Episode 10-7 秘められた出自
「ここから先は、くれぐれも他言無用で頼みますよ」
又三郎とカリムが共に頷いたのを見て、イレーヌは仕方が無いといった表情で言葉を続けた。
「私の娘は若い頃、モーファのとある資産家の男と関係を持っていたことがあったのです。私は正直、その男のことが嫌いでしたが、娘は親の言うことを聞かず、三十路も半ばの男相手に夢中になって、火遊びを続けていました」
又三郎が、やや気まずそうに頬を掻いた。隣に座っていたカリムは、小さく鼻を鳴らす。
「そうこうしているうちに、娘がその男の子供を身ごもってしまいましてね……相手の男は娘とのことを、遊び程度にしか思っていなかったようで。いともあっさりと捨てられてしまいましたよ、ええ」
「その時の子供が、ミシェル殿という訳か」
又三郎の問いに、イレーヌが頷いた。
「それからはもう、大変でしたよ。気が付いた時には娘のお腹も大きくなっていたし、どうすることも出来なくて……その男からは多少の手切れ金みたいなものを渡されましたが、私はそれを断って娘を家に連れ戻し、もっと気立ての良い婿を探して嫁がせました」
「それはそれで、また随分と荒っぽい処置をされたものだな。娘御やアンタの夫は、それで何も言わなかったのか?」
やや無遠慮なカリムの問いに、イレーヌは自嘲気味に笑った。
「その頃にはもう、夫は病で亡くなっていましたからね。娘も気落ちしていた頃でしたし、私が女手一つで娘の面倒をみるしかなかったのです」
「そうか……それは悪いことを聞いたな。済まん」
そう言って頭を下げたカリムだったが、イレーヌは特に気にした様子でもなかった。
「幸いなことに、親戚筋で以前から娘のことを好いてくれていた人がいました。私だって、生まれてくるミシェルに罪がある訳でもないし、父親がいないというのは流石に可哀想だと思ったんですよ。その辺りの事情を話すと、その人は二つ返事で娘との結婚を承諾してくれました。それがミシェルの、血のつながっていない父でした」
「過去の経緯については、なかなかに気の毒な話だったと思うが……その話が今回のことと、どのように結びつくのだろうか?」
又三郎が首を傾げると、イレーヌは小さく鼻を鳴らして笑った。
「ここからが、この話の本題でしてね……その資産家の男、ミシェルの実の父親が、三年ほど前に事故で亡くなったんですよ。男は放蕩三昧で妻も娶らず、両親も早くに亡くなっていたので、男の遺産は全て男の弟が継ぐことになったのです」
「ひょっとすると、今回の黒幕はその弟ということだろうか」
又三郎の言葉に、イレーヌが頷いた。
「これも私の勘ですけれどね。ただ、その弟というのが兄よりも更に酷いどら息子で、若い頃から街の悪い連中ともつながりがあったのです」
「それは」
「その弟が、きっとどこかでミシェルのことを聞きつけたのでしょう……自分の兄に血のつながった隠し子がいると知って、その子供に兄から継いだ遺産を横取りされるとでも思ったんじゃないかと」
「それで、その弟がミシェル殿を殺そうとして、結果的にはそなたの娘夫婦を殺した、と」
恐る恐る尋ねた又三郎に、イレーヌが薄ら笑いを浮かべた。
「何も証拠がありませんからね。これも全部、私の憶測ですよ」
「だが、仮にその憶測が正しかったとすれば、これまでの話の辻褄がだいたい合ってくる」
カリムが顎鬚を撫でながら、小さく息を吐いた。
「その確証を得るためには、賊がもう一度この屋敷を襲ってきた時に、何人かをふん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その二日後の夜、賊が再び屋敷を襲った。
大きな叫び声で、又三郎は目が覚めた。
カリムの背中を追うように駆け出した又三郎は、屋敷の一階に降りたところでちらりと
勝手口の扉には、当然ながら鍵が掛けられていた。だが、賊は乱暴にも扉を蹴破ろうとしていた。扉はぎしぎしとたわみ、扉が破られるか蝶番が外れるか、いずれにせよそう長くは持ちそうにない。
賊が破ろうとしていたのは、勝手口の扉だけではなかった。又三郎が先程通ってきた廊下の窓の格子も、外で大きくがたがたと揺れていた。その窓の前には、剣を抜いたカリムが闇に身を隠してうずくまっていた。
又三郎は再び悲鳴を上げている勝手口の扉に向き直り、小声でイレーヌに言った。
「ここはそれがしが引き受ける。イレーヌ殿は、早くミシェル殿の元へ」
イレーヌはがくがくと頷くと、転がるようにしてミシェルの部屋へと駆けていった。
それから間もなくして、とうとう勝手口の扉に大きな割れ目が入った。その割れ目から、ぬっと太い腕が突き出して、扉の鍵の辺りをまさぐっている。又三郎は刀の鯉口を切り、抜き撃ちでその腕を一刀のもとに切り落とした。
獣のような叫び声が、扉の向こうから聞こえた。又三郎は扉の鍵を開け、扉を蹴って庭に躍り出た。
寒空の下を月の光が照らす中、三人の覆面の男達の姿が見えた。二人が腕を斬られた男を助けようとしていたが、又三郎の姿を見ると斬られた仲間を放り出し、それぞれが又三郎に剣を向けた。
その時、廊下の窓が破られたのか、カリムの怒号と剣戟の音が右手の方から聞こえてきた。そちらの様子も気になったが、視線を向けるだけの余裕は又三郎には無かった。
一人の男が奇声を上げながら、剣を振りかざして飛びかかって来た。その剣を頭上で受けて、そのまま返す刀で男の胴を鋭く撃った。胴を切り裂かれた男は二、三歩たたらを踏み、唸り声を上げてそのまま地面に倒れた。
その直後、又三郎の背中を目がけてもう一人の男が、呪詛の言葉を発しながら斬りかかってきた。その一撃を又三郎はとっさに刀で受け止め、鍔迫り合いの状態になった。
男は荒い息を吐きながら、ぎらぎらと光る眼で又三郎を睨み付けてくる。思いのほか、男の力は強かった。又三郎は刀を返し、引き面打ちの要領で男の頭を目がけて峰撃ちを放つ。
だが、男はその一撃を器用に
この場にいる賊の全員を斬るか捕まえるかしなければ、イレーヌとミシェルが引き続き狙われることになる。又三郎は瞬時に追いすがり、男の背に向けて鋭い一撃を加えた。
肩口から背中にかけてを斬り割られた男は、派手な血しぶきを上げながらその場に倒れた。傷口は深く、身じろぎ一つしない男はおそらく即死だったのだろう。
その時、再び背後からの殺気を感じた又三郎は瞬時に振り返り、ほとんど無意識に、背後に迫った何かを素早い一撃で斬り上げた。
又三郎の背後に迫っていたのは、最初に腕を切り落とされた男だった。残ったもう一方の腕が、剣を握ったまま冬の夜空に舞っていた。
斬られた勢いで、両腕を失った男はうめき声を上げながら吹き飛ばされた。そのまま地面に尻もちをつき、仰向けに倒れる。どうやら両腕を斬られた痛みと突き飛ばされた衝撃で、気を失ったようだった。
ふと気が付くと、カリムが荒い息を吐きながら屋敷の勝手口に姿を見せていた。
「済まん。こっちは防ぐのに手一杯で、全員斬り殺してしまった。そちらはどうだ?」
そこで又三郎はようやく息をつき、血に濡れた刀で仰向けに倒れている両腕を失った男を示した。
「こちらも似たようなものだ。とりあえず息があるのは、こいつだけだ」
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