Episode 12-7 葛藤

 コンラートとの面会を終えてから、六日がたっていた。


 その日は七日に一度行われる教会の礼拝日で、近隣に住む信徒達が午前中から教会へと集まっていた。ティナは五日前に、冒険者仲間達との約束があるからといって教会を後にしていた。


 教会の信徒は主に中高年の男女が多く、若者や子供の数は比較的少ない。彼らから寄せられる謝儀が教会の主な収入源となっているのだが、信徒の多くは古くからの馴染みの者達ばかりで、新しい信徒が増える機会は滅多にない。


 たまに街の方から、若い男の信徒が新たに礼拝に通うようになることがあったが、そのほとんどは長続きせず、いつの間に姿を消していた。その理由は定かではないが、又三郎が新たな信徒の姿に気が付いた時には、だいたいその数週間後には彼らの姿を見なくなる。今後の教会の運営のことを考えると、新しい信徒の確保は頭の痛い課題であると言えた。


 そんな中、又三郎自身は豊穣の女神エスターシャの信徒ではないため、礼拝がある日は出来るだけ目立たないように息を潜め、母屋の裏庭で洗濯や薪割り、庭掃除などに精を出す。


 その日も午前中の礼拝が終わり、信徒達がぞろぞろと教会から出てくるのが遠目に見てとれた。又三郎は母屋の裏庭での薪割りを終え、昼食の下準備に取りかかろうとしかけていた。


 だが、ふと教会の方に目を向けると、教会の入口の前で一人の老婆に捕まっているナタリーの姿が見えた。その内容は全く聞こえないが、何やら二人で話し込んでいるらしい。


 老婆が訥々とつとつと話を続ける一方で、ナタリーは最初は驚いた表情をして、次に赤い顔で被りを振り、やがて愛想笑いを浮かべながら弱々しく首を縦に振った。そして何やら悩まし気な表情をしながら母屋へと戻っていく。


 ナタリーの一連の様子が気になったので、又三郎はその老婆に声を掛けた。


「やあ、ジル殿。今日は腰の具合はいかがかな?」


「おや、アンタかい……まあそうさね、今日はほとんど痛みも感じないよ。ここ最近は随分とあったかくなってきたからね」


 ジルと呼ばれた老婆は、曲がった腰を軽くさすりながらぼんやりとした調子で言った。そして、緩慢な動作で教会を囲う柵に繋いでいた飼い犬の引き綱を解く。


 又三郎が初めて見かけた時には小さな子犬だったその犬は、今では柴犬ぐらいの大きさになっていた。ようやく引き綱を解いてもらったのが、よほど嬉しかったのだろう。ジルの飼い犬はぶんぶんと尻尾を左右に振り、大きく一声ワンと鳴いた。


「ところでジル殿、先程はナタリー殿と何事かを話し込まれていたようだが、一体どんな話をされていたのだろうか?」


 又三郎はごく自然な風を装って尋ねてみたが、ジルは特に表情を変えることもなく、じろりと横目で又三郎を見た。


「アンタ、どうしてそんなことを気になさるのかね?」


 又三郎は、一瞬言葉に詰まった。


「そうだな……ナタリー殿が何やら悩ましげな顔をされていたようだったので、少々気になってな」


 ジルはしばらくの間、じっと又三郎を見ていたが、やがて素っ気ない口調で答えた。


「なに、アタシの知り合いの息子に、あの子をぜひ嫁に貰いたいという若者がおったものでな。一度会って話をしてみないかと言ってみたまでじゃよ」


「……それはつまり、見合いの話ということかな」


 又三郎の胸の内で、ごとりと奇妙な音がした。


「なに、あれだけ器量良しの娘のことじゃ。ここしばらくはジェフのこともあったから、それどころではなかったのじゃろうが、そろそろ嫁の貰い手を探さにゃならん頃じゃろうて」


「……」


「アタシも最初の頃こそ、アンタがあの子の良い人になるものかと思うておったが、アンタら二人を見ているとここ一年程の間、まるっきりそんな気配もありゃしない。それならばいっそのこと、あの子を嫁に欲しいと言う者と引き合わせてみるのも良いかと思うてな。そこで一つ、後押しをしてみたって訳さね」


 又三郎は、なかなか次の言葉を発することが出来ないでいた。そんな又三郎の様子を意に介することもなく、ジルが言葉を続けた。


「その若者というのが、街でもなかなか繁盛している商店の若旦那でな。才覚も器量もなかなか良い若者じゃ。あの子にとっても、そう悪くない話かとアタシゃ思うておる」


「……」


「とりあえずあの子も、一度先方の若者と会う事までは了承してくれたよ。また近いうちに日取りを決めて、二人を引き合わせることになるじゃろうて」


 そう言い残すと、ジルは飼い犬を引き連れてその場を去っていった。余りにも突然な出来事に、又三郎は呆気にとられてその場に立ち尽くすしかなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それからというもの、又三郎はずっと奇妙な胸騒ぎを抱えていた。


 冷静に考えてみれば、それはきっと嫉妬という感情なのだろう。だが、これまでは色恋沙汰など剣の妨げになると遠ざけていた自分の胸の内でそのような感情が芽生えたことに、又三郎は少なからず戸惑いを感じていた。


 一方のナタリーはと言うと、別段これといって変わった様子を見せず、ジルとの話を口にすることも一切なかった。そのこともまた、又三郎の胸中を穏やかならざるものにしていた。


「マタさん、一体どうなされたのですか? 最近何だか、あまり元気が無いように見えますが?」


 時々心配そうな表情で尋ねてくるナタリーに、又三郎はただ曖昧な返事で答えることしか出来なかった。


 ジルが持ち掛けた見合いの話を、一体どう思っているのか……それをナタリーに聞いてみたいという気持ちが、全く無いと言えば嘘になる。だが、そのようなことを尋ねるのは何とも野暮やぼ女々めめしいことだという意識が、又三郎の心の内に強くあった。


 それに、ジルの話では、此度こたびの見合いの相手はなかなかに裕福な商人の息子であるという。もしもナタリーに前向きな気持ちがあるのならば、彼女のこれからの幸せを考えると、そう悪い話ではないのかも知れないとも思う。


 その結果がどのような形になるのかはまったくもって想像もつかないが、あくまでも教会の居候でしかない自分は、ナタリーにとってきっと不都合な存在になるはずだ。先日のティナとの話ではないが、いよいよ新たな身の振り方を考える必要があるのかも知れない。


 そのようなことを悶々もんもんと考えているうちに、コンラートから引き受けた依頼当日の朝になった。


「それでは相済まぬが、今日から五日間、教会を留守に致す。ナタリー殿には色々とご苦労をおかけするが、なにとぞご容赦いただきたい」


 教会の皆との朝食を終えた後、又三郎は身支度を整えて玄関口へと立った。


「どうぞこちらのことはお気になさらず、気を付けて行ってらっしゃいませ」


 そう言ってにこやかに笑うナタリーに、又三郎は一瞬声を掛けようとして止めた。自分自身、何を口にしようとしたのかすら分からない。


 その様子を不審に思ったのか、ナタリーが軽く首を傾げて尋ねた。


「どうなされたのですか、マタさん。やっぱりここ最近、何か様子が変ですよ?」


 又三郎は思わず、無言でじっとナタリーを見つめた。先日彼女から貰ったペンダントの石と同じ色の瞳が、やや困惑したようにこちらを見返している。


「……えっと、その、私の顔に何かついていますか?」


 やや頬を赤らめてそう呟いたナタリーに、又三郎は小さく被りを振って微笑した。


「いや、何でもござらん。それでは行って参る」

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