Episode 10-9 渾名と噂

 それから更に四日がたった。


「やれやれ……これはまた、なかなか一筋縄ではいかないものだな」


 イレーヌの屋敷の応接室で、カリムがため息をついた。


 カリムがミネルバから聞いた話では、又三郎が両腕を斬りおとした男は、存外に早く犯行を自白した。やはりイレーヌの憶測の通り、くだんの資産家の男の弟ジェラールが、子飼いの手下を使ってミシェルの命を奪おうとしたものだった。


 だが、ミネルバがジェラールの屋敷を訪れて事情聴取を行ったところ、ジェラールは恐れ入ってその罪を認めるどころか、自分が犯行を指示したという証拠がないだろうなどと開き直ったという。ミネルバの話では、ジェラールの態度は薄ら笑いすら浮かべる程にふてぶてしいものだったらしい。


 実のところ、又三郎にしてみれば、内心何となくそのような事態になるのではないかという予想をしていた。いとも簡単に人の命を奪おうとするような輩が、素直に己の罪を認めて悔い改めるとは到底思えない。


「きっとアン達を殺したのも、あいつらなんですよ」


 話を聞いたイレーヌは、殺された娘夫婦達のことを思い出したのか、ぽろぽろと涙を流して歯噛みした。その様子を目の当たりにしては、流石のカリムも閉口して眉根を寄せるしかなかった。


「とはいえ、このままでは再び賊が襲ってくる可能性が高いな」


 カリムが腕組みして唸った。


「儂らとて、そういつまでもこの屋敷の用心棒をしていられる訳でもない。だが、このままでは婆さんとミシェルの命の保証が無い」


「そんな。貴方達、このまま私達を置いていこうって言うのですか」


「ミネルバに相談して、衛士達に屋敷の周囲をまめに巡回してもらう。今のところ、それぐらいしか打つ手が無かろう」


 狼狽するイレーヌに、カリムは苦々しげに言った。


 又三郎はしばらくの間、目を閉じて思案していた。その内容は又三郎自身、到底乗り気にはなれないものだったのだが、他にこれといった案も思い浮かばない。


 やがて短く息を吐くと、又三郎は二人に向かって言った。


「それがしに少々、考えがある。イレーヌ殿達には多少の我慢をしてもらう必要があるが、聞いてもらえるだろうか」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の夜、又三郎はジェラールの屋敷を訪れていた。


 屋敷の場所については、カリムがミネルバから聞いていたのですぐに分かった。モーファの中心市街地から少し離れたところにある、非常に大きな屋敷だった。


 豪奢ごうしゃな造りの門には、かんぬきが掛けられていた。又三郎がしばらくの間、無言でその門を揺さぶり続けていると、屋敷の玄関から数人の男達が姿を現した。


「てめぇ、こんな夜中に一体何の用だ」


 資産家の跡継ぎの屋敷の使用人というには、余りにも品が無く柄が悪い男達だった。


「それがしはジェラール殿に用がある。ミシェルの件で、と言えば分かってもらえることだろう」


 又三郎の言葉に、男達はねめつけるような視線を向けてきたが、そのうちの一人が屋敷の中へと姿を消し、しばらくして戻ってくると門を開けて顎をしゃくった。


「ジェラールの旦那は、お前に会って下さるそうだ。入れ」


 又三郎は悠然と構えて屋敷の中に入った。玄関の扉をくぐり、西洋の鎧兜が並ぶホールを抜けて、屋敷の中の奥まったところにある一室へと招き入れられる。


 屋敷のあちらこちらにあかりがともされていて、まるで真昼のような明るさだ。そして屋敷の中に並ぶ調度品や装飾品の数々は、そのいずれもが素人目に見ても値の張りそうな逸品ばかりだった。


 又三郎が、煌々と灯りが輝く部屋のソファに腰かけて待っていると、しばらくして四十過ぎぐらいの痩せぎすの男が、数人の男達を連れて部屋に入って来た。


「私がジェラールだ。貴様、何やら私に用があるということらしいが?」


 ジェラールが又三郎の向かいのソファに腰かけて、不気味なほどに薄い笑みを浮かべた。


 頬骨がこけて、やや落ちくぼんだ眼窩の奥にある瞳が暗い光を放っている。お世辞にも品行方正な人相とは言えそうになく、油断のならない狡猾そうな目をした男だった。


夜分やぶんに突然の訪問については、先に一言詫びを入れておく。では、単刀直入に話をしよう」


 又三郎は懐から、一通の封書を取り出してジェラールに渡した。


「これは一体何だ?」


「早速中身を確かめられるがよろしかろう」


 ジェラールは封緘を開け、中に入っていた書状の内容に目を通すと、しばらくの間沈黙した。


「貴様……これは一体、どういうことだ?」


「見てのとおりだ。よって今後は一切、イレーヌ殿とミシェル殿には手出しを無用にしてもらおう」


 又三郎がジェラールに渡した書状には、ミシェルが今後、ジェラールが兄から相続した遺産にまつわる一切の請求を行わないという一文が記されていた。当然ながらこの書状をミシェル自身が作成できるはずもなく、書状には代筆者としてイレーヌの名前が、ミシェルの名前と共にそれぞれ本名で記されていた。


 ジェラールは書状を目の前のテーブルの上に放り出すと、酷薄な笑みを浮かべた。


「街の衛士達も含めて、何やら色々と勘違いをされているようだが、私にはこのような書状を渡される覚えもなければ、ミシェルとかいう子供のことにも覚えが無い」


「この期に及んで、そのようなを切るのは止めていただこうか。それがし、ミシェル殿が子供であるなどといった覚えはないのだが」


 又三郎の言葉に、ジェラールが一瞬鼻白んだ。


「まあ、いい……仮に貴様らのが全て本当のことだったとして、このような書状を一枚渡されただけで私が、はいそうですかと頷くとでも思っているのか?」


「頷いてもらわなければ、貴公にとって不幸な出来事が起こるだろうな」


 そう言って静かに目を伏せた又三郎を、ジェラールは鼻で笑った。


「貴様、この私を脅そうとでもいうのか」


 ジェラールが一つ手を叩くと、突然部屋の扉が開き、十人程の男達がどかどかとなだれ込んできた。そのいずれもが、鈍く光る刃物を手にしていた。


 それでも平然とたたずむ又三郎の姿に、ジェラールが微かな感嘆の声を上げた。


「ほう……貴様、まだそのように構えていられるとは、なかなか肝が据わっている」


「……」


「たった一人でこの屋敷にやってきたその度胸も、褒めてやろう。だが貴様、この期に及んでまさか、この屋敷から無事に帰れるとは思っているまいな」


 唇の端を歪めて笑ったジェラールに、再び又三郎が目を向けた。


「貴公にまつわる噂話が、仮に全て本当のことだったとして、おそらくこの街の表も裏も知っているであろう貴公ならば、街に吹く風の噂を聞くことも少なくはあるまい」


 ジェラールは一瞬、怪訝な顔をしたが、目の前に座る又三郎の姿を見て、やがて小さなうめき声をあげた。


「そのおかしな恰好に、二本の湾曲した腰の剣……貴様、『人斬り』か?」


「これは僥倖ぎょうこう。貴公の耳にも、それがしの噂は届いていたようだ」


 又三郎の目が、すっと細くなった。


「ついでに言えば貴公、『街道の鬼』にまつわる噂話は聞いたことがおありかな」


「……」


「あるいは、街を出たところで斬られた凶状持ちの男の噂であるとか」


「貴様、己の噂話の自慢でもしにきたのか」


 ジェラールの背筋に冷たい何かが走り、己の言葉が舌の根で絡まりそうになる。だが、大勢の部下達の手前、ジェラールはそれらを表に出す訳にはいかなかった。


「まさか。それに、誰がつけたかも分からんような渾名あだなに、愛着なども持ってはおらぬ」


 又三郎は立ち上がり、暗い目でジェラールを見下ろした。誰かがごくりと、唾を飲み込む音が聞こえた。


「さて、そろそろ返事を聞かせてもらおう。この話、受けるのか、受けないのか」


「受けないと言えば、どうする?」


 額に脂汗をにじませたジェラールが、辛うじて唇の端を歪ませて笑った。


 だが、ジェラールはすぐに己の発した言葉を後悔した。自身のそれを遥かに上回る冷酷な笑みが、己を見下ろしていた。


「そうだな……それがしもイレーヌ殿に用心棒として雇われた身だ。雇い主の身の安全のためには、この屋敷に屍山血河しざんけつがを築くのも致し方あるまいて」


「……」


「ああそれと、今後それがしにまつわる一切の詮索なども止めていただこう。もしもそのような気配を感じた時には、


 ジェラールはしばらくの間、無言で又三郎を睨み付けていたが、ややあって大きく息を吐いた。


「いいだろう。貴様の話、全て了承した」


 又三郎の目から、暗い光が消えた。


「それは良かった。なに、約束さえ違えなければ、わざわざ貴公から書状までいただこうなどとはミシェル殿達も思っておらぬ。それがしも含めて、互いに生涯の不干渉を貫くのが一番だ」


 そう言い残すと、又三郎は部屋の扉の方へと歩みを進めた。その行く手を、刃物を手にした男達の群れが遮った。


「それがしは、そなた達には用がないのだが……そちらにも用が無ければ、そこを通してもらいたい」


 又三郎の雰囲気に気圧けおされた男達が、反射的に手にした刃物を構えた。


「お前達の遊びに付き合ってやれるほど、は世慣れてはいない。道を開けろ」


 又三郎の低い声に、男達が思わず後ずさった。そこに出来た隙間を抜けて部屋の扉を開け、その場を立ち去ろうとした又三郎の背中に向かって、誰かが叫んだ。


「畜生め、覚えていやがれ!」


 又三郎はふと立ち止まって振り返り、笑った。


「覚えていやがれ、か……良い台詞だな。また次に、生きて出会えることが前提の言葉だ」


 静かに扉の閉まる音がして、ジェラールの後ろに控えていた男のうちの一人がようやく口を開いた。


「旦那、本当にあれで良かったんですかい?」


 ジェラールは己の心の内を悟られないよう、努めて冷静な声で答えた。


「あの男、そこいらの半端な破落戸ごろつきなどとは訳が違う……あれは噂通り、本物の『人斬り』だ。あんな奴を相手にしていては、全くもってこちらの割に合わない」

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