Episode 12-12 男と女

 又三郎は日がな一日ヘルムートと一緒にいて、一つ気付いたことがあった。


 ヘルムートは相手が女であれば、暇さえあれば誰彼構わず声を掛ける勢いだったが、男にはまるで興味を示さない。と言っても、相手の性別で態度を変えるという訳ではなく、例えば食事処の店の者を相手にする時にも、相手が男であれば傲慢になったり軽薄になったりするといったようなこともない。


 ただ、ヘルムートは全くと言って良いほど、男に対して自分からは興味を示さない。自ら声を掛け、茶や食事に誘い、時には恵まれない境遇の者に施しをしたりする相手は、全て女である。


 つい不思議に思って又三郎が尋ねたところ、返って来た返事はこうだった。


「紳士たるもの、女子おなごには常に目を向け、声を掛け、時に困っているようであれば助けてやらねばならん。じゃが男は、己のことは己で全て始末をつけなければならない。それが男の在り方じゃ、少なくとも儂はそうしてきた」


 もちろん、努力の限りを尽くしても、己の力だけではそれ以上どうにもならない問題に直面している男も、世の中にはといる。そういった者に対しては時に耳を傾け、その者の行いが世のため人のためになるものであれば、支援は惜しまない。ヘルムートはそうも続けた。


 一見ただの女好きのおきなにしか見えなかったが、言われてみれば部分的にはそれなりの筋が通っているのだろうかなどと又三郎は思った。ヘルムートが言うところの「紳士道」にも、一部士道に通じるものがあるのかも知れない。


「とは申されても、ヘルムート殿が『ぱとろん』となられるのには、当然ながらご自身の取り分があってのことであろう?」


 又三郎の問いに、ヘルムートはぐいと胸を反らして鼻を鳴らした。


「当たり前じゃ。そこはそれ、紳士道ではなく商いの道というやつよ。当人は成功をおさめ、その成功は世のため人のためとなり、パトロンである儂はそこからいくばくかの利益を得る。三方全て良し、誰も損はしておらんぞ」


 そうこうしているうちに、日が暮れた。


 二人は軽い夕食を済ませた後、夜の歓楽街の一角を歩いていた。そして行きついた先は、酌婦の接待で酒を飲む高級酒場の一つだった。


 そこはヘルムートが事前に希望した行き先で、又三郎がカリムから教わった店の一つであった。当然ながら、又三郎がこのような店を訪れたことはこれまで一度もない。


 ヘルムートはこのような酒場にも慣れているようで、平然とした様子でさっさと店の中へと入っていった。又三郎も供廻ともまわりとしてその後に続こうとしたが、入口で店の者に呼び止められた。


「お客様、腰に御召しのものを預からせていただきます」


 店の者はそう言って、又三郎の腰の刀を右手で示した。冒険者も出入りする市中の一般的な酒場とは異なり、この酒場では武具の類の持ち込みが禁じられているらしい。


 事前にカリムから教わっていたことではあったが、己の差料さしりょうを見ず知らずの他人に預けることには、少なからず抵抗があった。


 それでも、このまま店の前で問答を繰り返す訳にもいかず、カリムの紹介を信用するしかないと思い、又三郎は不承不承ながら腰の大小を店の者へと差し出した。店の者は手慣れた様子で番号が記された木札を一枚又三郎に渡し、同じ番号が記された木札のついた紐で大小の刀をひとくくりにまとめた。


 店に入ると、ヘルムートは早速店内の一角にある豪華なソファに腰を掛け、左右に女達をはべらせていた。このような場所では、自分が客だということもあるのだろう。ヘルムートの女達に対する態度も、幾分くだけた調子のものになっていた。


 別の女の案内で、又三郎はヘルムートの隣のソファへと腰掛けた。隣に座ったその女が、何を飲むかと尋ねてくる。女の香水の香りが、又三郎の鼻腔を微かにくすぐった。


「それがしは、このお方の供廻りである。何卒なにとぞお構いなく」


 ぶっきらぼうな又三郎の物言いに、女が若干鼻白んだ。その様子を目敏めざとく見ていたヘルムートが、又三郎をたしなめた。


「おい、マタサブロウよ。このような場に来てまで、そんな固いことを言うな」


「酔っていては、それがしは務めを果たすことが出来ませぬ」


「ふん……何ともつまらん奴じゃ。儂の酒を飲めとまでは言わんが、美女からの一献いっこんぐらいは笑って受けるのが、男の度量というものじゃぞ」


 それでも又三郎は一向に首を縦に振らず、頑なに酒の酌を拒んだ。流石に呆れたヘルムートはそれ以上又三郎に構うこともなく、女達との会話を弾ませた。


 ヘルムートは、このような場での女の扱いには手慣れているようで、女達に頼まれては次々と気前よく酒やさかなを注文し、入れ替わり立ち代わりやってくる女達の一人一人を捕まえては、その肩を抱いて叩いて褒めそやしたりしている。


 一方の又三郎は、腕組みをしながらひたすら目を閉じ、我関せずといった調子でソファの置物と化していた。店の女達も、最初の頃こそは又三郎に二言三言声を掛けていたが、やがては又三郎がその場にいないものであるかのように振る舞い、ヘルムートを囲んで嬌声を上げていた。


 又三郎にしてみれば、ただひたすら我慢の時間ではあったが、そんな中でもヘルムートの様子を盗み見て感心したのは、その会話の巧みさであった。周りに侍る女達に興味を向け、その話を聞き、その内容がどのようなものであれ、いちいち大きな相槌を打っては高笑いをしている。


 女達もそんなヘルムートの相手をしているのが何とも楽しいようで、店の客が少なかったこともあり、気が付けば五、六人の女達がヘルムートの周りを囲んでいた。


 それからおおよそ二刻半(約五時間)の後、したたかに酔ったヘルムートがようやく重い腰を上げた。ヘルムートは酒で充血した目で店の者に支払いをしながら、未だ周囲に侍る女達に心付けチップまで渡している。


 又三郎は心の中でため息をつきながら立ち上がり、ふらつく足取りのヘルムートの後に続いて店を出た。


 入店時に預けた大小の刀が無事に戻って来たことを確認して、腰に巻いた帯に差し直す又三郎を、ヘルムートの酔眼がぎろりと睨み付けた。


「おい、マタサブロウよ。お前さんは本当につまらん男じゃのう。あのような遊びの場で、女の相手一つもまともに出来んのか」


「それがしの務めは、そなたの供廻りでござる。それ以外のことは、それがしの仕事の範疇外はんちゅうがいにてござる」


 そもそもヘルムートの供廻りでなければ、あのような店に足を運ぶことは無い。


 歓楽街の通りを歩き出しながらむっつりと答えた又三郎に、ヘルムートはややろれつの回らない調子で、まくしたてるように言った。


「そもそもそういう態度が、あのような場では間違まちごうとると言うておるのよ。せっかくの女達のもてなしを無下にしおって、貴様それでも男か?」


「代金を受け取る者が、客をもてなす。ただそれだけのことではござらんか」


 酔漢の戯言ざれごとと聞き流しても良かったのだが、男うんぬんなどとまで言われては、又三郎も流石に少々引っかかるものを感じた。話の受け取りようによっては、又三郎の士道に対するそしりと捉えられなくもない。


 それでも、ヘルムートは酒に酔った真っ赤な顔で、軽く拳を振り上げて言葉を続けた。


「それがそもそもの、お前さんの見当違いというやつよ。確かにあの女達は、金を貰って酌をする者達じゃよ……じゃがのう、それでもあの者達はあの者達なりの矜持プライドを持って、酒を注ぎ客の相手をしておるわい」


「……」


「だいたいお前さん、女の話を真向まっこうからちゃんと聞いてやったことが一度でもあるのか? いつもさっきみたいに目を背けて、そのくせ女のことを分かったようなふりばかりしておらんか?」


「……」


「女の思いにも気付いてやらず、あまつさえそれをぞんざいに扱うなど、男として風上に置けんわい……って、おい、聞いとるのか?」


 酔漢のげんの数々に多少の棘を感じるとは言えど、相手は雇い主である。


 流石に辟易へきえきした又三郎は、歓楽街を抜けてようやく大通りに出たところで空きの馬車を一台捕まえ、その客車の中へとヘルムートを押し込んだ。この調子で歩きながら屋敷に着くまでを巻かれては、たまったものではない。


 とはいえ、そのまま屋敷までヘルムートを放っておくという訳にもいかず、御者にコンラートの屋敷の場所を伝えて、又三郎は自らも客室の中に身体を滑り込ませる。強烈な酒の匂いが、客室の中に充満していた。


 半ば目をつぶりかけたヘルムートが、酒臭い息を吐きながら小さく呟いた。


「あのらのたっての頼みもあったから、お前さんを雇うてみたが……まさかここまでの偏屈じゃったとはのぅ」


「言っておられることの意味が、全く分かり申さん」


 客室内を満たす酒精アルコールにむせそうになりながら、又三郎は顔をしかめて答えたが、その言葉はヘルムートの耳に届いてはいないようだった。


 酒は百薬の長などと言うが、適量を超えるのも考えものだな――目の前で眠りかけているヘルムートの姿に又三郎はため息をついたが、そこでふとナタリーのことを思い出し、又三郎は何とも言えない陰鬱な気持ちになった。

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