Episode 12-19 賭け試合

 冒険者ギルドを後にしたヘルムートは、一旦コンラートの屋敷に戻ると言った。


 ここ数日、日中は街中を散策しては女性に声を掛けていたヘルムートにしては意外なことだと又三郎は思ったが、連日街をあてどなく歩き続けることにもいささか飽きてきたところだったので、大人しくその指示に従った。ヘルムートがどのような過ごし方をしても、一日供廻ともまわりをするだけで金貨二枚が貰えることには変わりがない。


 コンラートの屋敷に戻ったヘルムートは、九の刻(午後六時)頃に再び出かけるので、支度をしておくようにと言った。


 その際、服装はいつもの服に戻して良いこと、夕食は極力取らず、どうしても腹が空く場合には女中に申しつけて、軽食程度で抑えておくことを併せて言いつけられた。その指示の内容の意味が分からなかったが、又三郎は言われた通りにすることにした。


 外出の刻限になり、和装に刀を帯びた又三郎は屋敷の玄関に向かったが、そこで待っていたヘルムートの姿はいつもの上等そうな仕立ての衣服ではなく、市井しせいの老人が身に着けているものと同じような服装だった。


「ヘルムート殿……その恰好は一体?」


「なに、儂とて行き先に応じて服装ぐらいは替えるさ」


 ニヤリと笑ったヘルムートは、又三郎の腰の刀を指さした。


「これから向かう先には、それは必要ない。無くして困るものであれば、この屋敷に置いていけ」


 又三郎は一瞬怪訝な顔をしたが、ややあって腰に差した大小を側にいた女中に預けた。その様子を確認したヘルムートは、屋敷の外に待たせてあった馬車へと乗り込んでいく。


 二人を乗せた馬車が到着したのは、歓楽街の一角だった。馬車を降りたヘルムートの後を、又三郎はついていくことになったが、その途中からだんだんと胸中に不安がよぎってきた。


 ヘルムートが進んでいくのは、歓楽街の裏通りだった。そこは華やかな雰囲気の表通りとは異なり、人通りはそれなりにあるものの、暗い通りには何やら怪しげな雰囲気が漂っている。何かがすえたような匂いに、どこからか聞こえてくる男女の淫靡いんびな嬌声、そして時折こちらに向けられる好奇の目――。


「これは一体、どこに向かっているのでござるか」


 やや緊張した面持ちの又三郎の様子に、ヘルムートがくくっと喉を鳴らした。


「何じゃお前さん、こういった場所は初めてか?」


「……このような場所を訪れる機会は、今までござらんかったのでな」


「そうか。かく言う儂も十年近く前に来たのが最後じゃが……おお良かった、まだ店は残っておったわい」


 そこは、傍目はためには店だとは思えないような造りの建物だった。看板のたぐいも掲げられておらず、しかしながら建物の奥の方からは何やら歓声が聞こえてくる。


 ヘルムートに続いて建物の中に入った又三郎は、目の前に広がる光景に驚愕した。


 外から見た限りでは想像のつかなかった広間の中で、大勢の男女が人の輪を作って歓声を上げており、その輪の中では二人の筋骨隆々の男達が喧嘩をしているように見える。


 人の輪の外では、盆の上に酒の入ったグラスを乗せた若い女達があちこちを歩いていて、他には輪の中の二人の男の殴り合いを遠巻きに眺めている客の姿も見えた。広間の一角には何やら札の掛かった台の上で老婆が金切り声を上げていて、更に別の一角には金網に囲まれた小部屋の中で大量の金を扱っている男の姿が見えた。


「ヘルムート殿、ここは一体何なのか?」


 又三郎の問いに、ヘルムートは唇の端を吊り上げて笑った。


「この街の裏の賭博場じゃよ。あそこで戦っている男達に、観客達がそれぞれ金を掛けて勝負の行く末を見守っておる。カードだのルーレットだのといった上品な賭博も悪くはないが、儂ゃこういった汗臭い賭け事も大好きでな」


 又三郎が供廻りの初日でヘルムートから聞いていた行き先の希望の一つには、賭け事が出来る場所というものがあった。ここは当初予定していた行き先の代わりということなのだろう。


 人の輪に囲まれた二人の男達は、互いに相手を殴り、蹴り、投げ飛ばしている。最初の頃こそ、その実力は拮抗しているように見えていたが、ある時を境に一方の男の拳が相手の顎を捕らえ、殴られた男はそれから一方的に拳や蹴り、投げ技を次々と喰らっていく。


 ふらふらになったその男が、相手の男の回し蹴りを頭部に受けたところで力尽き、床に倒れて動かなくなった。なかなか酸鼻を極めるその光景に、又三郎は思わず顔をしかめた。


 二人の間に立って審判役をしていた男が、勝者の腕を取って高く掲げ、この戦いの決着を叫んでいた。


「勝者、オウガ殺しのケニー! 次の挑戦者は誰かいないか! オッズは三対一、三対一だ!」


 その一方で、負けた方の男は人の輪の中にいた何人かの男達に、引きずられるようにして運ばれていく。その無残な姿に、又三郎は何ともやりきれない表情で被りを振った。


 酒と血に酔いしれている観客達は、次の挑戦者の登場を待ちわびて、口々に大きな歓声を上げている。


 ここの連中は一体、どういうつもりなのか――そう思っていた又三郎の背中を、突然誰かがぽんと押した。


 自然じねん、人の輪の中に又三郎が押し出されるような形になった。審判役の男は拳を振り上げ、高々と叫んだ。


「ここに新しい挑戦者の登場だ! みんな、拍手で迎えてやってくれ!」


 万雷の拍手の中、又三郎は突然の出来事に驚き慌て、思わずヘルムートの方を見た。先程までの立ち位置から考えて、又三郎の背中を押したのはヘルムート以外には考えられない。


「ヘルムート殿、これは一体どういうことか?」


 又三郎の抗議を、ヘルムートは鼻で笑って一蹴した。


「なに、お前さんには昨夜大損をこかされたからな。今夜はお前さんに、そのツケを払ってもらう」


 ヘルムートの言う大損とは、きっとジーナに支払った金のことを言っているのだろう――それにしても、突然このような仕打ちを受けては、又三郎の胸中も穏やかではない。


 思わずヘルムートに詰め寄ろうとした又三郎を、審判役の男が引き止めて言った。


「お前、挑戦者としてこの場に出てきたんだ。まずはつべこべ言わずにケニーと戦え」


 又三郎は被りを振った。


「そのようなことをする理由は、それがしにはござらん」


「お前に理由があろうがなかろうが、ケニーはすっかりやる気だし、周りの観客達もお前とケニーとの戦いに賭けを始めている。この場から逃げられると思うな」


 見るとケニーという名の男は、興奮した様子で己の胸を両の拳で叩き、又三郎に向かって挑発行為を続けている。


 遠くの方ではヘルムートが、金網で囲われた小部屋の前で金を支払い、賭け札を購入していた。自分と対戦相手のどちらに賭けているのかまでは、ここからでは分からない。


「とりあえず、まずはケニーと戦え……それでは、始めっ!」


 審判役の男が大声で右手を振り下ろし、ケニーという名の男が血走った眼で又三郎に向かって、問答無用とばかりに右の拳で殴りかかってきた。


 又三郎はその拳を上体を捻って躱しつつ、すれ違いざまにケニーの顎へ右の掌底をしたたかに打ち付け、ケニーがひるんだ隙にその右腕をとると更に身体を捻り、背負い投げの要領でケニーを投げ飛ばした。


 投げ飛ばされたケニーは床で背中を強打し、息をつまらせてもだえ苦しんでいた。又三郎はケニーの身体をぐいと引き起こすと、その左のこめかみに右拳の鉄槌を打ち付ける。そこでケニーは意識を失い、その場に仰向けで倒れ込んだ。


 ここまでの動作は、辺りにいた者達が二回呼吸をするほどの間のことだった。先程まで壮絶な殴り合いを披露していたケニーが一瞬のうちに意識を奪われたことに、周囲を取り囲む観客達がしんと静まり返った。


「これでよろしいか」


 息も切らさず平然と言った又三郎に、呆気に取られていた審判役の男が尋ねた。


「おいお前、名前は?」


「名前? それがしは大江又三郎と申すが……」


「出身はどこだ?」


「出身? それは会津……」


 又三郎が途中まで答えかけたところで、審判役の男が大声で叫んだ。


「勝者、オオエマタサブロウ! アイヅゥの奇跡! さあ、次の挑戦者は誰だ!」


 一方的なその叫びに、又三郎は不満を露わにした。


「もういいだろう。そなたの言う通り、あの男と戦った。もう終わりにしてくれ」


 審判役の男は、首を横に振った。


「そんなわけには行くか、ここでの勝負は挑戦者が現れなくなるまで続く。お前は勝ち続けるか、負けるまでこの場を離れることは出来ない」


「そのようなこと、それがしの知ったことではない」


 又三郎はそう言い残し、取り囲む人の輪の中から抜け出そうとした。しかし、その輪の中にいた誰かが又三郎の胸をしたたかに蹴り飛ばし、又三郎は再び人の輪の中に押し返された。


 思わず頭に血が上りかけた又三郎だったが、十重二十重に取り囲む人の輪からは、剣呑な視線が向けられている。その中には明らかに柄の悪そうな者もいれば、冒険者のような風体の者もいる。下手をすると、この人の輪のうちの何人かを相手に戦う必要が出てくるかもしれない。


 そうこうしていると、人の輪の向こう側から一際大きな男がのっそりと姿を現した。又三郎よりも、頭二つ分ぐらいの背丈があり、全身にまとう筋肉は人間のそれとは到底思えない。


 審判役の男がその大男の姿を見て、叫んだ。


「次の挑戦者は、巨熊きょゆうハンスだ! 皆、注目だ!」


 どうやら審判役の男が知っている男らしい。ハンスと呼ばれた男は又三郎を一瞥いちべつするなり、ニヤリと笑って言った。


「さっきの勝負がまぐれか何かは知らんが、俺はケニーのようにはいかん。命乞いするなら今のうちだぜ?」


「命乞いも何も、それがしがそなたと戦う理由は無い」


 余りにも素っ気ない又三郎の答えに、ハンスが鼻を鳴らした。


「腰抜けなら腰抜けらしく、御託ごたくを並べずにさっさと命乞いしろ。臆病者のお前には、それがお似合いだ」


 又三郎の目が、ぎらりと光を放った。


「……それがしを、怯懦きょうだののしるか」


 ふと視線を外した先では、ヘルムートが再び金網で囲われた小部屋の前で金を支払い、賭け札を買っている。台の上の老婆は、賭け率は五対一だと連呼していた。


 又三郎は仕方なく左半身に立ち、ハンスに向き合って軽く両手を突き出す構えを取った。審判役の男が二人の間に立ち、右手を上げて振り下ろした。


「それでは、オオエマタサブロウ対ハンスの試合だ! 始めっ!」


 その合図と共に、ハンスは大きな叫び声を上げながら突進してきた。先程のケニーとは明らかに体格が異なり、巨大な顎や太い首を見た限り、掌底打ちや鉄槌打ちが効く相手とは思えない。


 又三郎は身を低くしてハンスの突進を間一髪でかいくぐり、そのまま右の肘打ちでハンスの右脇腹をしたたかに打ち据えた。一瞬息を詰まらせたハンスだったが、続けさまに同じ個所に打ち込まれた又三郎の左の掌底で、更に顔を歪ませた。


 それでもハンスは己の右の裏拳で又三郎への反撃を試みる。又三郎はその一撃をかわすと、一旦距離を置いた。


 まるで筋肉の鎧を身にまとったかのようなハンスではあったが、どのように鍛えても脇腹の筋肉はなかなか鍛えることは出来ず、肋骨の一番下の部分は強打されると折れやすい。特に右の脇腹の内側には、強打されると息が詰まる肝もある。そこを二度続けて強打され、荒い息をつきつつも未だ戦意を失っていないハンスは、非常に強靭であると言えた。


 ハンスが今度は太く長い足で、又三郎の頭を狙って蹴りを放ってきた。又三郎はその蹴りを躱しながらハンスの蹴り足をすくい上げつつ、残った一方の軸足を己の足で払った。いくら体重があるハンスとは言えど、自分の蹴りの勢いと共に軸足を払われては、たまらず仰向けにどう、と倒れ込む。


 又三郎はそのまますくい上げた蹴り足にまたがると、ハンスのひざの上に座るようにして全体重をかけつつ、そのかかとを両手でぐいと引き上げた。ハンスの膝を反対方向に折り曲げる形になり、又三郎の尻の下ではハンスの膝がミシミシと音を立て、ハンスがその痛みに絶叫する。


「まだ続けると言うのなら、この足一本をもらい受ける。このような場所で、不具者になるようなことはござるまい。早々に降参なされよ」


 又三郎はさとすように言ったが、ハンスは意味不明の叫び声を上げながらも、両手と片足をじたばたさせて又三郎を振りほどこうとする。


 又三郎は仕方なく、ハンスの膝の上でじわじわと腰を下ろしていった。一体どういった技なのか、力においては遙かに勝るはずのハンスの左膝が、為す術もなくどんどんあらぬ方向へと曲げられていく。


「分かった、参った、降参だ!」


 ようやくハンスが息も絶え絶えに叫んだので、又三郎はめていたハンスの膝への関節技を解き、ゆっくりとした足取りで審判役の男の元へと歩み寄る。


 そこへよろよろと立ち上がったハンスが、再び意味不明な叫びを上げながら両手を広げ、又三郎に背後から掴みかかろうとした。


 又三郎は半ば目測で、己の右の肘打ちを力一杯に振り抜いた。その右の肘はハンスの右の顎の先辺りをしたたかに捉え、そのままハンスは糸が切れた操り人形のように俯せに倒れた。


 再びハンスが起き上がってこないことを確認してから、又三郎は審判役の男へ吐き捨てるように言った。


「もうこれ以上やっても、意味がござらんよ。そろそろ終わりにしてもらえぬか」


 唖然とした審判役の男は、しばらくの間口をぱくぱくとさせていたが、ようやく大きな声で叫ぶ。


「勝者、オオエマタサブロウ! さあ、次の挑戦者はいないか!」


 審判役の男は何度も叫ぶが、この場にいた一番の大男のハンスが呆気なく倒された様子を見てしまっては、流石に他の者達も名乗りを上げることはなかった。


 審判役の男が、ようやく絞り出すような声で叫ぶ。


「挑戦者がいないようなので、今夜のチャンピオンはアイヅゥの奇跡、オオエマタサブロウ!」


 その叫びと共に、人の輪の中から革袋を乗せた盆を持った若い女がやってきた。


 審判役の男は、女が差し出した盆から革袋を掴み、又三郎に手渡した。


「これが優勝賞金だ」


 手渡された革袋は小さかったが、かなりずっしりとした重さがあった。又三郎は一瞬躊躇ちゅうちょしたが、これも一種の迷惑料のようなものかと思い、そのまま懐にしまい込んだ。


 その瞬間、又三郎達を取り囲んでいた人の輪から、万雷の拍手が鳴り響いた。人の輪の中の者のみならず、又三郎の試合を遠目に眺めていた者達も手を叩いたり、口笛を鳴らしたりしている。


 しばらくすると、人の輪は散り散りになっていった。ようやく人の輪から抜け出した又三郎は、金網で囲われた小部屋の側にいたヘルムートに詰め寄った。


「ヘルムート殿……これは少々、おたわむれが過ぎたのではないか?」


 静かな怒気を向ける又三郎へ、ヘルムートは悪びれずに言う。


「なに、噂に聞いたお前さんの強さから考えれば、まぁ怪我をするようなこともないだろうと思うてな」


「色々とそれがしのことを冒険者ギルドで尋ねられていたのは、これが理由か?」


「当たり前じゃろう。お前さんには昨夜の大損の穴埋めをしてもらわにゃ気が済まなんだが、流石にお前さんに大怪我をさせるという訳にもいかぬ」


「……」


「幸い、お前さんも怪我なく圧勝してくれた。おかげで昨晩の支払いの分ぐらいは簡単に取り戻せたわい」


 ほくほく顔で笑うヘルムートの様子に、又三郎は呆れて被りを振った。


「ヘルムート殿がそれがしの雇い主でなければ、こちらにもそれなりの考えがござったところだ」


 だが、ヘルムートは恐縮するどころか、鋭い眼光で又三郎を一瞥した。


「考え違いをするな。お前さんは昨夜、己の失態で儂に大損をこかせたのじゃろうが? 商人を甘く見るな。儂はあの娘ジーナにかける情けは持ち合わせておったが、その穴埋めはお前さんがするのが筋というものじゃろうて」


 ジーナの時間を一晩買い取るための金額のことを持ち出されては、又三郎も返す言葉がなかった。ヘルムートが再び唇の端を歪めて笑った。


「なに、儂も今回はお前さんに賭けて大勝ちさせてもらったし、お前さんが受け取った優勝賞金まで差し出せなどとは言わんよ。お前さんも労働の対価を受け取ることが出来たのじゃ、文句はなかろう?」

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