お前さんが何をどうしたいのか、儂にはさっぱり分からん。それに、昨日会うたお前さんの家主とかいう女子のことに至っては、何やら己の身を隠そうとした。あれは一体何故じゃ?」


 又三郎はしばしの間沈黙し、ややあってゆっくりと答えた。


「以前にそれがしのいた場所では、常々こう言われていた。士道と里心は氷炭のごとく相容れない、と」


 ヘルムートが、怪訝そうに眉をひそめた。


「今までにも何度か、お前さんは士道とやらを口にしておったが、そもそも士道とは一体何じゃ?」


 又三郎は再び考え込み、言葉を選ぶように言った。


「一言で言えば、己が剣の道の在り方であろうか……死ぬ覚悟を内に秘め、恥じないように生きる覚悟を指す。だが、里心おなごはその士道を鈍らせる、それはいつか命取りになる。常々そう思っており申した」


「だから女子とは距離を取ってきた、と……ふん、何ともつまらん考え方じゃな。お前さん、人を斬ることだけが生きがいなのか?」


 半ば吐き捨てるように、ヘルムートが言った。


「お前さんが昨日、あの女子から身を隠そうとした理由を当ててやろうか? お前さん、何だかんだ言ってあの女子のことを好いておるのじゃろう?」


「いや、それは」


「そうでもなければ、あの女子が男と楽しそうに歩いているのを見て、あれほどまでに狼狽するようなこともあるまいて……あの二人が一体どういう関係だったのかは知らんが、お前さん、もう少し己に素直になってみてはどうかね?」


 これまでに何度となく言われてきた言葉に、又三郎は思わずはっとなった。その様子を見て、ヘルムートが唇の端を歪めて笑う。


「どうじゃ、聞き覚えのある言葉じゃろう……儂が今回、コンラートが雇う供廻りの役に敢えてお前さんを指名したのは、ジェニスの頼みもあったからじゃよ」


「……は?」


 又三郎は、思わず間の抜けた声を上げてしまった。思ってもいない話の流れだった。


「初日にも言わなんだか? お前さんを雇うに当たって、あの娘の勧めがあったと……じゃが、今回儂がこの街を訪れた目的は、この街におけるわが商会の状況確認と物見遊山おんなあそびだけじゃ。本来は供廻りの者など必要とせぬし、ましてや腕の立つ用心棒などは必要ない」


 通りを歩く二人の側を、一台の馬車がゆっくりと駆け抜けていった。馬蹄と車輪の音が遠ざかってから、ヘルムートは言葉を続けた。


「ジェニスはな、お前さんの『人としての危うさ』を心配しておったよ。お前さんは人の愛し方を知らない、このままではお前さんが人として幸せになれないかも知れない……だから、儂がモーファの街で供廻りを雇うのであれば、ぜひお前さんを雇って人の在り方を見せてやって欲しいとな」


「……」


「あの娘がそこまで他人に干渉するのは、儂が知る限りは初めてのことじゃったよ。でもまあ、は儂にとっても孫娘のようなものじゃから、聞ける頼みであればぜひ聞いてやろうと思ってな……どうじゃ、これとてお前さんの在り方が、お前さんが関わった全ての者達と繋がっていることの一例だとは思わぬか?」


「ヘルムート殿が此度こたびの来訪でやたら女子と関わりを持たれていたのは、それが理由でござるか?」


 又三郎の問いに、ヘルムートはきっぱりと言った。


「いや、それは関係ない。あくまでも儂の在り方の問題じゃ」


「……」


「じゃがマタサブロウよ、この儂を見てみい。女子が好きじゃと大勢の前で公言したところで、物珍しい目で見られることなどはあっても、誰もそのこと自体を非難はせんじゃろう? それは、男が女子を好くのは至極当たり前のことだからじゃよ」


 ヘルムートは軽く手を広げて、多くの人で賑わう通りを見回した。


「目の前の光景を見よ。この通りだけでも、これだけ大勢の人が溢れておる……その誰もにそれぞれ父母がいて、その父母達が愛し合っておらねば、この光景は存在しない。目の前に広がるこの光景こそが、自然な人の営みの結果じゃよ」


 又三郎は軽く被りを振った。


「その自然な人の営みとやらが、それがしにはとても難しく思われる」


「なに、そんなものは慣れじゃよ、慣れ」


 ヘルムートがニヤリと笑った。


「男に必要なものは、決断と覚悟じゃ。生きていく上で何を目指すのか、誰を愛するのか……全て己で決断して、覚悟を持ってのぞむ。あとのことは、男の仕事の余禄のようなものさ」

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