Episode 11-14 星に願う

 それから程なくして食事を終えた二人は、定食屋を後にした。食事に費やしていた時間は、思いのほか長かったようだ。


「私の我がままに付き合っていただいたのに、御馳走になってしまってよろしかったのですか」


 店を出てから遠慮がちにそう言ったジェニスに、又三郎は軽く頷いた。


「まあ、今朝方に怖い目を見させてしまったことへの詫びのようなものだ。気になされるな」


 その言葉を聞いたジェニスは、その場でくるりと身を翻して無邪気に笑った。


「なーんだ、それならもっと色々と食べておけば良かったかも」


「あまり食べ過ぎると、後で後悔なされるぞ」


 意味ありげに笑ってみせた又三郎に、ジェニスが顔を真っ赤にしながら声を上げた。


「もう、そんなことをいうマタサブロウは嫌いです!」


 その様子を見て笑いながら、又三郎は自分にもし妹がいれば、日々このようなやり取りをしていたのかも知れないなどと思った。そして、思わず気が緩みかけた自分に気が付き、再び周囲へ警戒の目を向けた。


「さて、そろそろ宿に引き上げる頃合いだ。おそらくマイヤー殿も、はらはらしながらそなたの帰りを待っておられるに違いない」


「まだ十の刻までは、もう少し時間がありますよ」


 ジェニスがささやかな抵抗を試みようとしたが、又三郎の表情が変わらないのを見てとると、小さくうなだれた。


「じゃあ、せめてあと一つだけ……私に花を下さい」


 そう言ってジェニスは、通りにある一軒の店を指さした。なるほどその方向には、そろそろ店じまいの準備を始めようとしている花屋が見える。


「花、でござるか?」


 突然の話でややうろたえた又三郎に、ジェニスが頷いた。


「はい。マタサブロウが選んでくれた花が欲しいです」


 そう言うと、ジェニスはさっさと花屋の方へと歩き出した。それに振り回されるような形で、結局は又三郎も花屋の扉をくぐらざるを得なかった。


 店の主人は、店じまい間際に訪れたジェニスの姿に大層驚いたようで、やや唖然とした様子で「いらっしゃい」とだけ口にした。


 店の中には、色とりどりの初春の花が並んでいた。店の中をぐるりと見渡してから、ジェニスが又三郎へと振り返って笑った。


「さあ、マタサブロウ。私にどんな花を贈って下さいますか?」


 又三郎は腕を組み、小さく唸った。いつかに聞いた花言葉のことを考えると、迂闊な花を贈るわけにはいかない。かといって、それほど大きな店ではないので、ジェニスに隠れてこっそりと店主に花を選んでもらうというわけにもいきそうにはない。


 又三郎が花選びに悩むだろうことを見越していたのか、ジェニスはにこにこと笑いながら店内の花を眺めている。一方で店主は、花選びに悩む又三郎の様子に困惑の表情を浮かべていた。


 ややあって、花の知識が全く無い自分があれこれ悩んでも始まらないと思った又三郎は、直感で一つの白い花を指さし、店主に言った。


「相済まぬが、この花で花束を作ってもらえるだろうか」


 店主は何やらほっとした表情で頷き、又三郎が示した花を手早く花束へと包んだ。そして、支払いを済ませようとした又三郎に対して、ニヤリと笑いながら小声で言った。


「アンタが連れてきなさったはなにはちょいと負けるが、良い花を選びなさったよ、アンタ」


 又三郎はその言葉の意味を解しかねたが、店主から受け取った花束をジェニスに手渡した。


「そなたに相応しそうなものを選んだつもりだ、いかがだろうか?」


「まあ、綺麗なヒヤシンスですね。ありがとうございます」


 ジェニスは満面の笑みを浮かべながら、嬉しそうに花束を受け取った。


 二人は花屋を出て、宿へと向かって歩き出した。定食屋を出た時にはまだ時間に余裕があると思っていたが、街の中央にある大きな時計台に目を向けると、十の刻まであと四半刻(約三十分)もないことが見て取れた。これは少し、宿までの歩みを急ぐ必要があるかもしれない。


「どうして突然、花を所望なされたのか」


 大事そうに花束を胸に抱えるジェニスに、又三郎が尋ねた。


「そなたであれば花の贈り物など、別段珍しくもなかろうに」


 事実、公演が終わった後の観客達への挨拶の時には、花束を受け取る機会も少なくなかったのを又三郎は目にしている。自由に羽を伸ばせる時間を少しでも稼ぎたかったということであれば、その目的は十分に果たされたことだろう。


 ジェニスは腕の中の白い花をじっと見つめながら、小さく笑った。


「私がいつも受け取っている花は、全てジャニスに宛てられたものです……だから、私をジェニスとして見てくれる貴方から、ぜひ花をいただきたかったのです」


 思ってもいなかったジェニスの答えに、又三郎は一瞬言葉を失った。そして、心の中で己の邪推を恥じた。


 又三郎はふと、夜空に目を向けた。良く晴れた夜空には、地上に明るく輝く街の灯りとは異なる、柔らかい星の輝きが無数に見えた。その二つの輝きはまるで、似ているようで全く異なる二人の姉妹の姿のようにも思われた。


 今宵は何かと振り回されることが多かったが、これぐらいの我が儘であれば可愛らしいものだろう――そう思った又三郎は、嬉しそうに隣を歩く娘の幸せを星に願いつつ、宿までの道をゆっくりと歩いた。

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