Episode 12-6 父と子
ベルティ商会の商館は、交易都市モーファで並み居る商館が立ち並ぶ一角の中でも、ひときわ大きな建物だった。
又三郎には建物の良し悪しはよく分からなかったが、外観は上品そうな白塗りの造りで、窓や庭木の手入れも良く行き届いている。人の出入りも多く、店が繁盛していることは素人目にも容易に見て取れた。イザベラから聞いた限りでは、ベルティ商会の商いは両替商であるという。
いささか場違いな雰囲気を感じながらも、又三郎は商館の表玄関をくぐり、出迎えた手代と
それから、かけそばを二杯食べる程の時間がたっただろうか――新選組筆頭局長の芹沢鴨であれば、苛立ちから愛用の三百
「私共の店主が直ちに応対させていただきます、どうぞこちらへ」
男に案内されるままに、又三郎は商館の一室へと足を運んだ。応接室とおぼしきその部屋は、落ち着いた雰囲気ながらも上等な調度品の数々が並んでいた。
ふかふかとして落ち着かない座り心地のソファに腰かけて待っていると、やがて部屋の扉が開いて、男がにこやかに笑いながら姿を見せた。
「はじめまして、マタサブロウさん。私がこの店の主のコンラートです」
コンラートは中肉中背で、栗色の髪と瞳を持った四十後半ぐらいの男だった。ぱっと見ただけでも人当たりが良さそうな物腰の柔らかい人物で、歳の割にはやや若作りな顔立ちに見える。
だが、握手をした時のコンラートの掌の力は、思っていたよりも強かった。コンラートは又三郎にソファへ座るよう勧め、自らも向かいのソファへと腰かける。
程なくして、商館付きの女中と
コンラートは又三郎に紅茶を勧めながら、自らもティーカップの中身を一口、口に含んだ。それからティーカップを受け皿へと戻し、又三郎を見て穏やかに笑った。
「いやはや、この度はわざわざ当商会までご足労いただき、誠にありがとうございました。私共の無理をお聞きいただき、大変恐縮です」
「これはご丁寧な挨拶を
又三郎がそう言うと、コンラートは己の頭髪を撫でつけながら愛想笑いを浮かべてみせた。
「はい、では早速……この度マタサブロウさんにお願いしたいのは、十日後にこの街を訪れる私の父の身の回りの世話です」
「うむ、それは冒険者ギルドでも聞かせていただいた。その中で一つ不思議に思ったのだが、何故それがしのような武辺者に御尊父の世話を頼まれるのか」
「……」
「それがしがこのようなことを申し上げるのも何だが、御尊父の身の回りの世話ということであれば、女中の一人でも付けられればそれで済むことではないのだろうか」
又三郎の問いに、コンラートは苦笑しながら頷いた。
「はは、いや全くおっしゃる通りなのですが……実はこれには、理由が二つございます」
「ほほう、その理由とは?」
「一つ目の理由は、我が父はお恥ずかしい話ながら、なかなかに遊びが好きなものでして……この街に来た時にも、あちらこちらを見て回りたいなどと申しております。元来から自由奔放で、身内の者の言う事など全く意に介さない
「……」
「そして二つ目の理由ですが、ではせめて街を歩く際の
いかにも困ったと言いたげな表情のコンラートに、又三郎が再び尋ねた。
「それがしに求められるお役目のことは、だいたい分かり申した……ところで、それがしはコンラート殿の御尊父とは全く面識がござらんのだが、何故に御尊父はそれがしを名指しされたのだろうか?」
だが、コンラートの回答はいかにも要領を得ないといった感じだった。
「はあ……実はその辺りのことにつきまして、私にもさっぱりと理由が分からないのです。ただ、父との手紙でのやり取りの中で、供廻りを付けるのであれば是非マタサブロウさんを、としか書かれていなかったものでして」
「ふむ……では、直接それがしに此度の話を持ち込まず、冒険者ギルドの仲介を入れられたのは?」
「それはもう、我々も冒険者ギルドには何かと世話になることが多いものですから、ギルドの機嫌を損ねるような真似は出来ませんので」
話を聞く限り、コンラートは世間の義理を欠くような真似をする人物ではないのだろう。そのような人物からの依頼であれば、その内容に多少の不可解な点があったとしても、そう無下に扱うものではないだろうと又三郎は思った。
「一度こうだと言い出したら、なかなか自分を曲げない人なので、実は私もほとほと困っていたところなのです……とはいえ、マタサブロウさんに今回の依頼をお引き受けいただけなかった場合でも、父の機嫌を損ねることでしょうが、供廻りのものを全く付けないという訳にはまいりません。そのような事情もありまして、大変失礼なお話かとは思いましたが、この度の依頼の報酬額にも差を付けさせていただきました」
そう言うとコンラートは、机に額を擦りつけんばかりの勢いで又三郎に頭を下げた。
「という訳で、マタサブロウさん。どうかこの私を助けると思って、今回の依頼をお引き受けいただけないでしょうか」
余りにも必死なコンラートの様子に、又三郎の心の内には憐憫の情すら湧いた。コンラートにとって、父親という人物は余りにも自由気ままで、余程恐ろしい存在なのかも知れない。
「重ねてお尋ねするが、それがしの仕事は五日間、コンラート殿の御尊父の供廻りをするだけでよろしいのですな」
「はい、おっしゃる通りです」
又三郎はしばしの間腕組みをして考え込んだが、ややあって口を開いた。
「相分かり申した。此度のご依頼、微力ながら全力を尽くそう」
我ながら随分と
だが、余りにも必死なコンラートの懇願に、多少はこちらも強気に出て良いのかも知れないと又三郎は思った。この調子であれば、五日間を無事に仕事を勤め上げさえすれば、あわよくば特別報酬などを期待できるかも知れない。
「それにしても」
又三郎は調子に乗って、つい言わなくても良いことを口にした。
「こう申しては何だが、コンラート殿は随分と御尊父のことを敬われているようにお見受けする。御尊父は、それほどまでに厳しいお方なのだろうか?」
ほっと安堵のため息をついたコンラートは、その物言いを気にするという風でもなく、懐から上質そうな手巾を取り出して額の汗を拭いながら苦笑した。
「ええ、それはもう……父ヘルムートは当ベルティ商会の会頭で、私は父の七番目の妻の長男でございますから」
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