Episode 10-10 剣士の一分
月明かりに照らされる中、ジェラールの屋敷を出て夜道を少し歩いたところで、又三郎は背後から声を掛けられた。
「こんな夜更けにこんな場所で、一体何をしていたんだい?」
又三郎が振り向くと、そこには数人の部下を従えたミネルバの姿があった。
ミネルバは周囲を見渡して、これといった異常がないことを確認すると、部下達に詰所への帰投を命じた。
部下達の姿が見えなくなった後、ようやくミネルバがほっと息を吐いた。
「やれやれ。君が無事に帰ってきてくれて、本当に良かったよ」
「何故ミネルバ殿がここに?」
怪訝な顔をした又三郎に、ミネルバが笑った。
「カリムさんから連絡があってね。君が一人でジェラールの屋敷に向かったから、屋敷の中の様子がおかしかったら助けてやって欲しいって」
今回の件については、カリムとも相談の上での行動だったはずだ。カリムには念のため、引き続きイレーヌ達の警護を頼んでいたのだが、一体いつ、どのようにしてミネルバと連絡を取ったのか。
かく言うミネルバにしても、ひょっとしたらカリムからの頼みで、半ば私的に動いてくれていたのかも知れない。その証拠に、従えていた部下の数はいつもの半分以下であったし、又三郎の無事を確認した時点で早々に詰所への帰投を命じている。
ミネルバの部下達にしても、又三郎の姿を見て、ほっとした表情を浮かべていたように見えた。衛士達とて正当な理由もなくジェラールの屋敷に踏み込むことなども出来ないだろうし、さしずめミネルバが気心の知れた腕の立つ者を数人選んで連れてきた、といったところか。
「カリム殿もミネルバ殿も、随分と心配性なことだ」
つい苦笑した又三郎を、ミネルバが
「いやいや、普通こんな方法で問題の解決を図ろうとするなんて思わない。色々とおかしいよ」
「やはりそう思われるか」
「当たり前だろう。それに、我々衛士の立場も考えてくれたまえ」
ミネルバは、ややあって拗ねたような顔でそっぽを向いた。
「でもまあ、君達のしたことは到底褒められたことじゃないが、何とか問題の解決には至ったという訳だ」
又三郎自身、
ジェラールにしてみれば、自身が相続した財産をミシェルに横取りされることが一番の問題であり、その一点さえ解決できればミシェルのことなど別にどうでも良かったはずで、又三郎がイレーヌに書かせた書状は、その問題解決を担保するためのものだった。
一方で、ミシェルの命を狙い続けることで逆に己の身に危険が迫るとなれば、ジェラールも二の足を踏むはずであるとも又三郎は考えた。己が手に入れた財産を守るために、己の手を汚すことなくミシェルを殺そうとしたその発想などは、言い換えればそれだけジェラールが小心者である証とも言えた。
あとはミシェル達から手を引くことの利を、どれだけジェラールに確信させられるかが重要だったが、ここで又三郎につけられた不本意な
もしもジェラールが、損得勘定に疎い愚か者であったならば――そう思うと、又三郎も内心では冷や汗を禁じ得なかったのだが、何とかそれを表には出さずに済んだ。薄氷を踏むような危うさの賭けは、ひとまず又三郎達の勝ちで終えることができた。
「今回の件について、それがしの目が黒いうちは、あの男も大人しくしていることだろう」
「目が、黒いうち?」
ミネルバが不思議そうに首を傾げた。そこで又三郎ははたと、いつもの自分の癖に気が付き、気まずそうに笑った。
「気にしないでいただきたい、言葉のあやというものだ」
「ふむ、まあいいけれど……それにしても、今回の事件について、
心底悩ましいといった表情で、ミネルバが眉間を押さえて唸った。衛士隊の隊長とは到底思えないミネルバの仕草に、又三郎は思わず苦笑した。
「イレーヌ殿とミシェル殿は無事で、今回被害を被ったのは屋敷を襲った賊の連中だけだ。何も問題はあるまい」
「君達にとってはそうかも知れないが、我々にとっては事件の捜査が暗礁に乗り上げたも同然だよ」
「なるほど、それは考えてもいなかった」
こともなげにそう言った又三郎に、ミネルバは腕組みをして口を尖らせた。
「全く、もう……カリムさんにしてもそうだけれど、今回の件については一つ『貸し』だからね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の昼前、又三郎はカリムと共に、応接室でイレーヌと向き合っていた。
「正味は十八日分だけれども、おまけをして今日の分も一日分として加えておきます。しめて銀貨九枚と銅貨が五枚」
そう言ってイレーヌは、二人の目の前にそれぞれ手間賃を並べてみせた。
「今回は色々と世話をおかけしましたね、ご苦労様でした」
又三郎とカリムは、少しの間黙って腕組みしながらイレーヌを見ていた。イレーヌは二人の顔をじろじろと見ていたが、不意にばつの悪い顔つきになった。ちょいとお待ちになって、といって席を立ったイレーヌと入れ違うように、開いた部屋の扉の隙間からミシェルの目が覗いていた。
又三郎とカリムはそれぞれミシェルに笑って見せたが、扉の向こうの目はじっと二人を見つめたままだった。
ややあって、イレーヌは席に戻ると二人の前にそれぞれ金貨を三枚並べた。
「おしまいに随分と働いてもらったから、これはそのお礼です。受け取って下さいな」
やや居心地が悪そうなイレーヌの言葉に、又三郎もカリムも遠慮なく手を伸ばして金貨を受け取った。
隣に座るカリムの目は「そら見ろ、やはりこの家には金があったのだ」と言わんばかりだった。又三郎は思わず苦笑しそうになったが、自分とて多少は危ない橋を渡ったことだし、これぐらいのことはしてもらっても別に構わないだろうとも思った。
又三郎がカリムと共に屋敷を出ようとしたその時、耳慣れない小さな声が二人の背中を打った。
「あり、がとう。また、ね」
振り返ると、二人を見送るイレーヌの隣にはミシェルが立っていた。
イレーヌは天地がひっくり返ったかのように驚き、やがてぽろぽろと涙をこぼしてミシェルを強く抱きしめた。又三郎はミシェルに向かって笑いながら頷き、カリムはぐっと右の拳を上げて見せた。
屋敷を出てから少し歩いたところで、カリムが又三郎に言った。
「冒険者ギルドへの完了報告は、儂の方で済ませておこう。あの屋敷に泊まり込んで、もう随分とたつ。お主は早く教会へ戻ってやるといい」
「……それがしのこと、一体どこまでご存じだったのか?」
又三郎の問いに、カリムがニヤリと笑った。
「なに、少し前にロルフの奴から聞いていたのさ。街はずれの教会に、美人の尼さんや孤児達と一緒に暮らしている妙な男がいるってな」
カリムがふと、眩しそうに目を細めた。賑やかな雑踏の中を、乾いた風が一つ吹き抜けていった。
「帰る場所があって、自分の帰りを待ってくれている誰かがいるってのは、本当に良いものだな」
しみじみとそう言ったカリムに、又三郎は尋ねずにはいられなかった。
「カリム殿は、いつまで冒険者稼業を続けられるおつもりか」
カリムは少しの間黙っていたが、やがて白い歯を見せ、ひらひらと右手を振った。
「この歳じゃ、今更他の生き方なんぞ出来んわ。己の腕と剣一本がある限り、何とでもしてみせるさ。それじゃあ、またな」
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