Episode 12-5 白羽の矢

 週に一度の冒険者ギルドへの顔出しは、それほど多くはない又三郎の習慣の一つだ。


 一月以上前に引き受けたジャニス達の用心棒の報酬が思った以上に高額だったので、しばらくの間は仕事をしなくても良かったのだが、ほぼ単独ソロで仕事を引き受けている又三郎にとっては、出来るだけまめにギルドの掲示板を確認しておく必要がある。


 それというのも、単独で受けられる依頼の数には限りがあるからだ。人足や普請の仕事は常に募集がなされているが、それらは全て仕事の内容がきつく、常に人手不足気味だからである。


 また、モーファは国内屈指の交易都市であるため、隊商キャラバンの護衛任務も数多く募集がなされているが、これらは街を離れることが難しい又三郎には、まず縁のない依頼である。


 徒党パーティーを組んだ冒険者達向けの依頼の数はぼちぼちで、そういった依頼を引き受ける為に徒党の仲間を募集するための掲示板もあるのだが、こちらもまた、又三郎にとっては縁のないものだった。


 下手に徒党へ加わってしまうと、今度はそこから抜けにくくなる。徒党の人数は概ね四人から六人程度が目安のようで、徒党向けの依頼の多くは、三人以下になるとそもそも依頼への対応が難しくなり、七人を超えると今度は一人当たりの報酬の分け前が少なくなると、以前ティナが言っていた。


 モーファの冒険者ギルドで、単独で依頼を受けることを専門にしている冒険者の数は非常に限られているため、現状では時々出てくる用心棒等の依頼を上手く分け合うことが出来ているが、いつどのように状況が変わるのかが分からないのも実情だ。


 以前カリム殿に言われた話ではないが、何か定職を探すというのも悪くないのだろうか――又三郎がそんなことを思っていた矢先、背後からいつもの聞きなれた声が掛けられた。


「こんにちは、マタサブロウさん。今日も仕事をお探しですか?」


「……やあ、イザベラ殿」


 一瞬びくりと肩をすくめ、ゆっくりと振り返った又三郎の目には、腰に両手を当てて何やら微妙な笑みを浮かべているイザベラの姿があった。


「あのですね……そのような反応をされるのは、こちらとしてもいささか心外なのですが」


 一見すると受付嬢としての笑顔を忘れていないイザベラだったが、目が笑っていない。なまじ彼女の見目が麗しい分だけ、何とも言えない迫力が感じられる。


「それがしに、何か御用かな?」


「用がなかったら、声をお掛けしてはいけませんか?」


「いや、そういうつもりではないのだが……」


「そうですね、それでは試しにデートのお誘いでもしてみましょうか」


 周囲にいた男の冒険者達の目が、一斉に又三郎達に集まった。その視線の圧力に又三郎は思わずたじろいだが、一方のイザベラは周囲の男達を一瞥すると小さく鼻を鳴らし、今度は満面の笑みを浮かべて言葉を続けた。


「もちろん冗談です。もっとも、マタサブロウさんからお誘いいただけるのであれば、一考の価値はあるかもとは思いますが」


 周囲の男達の、嫉妬と羨望の視線が更に強くなった。又三郎はたまらず両手を合わせて、イザベラを拝んだ。


「……イザベラ殿、それがしが悪かった。もうその辺りで勘弁してもらえぬか」


 そこでイザベラがようやく、小さなため息をついた。


「分かっていただければ結構です……全く、我々もマタサブロウさんの為を思って、お声がけをしているというのに」


「では、何か仕事の口があるということかな」


 ひとまずはイザベラの機嫌をこれ以上損ねないよう、又三郎は努めて明るい声で言った。もっとも、このような形で寄せられる依頼は大抵、実入りは悪くないが癖のある内容のものばかりであった。


「はい、その通りです」


 笑顔で頷くイザベラに、又三郎は思わず小声で尋ねた。


「いや、それはとても有難いのだが……このような大勢の目の前で、口になされても良いものなのか?」


 冒険者ギルドから特定の冒険者個人に対して名指しの依頼がなされることがあるのは、冒険者であれば誰もが知っていることではあったが、他の冒険者達からしてみれば、依怙贔屓えこひいきがなされているのではないかと見られる可能性も少なくはない。依頼を出す側の方が立場が強いとはいえ、冒険者ギルドも冒険者達との関係を悪化させたい訳ではないだろう。


 だが、イザベラから返ってきた言葉は、又三郎にとって意外なものだった。


「それがですね……今回の依頼は、依頼主様がマタサブロウさんをご指名なのです」


「……はぁ」


「まあ、依頼内容等については流石にこの場でお話しする訳にもまいりませんので、ひとまずは中にお入りください」


 イザベラはそう言って、カウンターの奥の方にてのひらを向けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 この部屋に通されたのは、さて何度目だっただろうか――そんなことを思いながら、又三郎はもはや見慣れたギルドの応接室のソファに、イザベラと向かい合って座っていた。


 イザベラとは違う他の受付嬢が部屋に入ってきて、又三郎とイザベラの前にそれぞれカップを置いた。これまで時々見かけたケイトという名の受付嬢とは、違う若い女だった。


 目の前に置かれたカップの中には、濃い焦げ茶色の液体が注がれていた。見たことの無い異様な液体だが、立ち上る湯気から薫る匂いには不思議と嫌な感じがしない。


 絶句する又三郎を見て、イザベラが苦笑した。


「コーヒーですよ。マタサブロウさんは、コーヒーは初めてですか?」


「こーひー、とな?」


「アイギルの街からたまに入ってくる異国の豆を、炒って粉にしたものから抽出した飲み物です。物珍しかったので、少量ですが買い込んでみました」


 その物言いからすると、どうやらこれはイザベラが個人で購入したものを出してくれたようだ。又三郎はひとまずイザベラに向かって両手を合わせてから、カップの中身を口に含んだ。


 今まで経験したことのない、何とも言えない強烈な苦みに、又三郎は思わず吹き出しそうになった。その様子を見て、イザベラが右手の甲を口元に当ててくすくすと笑った。


「予想通りの反応、ありがとうございます。一緒に添えられている砂糖を入れると、かなり飲みやすくなりますよ」


「出来ればそれは、先に言って欲しかったな」


 一見冷徹で取りつきにくそうな雰囲気をたたえたイザベラだが、たまにこのような茶目っ気を見せることがある。「その印象の落差が、また良い」などという男の冒険者達は、意外に少なくない。


 又三郎は言われた通り、カップに添えられた砂糖を入れてさじでかき混ぜ、再び黒い液体を口にしてみた。なるほど今度は砂糖の甘みもあって、紅茶とは異なる香ばしい香りを楽しむことが出来る。


「して、イザベラ殿。それがしをご指名いただいた依頼の内容というのは?」


 又三郎が尋ねると、イザベラは自らが口にしていたカップを受け皿の上に戻し、静かに頷いた。


「今回の依頼主は、ベルティ商会の店主であられるコンラート様で、依頼内容はコンラート様のお父様の身の回りのお世話だそうです」


「お父上の身の周りの世話、とな?」


 又三郎は思わず首を傾げた。


「御老人の身の回りの世話をさせるのに、何故それがしを指名なされたのだろうか?」


 仮にも商店の店主の父と言えば、それなりの高齢者であろうことは想像に難くない。その世話をさせるというのであれば、又三郎のようなむさ苦しい武辺者を雇い入れるよりも、女中などをあてがう方が普通なのではないか。


「何でも、コンラート様のお父様は別の街に住まわれておられるそうなのですが、近々この街を訪れる予定があって、その滞在中の身の回りのお世話を頼みたいとのことでした。それ以上のことは私共も伺っておりませんので、気になるようでしたらコンラート様にお尋ねいただければと思います」


 又三郎は腕組みして唸った。


「して、依頼の期間と報酬の額は?」


「依頼の期間は五日間で、昼夜を問わず常にお父様の側にいて欲しいとのことです。そして報酬は何と、一日当たり金貨二枚です」


 イザベラのその言葉に、又三郎は大きく目を見張った。ジャニス達の身辺警護の依頼の時でさえ、丸一日拘束された一日当たりの報酬額は金貨一枚だった。それでも十分に破格な金額だったが、今回の報酬額は更にそれを上回る。


「ただし、マタサブロウさんがこの依頼を引き受けて下さらず、他の冒険者に依頼を回した場合には、報酬額は一日当たり銀貨六枚になるそうです」


「……その依頼、どうにも胡散臭過ぎではなかろうか?」


 又三郎にしてみれば、わざわざ自分を指名してくれること自体は悪い気がしないが、自分以外の者が依頼を受けた時との報酬額の落差が、余りにも極端すぎる。その内容は全く分からないが、依頼主側の又三郎に対する何らかの意図が、露骨に見え透いていた。


 だが、疑わしげな眼を向けた又三郎を、イザベラは軽く一蹴した。


「何をおっしゃられるんですか。ベルティ商会といえば、イシュトバール王国の各都市に支店を構える程の大商いをなされているお店ですよ? 本店は王都にあるそうですが、その支店の店主様からのご依頼が、胡散臭いなどということがあるわけないじゃないですか」


 又三郎にしてみれば、初耳の話である。


「イザベラ殿、今回は随分と依頼主殿の肩を持たれるのだな?」


 又三郎の冷ややかな言葉に、やや興奮気味だったイザベラはふと我に返って、やや頬を赤らめながらも、いつもの冷徹そうな表情で言った。


「それはまあ、依頼の報酬額の多寡が、そのまま我々ギルドが頂く手数料の金額に響いてきますから」


 又三郎は思わず、微かな渋面を作った。いくら冒険者ギルドも商売であるとはいえ、余りにも現金に過ぎる話ではなかろうか。


「という訳で、マタサブロウさん。ぜひ今回の依頼をお引き受け下さい」


 又三郎がカップに伸ばしかけた右手を、やや芝居がかったような仕草でイザベラの両手が包んだ。


 白くて細いその手は、思った以上にひんやりとして滑らかだった。彼女に好意を持つ男達であれば、ここは否応なく首を縦に振るところなのかも知れない――ふとそんなことを思う一方で、又三郎の頭の中では別の算段が働いていた。


 イザベラはこれまでにも、存外に危険な依頼をしれっとした顔で又三郎に回してきたことがあったが、流石に又三郎の手に余るほどの依頼を回してきたことはない――アイギルまでの使いの復路で野盗の集団に襲われたのは、イザベラが想定していた危機管理の範疇外の出来事だった。


 今回の依頼についてもおそらく、イザベラが想定する範囲内においては、又三郎の能力で十分に対処できるものと踏んでいるに違いない。その辺りの配慮については、イザベラは冒険者ギルドの受付嬢として、常にきちんとした対応を心がけてくれていた。


 そう考えれば、丸五日間老人の世話をするだけで金貨十枚が貰えるというのは、破格過ぎる条件であるとも言える。


 又三郎はイザベラに握られた手をすっと引き、己の頬を掻いて苦笑した。


「相分かった。その依頼、有難くお引き受けいたそう」

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