Episode 11-15 脅迫
ジャニス達の用心棒を勤めるようになって、八日目の朝。又三郎はいつものように、ジャニスとの走り込みに出ていた。
前日の一件があったため、ジャニスにはこれから毎日、用心の為に走る道を変えるよう提案をしていた。ジャニスにとっては毎朝の走り込みが出来ればそれで良いらしく、又三郎の提案はあっさりと承諾された。
「私も誘拐犯に狙われるようになったりするのかしら?」
人の往来が無い、未だ薄暗い大通りを走りながら、ジャニスは又三郎に尋ねた。やはり気にはなるらしく、その表情には若干の不安の色が見て取れた。
「ジャニス殿がこの時間帯に街を走っていることを知る者は極めて少ないだろうから、可能性は非常に低いと思われるが、用心するに越したことはないだろう」
やや荒い息を吐きながら、それでも又三郎は何とかジャニスの隣を並走している。
又三郎の息が上がり気味な理由は、これまで用心の為に腰に帯びていた脇差を、打刀に持ち替えていたためだ。又三郎の脇差はいわゆる長脇差と呼ばれるものであったが、やはり打刀の方が間合いをより遠くに取れる。その重さと長さで走りづらくはなるが、ジャニスの身の安全には代えられない。
また、今朝からはジャニスが走り込みの為に宿を出る前に、宿の周囲を警戒するようにしていた。これもまた、ジャニスの身の安全を確保するためには欠かせないことだと思われた。
「あとは、一度ジェニス殿の誘拐に失敗した連中に、再び誘拐を実行に移す気がどれだけあるのかが気がかりなところだな」
身代金の要求が目的ということであれば、まずもって彼らがジャニス達に対して肉体的な危害を加える可能性は非常に低いと考えられる。下手に殺してしまうようなことになれば、その目的を達することが出来ないからだ。
そして、この街の暗部の人間達が、二週間という短い滞在期間の中で、どれだけ執拗にジャニス達をつけ狙おうとするのかについても、又三郎としては若干の疑義を抱いていた。
こちらも一度は襲撃を受け、警戒を厳にしていることは、かの連中も想定していることだろう。よほど無茶な力技でも繰り出さない限り、彼らがジャニス達を再び誘拐しようとすることは非常に難しいのではないかと、又三郎は考える。
「ところでマタサブロウ、昨日の夜の件だけれど」
又三郎の思惑をよそに、再びジャニスが唐突に話を振ってきた。
「昨日は姉さんに色々と付き合ってくれて、ありがとう……でも、昨日は姉さん、宿に戻ってきてからずっと上機嫌だったけれど、一体何があったの?」
「……」
「貴方に買ってもらったっていう花を花瓶に生けて、夜遅くまでずっとニコニコしながら眺めていたけれども……あんなに機嫌の良い姉さんを見るのって、ここ久しく無かったわ」
ジャニスの探るような視線に、又三郎は淡々と答えた。
「街の定食屋で夕食を摂って、その後で花を所望されたので花屋に立ち寄っただけだ」
「ふうん」
それからしばらくの間、二人は無言で早朝の街中を走り続けた。そして、宿の前まで帰ってきたところで二人は走るのを止め、乱れた呼吸を整える。
「マタサブロウ。貴方、見かけの割には随分と優しいところがあるみたいだけれども……特に姉さんに対しては、もう少し距離を置いてもらった方が良いのかも」
顔に浮かんだ汗をタオルで拭いながら、ジャニスが又三郎に言った。
「姉さんが私以外の誰かにここまで気を許すことなんて、今までに無かったから……私達が貴方と一緒に仕事をするのも、あと一週間。私がこんなことを言うのも何だけれど、あんまり姉さんと親しくされると、貴方の仕事が終わった時に、姉さんがとても悲しむような気がするの」
ジャニスの声音には、又三郎を責めるような雰囲気は見られなかった。むしろ淡々とした調子で、やんわりと懇願されているような感じだった。
「それがしは雇い主の希望に沿って行動しているだけだ。特にこれといった他意などはない」
「貴方にとってはそうなのかも知れないけれども、姉さん、あんまり男の人に耐性が無いから……変な期待を持たせないであげて欲しいってこと」
ジャニスは気まずそうに少し頬を赤らめ、そう言い残すとさっさと宿の中へと戻っていった。
又三郎はジャニスの言葉の真意を測りかねていたが、常に
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の昼頃、又三郎はマイヤーの部屋にいた。
部屋にいるのは又三郎とマイヤーだけで、二人は向かい合わせのソファに座っていた。演劇場への移動までには、まだ二刻(約四時間)弱ほどの時間があった。
マイヤーは深刻そうな面持ちで、封が開けられた一通の手紙を又三郎に差し出した。
「マイヤー殿、これは?」
「つい先程、どこかの子供が宿の受付へ届けにきたそうだ」
マイヤーに促され、又三郎は封筒の中の手紙を取り出して目を通す。
「……色々と手を考えるものだな」
又三郎は一つ、呆れたようにため息をついた。手紙の内容は、三日後に指定の場所まで金貨二千枚を持ってこなければ、ジャニスに危害を加えるという脅迫状だった。
手紙の差出人は不明だが、おそらくは昨日ジェニスを誘拐しようとしていた者達であろう。相手はどうやら、ジャニス達を脅して金をせしめることを諦めていないらしい。
「この手紙の内容について、御存じなのは?」
「今のところは、私と君だけだ。ジャニス達をはじめ、他のスタッフの皆に知られるわけにはいかない。余計な心配をかけたくない」
マイヤーは渋面を作り、小さく唸った。
「とはいえ、昨日の一件もあったことだし、皆にはそれとなく注意喚起をしておくつもりだ。公演終了まで残り一週間、当面はそれで凌ぐ」
「となると、この要求については?」
又三郎の問いに、マイヤーは鼻を鳴らして笑った。
「こんなもの、応じられる訳がない。どこの誰とも分からない相手の要求をいちいち真に受けていては、それこそきりがないからね」
マイヤーはそう口にしつつ、じろりと又三郎を見た。
「だがマタサブロウ、君には内密かつ最大限に、ジャニス達の周囲へ注意を払ってもらいたい。昨日は誘拐未遂、そしてその次は脅迫状だ。相手がどこまで本気なのかは分からんが、明白な害意を向けられていることは確かだからな」
「そのことについては、相分かり申した。ただ、昨日の誘拐未遂に続いて、こうして脅迫状まで送られてきたのだから、街の衛士詰所へ届け出るというのはいかがだろうか?」
誘拐未遂の時には、その目的達成のためにジャニス達が傷つけられる可能性は低かった。だが、こと今回の脅迫状の内容を見る限り、相手方の要求を無視した場合にはジャニス達の身に危険が及ぶ可能性が高くなる。
又三郎の提案に、マイヤーは腕組みをして太い息を吐いた。
「あまり
「ではせめて、衛士に宿と演劇場の周囲を定期的に巡回してもらうだけでも。それがし一人だけでは、手に余る部分が出てくるものと思われる
マイヤーはしばらくの間考え込んでいたが、ややあって又三郎に探りを入れるような目を向けた。
「マタサブロウ、君は街の衛士に顔が利くか? もっと具体的に言えば、この件について内密に相談が出来そうな相手はいるか?」
「一人だけだが、心当たりがありまする」
又三郎の脳裏に、隻眼の女衛士の姿が浮かんだ。どこまで力になってもらえるかは分からないが、彼女であれば内密の相談を持ちかけても、あちこちに口外して回るようなことはないだろう。
その言葉を聞いて、マイヤーが渋々頷いた。
「では早速、その方向で動いてくれたまえ。ただし、八の刻(午後四時)までには宿に戻るように」
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