Episode 12-8 戸惑い

 コンラートの屋敷は、閑静な住宅街の一画にあった。商館の規模の大きさに比べると、屋敷は比較的こじんまりとした造りをしていた。おそらくは、コンラート自身の好みの問題なのだろう。


 屋敷の中の造りも、上質ではあるが嫌味の無い落ち着いた雰囲気になっていた。その屋敷の一室である応接室で、又三郎はコンラートの父ヘルムートと対面していた。


「ほう……お前さんがマタサブロウか」


 ヘルムート・ベルティの双眸が、値踏みするかのように又三郎を見据えていた。


 ヘルムートは小柄で痩せているが、背筋はしゃんとしていて、傍目にも上等そうな仕立ての衣服に身を包んでいた。短く刈り揃えられた白髪は品良く撫で付けられていて、一見好々爺然とした笑みを浮かべてはいるものの、その目の奥には何とも油断がならない鋭い輝きが見える。


 コンラートからは今年で六十四歳になると聞いていたが、実年齢よりも十歳以上は若く見えるだろう。流石に額や目尻、口周りの皺は隠しようがないが、若い頃は数々の女性と浮名を流していてもおかしくはない端正な顔立ちをしている。


「お初にお目にかかる。それがし、大江又三郎と申す」


 又三郎は名乗りと共に軽く会釈した。ヘルムートはその様子を黙って見ていたが、やがて小さく鼻を鳴らして笑った。


「なるほどのう……話に聞いた通り、なかなか風変わりな男だ」


 ヘルムートの隣ではコンラートが、やたらと緊張した面持ちで、しきりに額の汗を拭っている。己の父に対する畏敬の念が、よほど強いのだろうか――又三郎には、この父と子の関係がいかようなものなのかが全く分からない。


「それではマタサブロウさん、今日から五日間、父の供廻ともまわりをよろしくお願いします」


「相分かり申した。で、ひとまずそれがしはどうすればよろしいか?」


 又三郎の問いには、すかさずヘルムートが答えた。


「儂もこの街の物見遊山を楽しみにやってきたのじゃが、そのためには先に仕事の方を片づけておかねばならん。このまますぐに商館へ向かう。ひとまずはその供をせい」


 そう言うなりヘルムートはすっくと立ちあがり、傍らに置いていた杖を手にすると、さっさと部屋を出て行った。その背中を、又三郎とコンラートが慌てて追いかける。思い立ったら即行動に移すヘルムートには、又三郎も多少の戸惑いを禁じえなかった。


 屋敷の前には、あらかじめ移動のための馬車が横付けされていた。ヘルムートとコンラートは客車の中に座り、又三郎は御者の隣の席へと座った。御者が馬に軽く手綱を入れ、馬車はゆっくりと走り出した。


 しばしの間馬車に揺られ、程なくしてベルティ商会の商館に到着した。相変わらずヘルムートはつかつかと先頭を歩き、その後ろを又三郎とコンラートが慌てて追いかけるように続く。


 商館の玄関をくぐってロビーに入るなり、ヘルムートが肩越しに振り返って言った。


「マタサブロウ、しばらく儂はこの商館の中におる。用が済めばここに戻るから、それまでは好きにしていてよろしい」


 そう言い残すと、ヘルムートは勝手知ったる自分の庭だと言わんばかりに、ずかずかと商館の奥へと姿を消していった。コンラートは、先日又三郎を案内した番頭風の男を捕まえて二言三言指示をすると、慌てて父の後ろ姿を追いかけた。


 やや呆気にとられた又三郎は、呆然と商館のロビーに立ちつくしていた。いかにも場違いな場所に放り出され、どのように時間を潰したものかも分からない。


 ややあって、先程コンラートの指示を受けていた番頭風の男が又三郎の側にやってきた。


「マタサブロウさん、どうぞこちらをお持ちいただきますように」


 そう言って渡されたものは、中身がぎっしりと詰まった皮の小袋だった。


「会頭が足をお運びになられた先々での支払いには、こちらのお金をお使いください。ひとまずは金貨が百枚入っています。会頭がこの街に滞在されている間にお金が足りなくなるようであれば、コンラート様のお屋敷か当店でその都度お申し付けください」


 又三郎は目を見張って驚いた。そのような大金は、これまで目にしたことも手にしたこともない。


「ただし、このお金を使用される際には、こちらの書類に支払先と支払いの用途、金額を記入のうえ、会頭の自署か、会頭がお持ちの印章の押印をいただいてください。書類は精算のための資料として、後ほど頂戴いたします」


 そう言って差し出された鉛筆と小さな紙の束を受け取りながら、又三郎は男に尋ねずにはいられなかった。


「いや、しかし……このような大金を、それがしがお預かりしてもよろしいのか?」


 男はそこではじめて、なまの感情がこもった意味ありげな笑みを浮かべて見せた。


「このお金はもちろん、マタサブロウさんを信用してお預けするものですが、万が一のことがあれば、我々もきっちりと対応をさせていただきますので」


 男の目は笑っておらず、商売人としての気迫のようなものが感じられた。又三郎個人的を特定するための情報は、あらかじめ冒険者ギルドに登録されている。その必要があれば、それらの情報を元に金子きんすの取り立てがなされるのだろう。


「……相分かり申した。それがしも信用を損なわぬよう、十分に注意いたす」


 神妙な面持ちで又三郎がそう言うと、男は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「ではマタサブロウさん、お手数ですが念のため、その金子の預かり証に署名をお願いします。どうぞこちらへ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 番頭風の男が言うには、ヘルムートがロビーに戻ってくるのは、おそらく昼過ぎ以降になるだろうとのことだった。


 ヘルムートは、自分が戻るまでは好きにしていて良いと言い残していったが、その言葉を鵜呑みにする訳にもいかない。又三郎は手持無沙汰のまま、ぼんやりとロビーの一角にある長椅子に腰かけてヘルムートが戻るのを待っていた。


 特段これといってすることがないと、どうしても脳裏をよぎるのはナタリーのことだった。


 今朝教会を発つときにも、ナタリーはジルとの話について何も口にしなかった。思わず自分の方から話を振りかけたが、そこは流石に男としての矜持きょうじがそれを許さなかった。


 とは言え、これまで自分とナタリーは、あくまでも居候と家主の関係であると思っていたのだが、ナタリーの見合い話を耳にして、これほどまでに己の心が乱されるとは思ってもいなかった。


 確かにナタリーは見目麗しく、気立ても良い働き者の娘だ。亡き父親の意志を継ぎ、教会と六人の孤児達を守っていこうという意思の強さや優しさも兼ね備えている。又三郎はそんな彼女にはぜひとも幸せになって欲しいと願っていたし、そのためには彼女のことを大切にしたいとも思っていた。しかし、それが男女の間柄にまで結び付くものだとは、少なくとも己自身は考えたことがなかった。


 それでも、実際に彼女が他の男と夫婦の契りを結ぶのかもしれないと考えると、何とも言えない寂寥せきりょう感のようなものを感じている自分がいる。また、そこはかとなくナタリーが示してくれた好意と思しき数々に、胸の奥がほんのりと温かくなるのも自覚している。


 ここ最近の自分は、どうにもおかしい。これが無貌やジェニスの言っていた、自分に素直になったことの結果だとでも言うのか――そんなことを考えていた又三郎を、不意に掛けられた声が現実へと引き戻した。


「待たせたな、マタサブロウ……って、何じゃ、何をそんなに呆けておる?」


 ふと気が付くと、すぐ傍らには杖を手にしたヘルムートが立っていた。知らないうちに、随分と時間がたっていたようだ。


「あ、いや、これは失礼いたした」


 又三郎は気まずそうに頭を掻いて立ち上がった。その拍子に、又三郎の腹がぐう、と鳴った。ヘルムートが呆れたように言った。


「お前さん、ひょっとしてここでずっと儂の帰りを待っておったのか? 儂が戻るまでの間、好きにしていて良いと言ったはずじゃが?」


 その間に腹ごしらえなり何なりする時間は、十分にあっただろうに――ヘルムートの表情は、いかにもそう言いたげだった。


「それがしはヘルムート殿の供廻りでござる。一旦その役を仰せつかったからには、そう簡単に雇い主の側を離れると言う訳にはいき申さぬ」


 又三郎の言葉に、ヘルムートは己の顎をひと撫でして薄く笑った。


「ふん、なかなか殊勝なことを言いおるわい……まあよかろう、実は儂もまだ昼飯を喰うておらん。とりあえず、今回片づけなければならなかったこの街での仕事は終わった。少し遅くなったが、これから飯でも食いに行こう」


 そう言うとヘルムートは、杖を片手にさっさと商館の扉の方へと歩いていった。懐に入れた預かりものの革袋の重みにややふらつきながらも、又三郎がその後を追う。


「マタサブロウさん、父のことをどうぞよろしくお願いします」


 二人の後ろ姿を見送りながら、コンラートが深々と頭を下げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る