Episode 12-18 不公平

 コンラートの屋敷を出たのは、昼食を終えた後のことだった。


 酒精アルコールを消すための飲み薬の効果は、てきめんだった。微かに薄荷ハッカのような味がするその液体は比較的飲みやすく、胃のにじわりと広がるような感じがした。それから程なくして頭痛や吐き気が収まり、頭の中もすっきりとした。


 薬を持ってきてくれた女中に値段を聞くと、小さな瓶一本分で銀貨二枚もするという。効果の程は素晴らしいが、庶民が気軽に買えるような代物ではない。


 昼食の席で再会したヘルムートは、又三郎に今日の行き先を少し変えると言った。二人が再び馬車に乗って向かった先は、冒険者ギルドだった。


「何故にヘルムート殿が冒険者ギルドへ?」


 首を傾げた又三郎に、ヘルムートが小さく笑った。


「なに、少し確認しておきたいことがあってな」


 馬車を降りたヘルムートは、又三郎のことなど意にも介せず、つかつかと冒険者ギルドの玄関をくぐっていった。正直なところ気は進まなかったが、又三郎もその後に続かざるを得なかった。


 冒険者ギルドのホールに入ると、やはり二人は注目の的になった。上等な身なりの主人とその従者といった風で、明らかに周囲から浮いてしまっている。


 その場にいた何人かは、そのうちの一人が又三郎であることに気付くと、まず驚きで目をみはり、そして小さく噴き出した。


 又三郎にとっては良く見知った人物が、必死に笑いをこらえながら二人の側にやってきた。


「えっと、あの……こんにちは、マタサブロウさん」


「……やあ、イザベラ殿」


 又三郎は憮然ぶぜんとした表情で挨拶を返したが、その隣にいたヘルムートはイザベラの姿を目にして、小さく感嘆の声を上げた。


「これ、マタサブロウ」


 ヘルムートが手にしていた杖で、軽く又三郎の腕を小突いた。


「え、ああ……イザベラ殿、こちらはコンラート殿の御尊父であられるヘルムート殿だ。ヘルムート殿、こちらはそれがしが冒険者ギルドで日頃世話になっているイザベラ殿でござる」


 昨日ミネルバと出会った時のことを思い出し、又三郎は慎重に二人を紹介した。その様子にヘルムートは満足そうに頷くと、イザベラに向かって深々と首を垂れた。


「コンラートの父、ヘルムートでございます、レディ。日頃は我が不肖の息子が、冒険者ギルドにお世話になっているようで」


「え、あ、はあ……」


 呆気に取られたイザベラはそっと又三郎の袖を掴み、少し離れたところまで引っ張っていった。日頃は冷徹な印象が強いイザベラが、ここまで傍目はためにも戸惑う様を見せることは珍しい。


「ちょっと、マタサブロウさん。あの方は一体……」


 小声で耳打ちしてきたイザベラに、又三郎は同じく小声で答えた。


「大きな声では言えないが、あのお方がベルティ商会の会頭殿だ。何でも、こちらで少し確認したいことがあるとかいう話でな」


 イザベラは又三郎と共にヘルムートの元へ戻ると、にこやかな笑みを浮かべて会釈した。


「大変失礼いたしました、ヘルムート様。当ギルド受付担当のイザベラと申します。マタサブロウさんに今お聞きしたところ、何でもご確認なされたいことがあるとのことでしたが?」


 状況を把握してからのイザベラの変わりようは流石なものだと、又三郎は密かに感心した。


 ヘルムートが鷹揚おうように頷く。


「さようでございます……ところでレディ、貴方はマタサブロウのことを、どの程度ご存じですかな?」


 ヘルムートの問いに、又三郎とイザベラは思わず互いの顔を見合わせた。


「あの、大変申し訳ございません……ご質問の意味が、良く分からないのですが」


 遠慮がちに答えたイザベラの様子に、ヘルムートはと気が付いたかのように苦笑した。


「これは失礼いたしました、言葉の選び方が不適切でしたな……私めが貴方にお尋ねしたいのは、これまでのこの男の仕事振りのことについてです」


「はあ……それは一体、どのようなことでしょうか?」


 いぶかしげな表情をしたイザベラに、ヘルムートが言った。


「それでは簡潔に……現在私めが供廻ともまわりの役として雇っておりますこちらのマタサブロウ、その強さはどのぐらいなものなのでしょうか?」


 再び、又三郎とイザベラは顔を見合わせた。


「なに、この街で出会った何人かの者達が、皆一様にこの男の強さを褒めておりましたので、私めも多少の興味が湧いたものの、明確な判断基準も無く困っておりました。そこで、少々お手間を取らせますが、こちらでこの男の仕事振りをご存知の方に話を伺えば、私めの疑問も少しは晴れるかと思いまして」


 ヘルムートの言葉を聞いて、イザベラは又三郎を見た。又三郎は肩をすくめ、小さく被りを振った。


「そうですね……強さというものを、どのように判断するかにもよると思いますが」


 イザベラが、形の良い顎に軽く手を添えて答えた。


「剣の腕前だけで考えれば、当ギルドの中でも十本……いえ、五本の指のうちには数えられるかと思われます」


 思いがけないイザベラの高評価に、又三郎は再び肩をすくめる。だが、モーファの冒険者ギルドでも名高い「疾風」ロルフとの手合わせを目にしていたイザベラの言葉なので、まるで根拠がない評価という訳ではないのだろう。


「ほほう、それはそれは……ちなみに、武器を手にしていない状態では、いかがなものでしょうかな?」


 又三郎には、ヘルムートの質問の意図が全く理解出来なかった。それはイザベラも同じだったようで、やや困ったように眉を寄せながら慎重に答えた。


「はっきりとは申し上げにくいところですが、マタサブロウさんの特技の一つには、ジュージュツというものがあるそうでして」


「ふむ」


「相手が皆酔っていたとはいえ、星三つ持ちの冒険者三人を全員素手で取り押さえたという話は聞いたことがあります」


 あれからもう、一年近くが経つのだろうか――又三郎は当時のことを思い出し、懐かしくも思った一方で、あの一件が教会の皆の運命を変えてしまったことについて、胸の奥に小さな痛みを感じた。


 イザベラの言葉に、ヘルムートは満足そうに頷いた。


「いや、大変参考になりました、誠にありがとうございます。私めの疑問も、これですっきりといたしました」


「いえ、この程度のお話でよろしければ……」


「ところでレディ、実は他にもいくつかお尋ねしたいことがあるのですが……これからどこかでお茶でも飲みながら、お話を伺うことは出来ませんかな?」


 慇懃に頭を下げるヘルムートの様子に、その言葉の意味を察したイザベラは、すがるような目で又三郎を見た。


 だが、まるで傍観者を決め込んだかのような又三郎の様子に気が付くと、イザベラはきっ、と鋭い一瞥を又三郎へと向けてから、やや引きつった笑顔でヘルムートに答えた。


「大変申し訳ありませんが、まだ勤務時間内ですので……」


「むむ、それは残念ですな。ではまた、機会がありましたら是非とも」


 面を上げたヘルムートは柔和な笑みを浮かべると、すたすたと出口の方へと歩き出した。その後に続こうとした又三郎の袖を、イザベラが再び引っ張る。


「マタサブロウさん……今日のこと、後で覚えておいて下さいね」


 表情が消えた目で自分を見つめるイザベラに、又三郎は被りを振って答えた。


「これもそなたに勧められた仕事の一環だ。それがしの苦労も分かっていただけただろうか」


 げんなりとした表情の又三郎を見て、イザベラは一つため息をついてから掴んでいた袖を離した。そして何事かをひらめいたのか、イザベラは急に満面の笑みを浮かべて、又三郎の耳元に口を寄せた。


「今度その服装で、私を夕食に連れて行ってください。今日の件は、それで水に流します」


「は……いや、それは」


「あ、その時にはちゃんと剣を家に置いてきてくださいね。流石にその服装と剣の組み合わせはですから」


 玄関の方では、やや苛立った表情のヘルムートがこちらを見ていた。何事かを言おうとする又三郎の背中を、イザベラは両手でぐいと押し、にこやかな笑みと共に手を振り見送った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「しかし何じゃな。お前さん、美人の知り合いがちと多すぎやしないか?」


 冒険者ギルドを出た後、ヘルムートが通りを歩きながら、ひがむような目で又三郎を見た。


「一昨日出会ったバルゼイ商会の娘御に、昨日の眼帯の女子おなご、昨夜の娼館の娘に続いて、今度は冒険者ギルドの受付嬢ときた。女の扱い方もろくすっぽ知らぬお前さんには、あまりにも勿体なさすぎると思うんじゃが。世の中、ちと不公平過ぎやせんか?」


 そのようなこと、自分に言われても困る――又三郎の受け答えは、どうしても生返事のようになってしまう。


「はあ……ところで、先程イザベラ殿に尋ねられていたことについてでござるが」


「何じゃい」


「何故あのような質問をなされておられたのか? それに、それがしの腕前とやらについては、どなたからお聞きになられた?」


 又三郎の問いに、ヘルムートが小さく鼻を鳴らした。


「一つめの答えは、今夜になれば分かる。二つめの答えは、昨日の眼帯の女子と、娼館の女子からじゃ」


 辺りの様子を眺めながら、ヘルムートが面倒臭そうに答える。その視線は、街を行き交う女性の姿を追いかけているようだった。


「眼帯の女子は、お前さんの剣の腕を大層褒めておった。それはもう楽しそうにな。娼館の女子は、お前さんが素手で暴漢を店から追い出したという話を面白そうにしておった」


「はあ」


「じゃがそれはどちらも、一個人の感想の域を出ておらなんだ。今夜の予定のこともあるが故に、もう少し客観的な視点からお前さんの評価を知りたかった。それだけのことよ……って、おいマタサブロウ、とてもき女子が通りの向こう側を歩いておるぞ」


 突然大きな声を上げたヘルムートの様子に半ば呆れながら、又三郎は雇い主が指さす方向に目を向けた。そして一瞬息を飲み、慌ててそそくさと周囲の人混みの中に身を隠す。


「あれは本当に佳き女子じゃな。ただ、隣におる顔の男が、何とも邪魔じゃ……って、おいお前さん、一体何をしておるのか?」


 怪訝そうに振り返ったヘルムートへ、又三郎は大通りの反対側に背を向けたまま答えた。


「あの方は、それがしの居候先の家主殿でござる」


 大通りの反対側を歩いていたのは、日頃見ることの無い華やかな衣装に身を包んだナタリーだった。談笑しながらその隣を歩く若い男が、ジルの言っていたいずこかの商家の若旦那なのだろう。裕福そうな身なりの、顔立ちの整った男だった。


 幸いにもナタリーはこちらに気付かず、すぐに大通りの反対側の人混みの中へと姿を消していった。


 又三郎は安堵のため息をつくと共に、胸の奥の妙なざわつきを感じた。そのざわつきは徐々に不安へと変わり、又三郎の胸中に広がっていく――。


「おい、マタサブロウよ」


 はたと気が付いた時には、ヘルムートが訝しむような目で又三郎を見ていた。


「お前さん、さっきはあの女子が、居候先の家主だと言うとったが……ひょっとして、あの女子と同じ屋根の下で暮らしておるのか?」


 返答に詰まる又三郎の様子に、ヘルムートは被りを振りながら大きなため息をついた。


「やれやれ……全く、世の中とは何とも不公平なものじゃな。神の采配とやらは一体どうなっておるのか、依怙贔屓えこひいきにも程があろうて」


「……」


「それとお前さん、一つ忠告しておいてやる……儂のように相手の全てを飲み込むだけの度量がないのであれば、あちらこちらで良い顔はせんことじゃ。いつかは女子達のうちの誰かに刺されることになるぞ?」

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