Episode 10-6 隠し事

 その二日後の夕刻、突然屋敷の庭から、イレーヌの叫び声が聞こえた。


 又三郎とカリムは自室を飛び出し、屋敷の庭へと走った。庭に出ると、顔を布で覆った数人の男達が、それぞれ短剣を手にして立っていた。


 叫び声の主であるイレーヌは、屋敷の壁を背にして、再び鋭い叫び声を発した。その背後には、声も出せずに身を震わせているミシェルの姿があった。


 又三郎達の姿を目にしたイレーヌが、すかさずミシェルの手を引いて駆け寄って来た。そしてイレーヌは、カリムの袖にしがみついて男達を指さした。


「は、早くこいつらを始末しておくれ」


「婆さん、邪魔だ。袖を離せ」


 カリムはやや苛立たしげにイレーヌを振りほどき、大きな声で叫んだ。


「貴様ら、一体何者だ」


 覆面の男達は少しの間、互いに目配せをしあっていたが、やがて素早く身を翻すと、あっという間にその場を逃げ出した。


 又三郎はイレーヌ達のことをカリムに任せ、勝手口の扉を蹴り開けて路地に飛び出した。薄暗闇の中で目を凝らすと、男達の背中が遠くに走り去っていくのが見えた。


 男達の逃げ足は思いのほか速く、又三郎は路地の出口まで追いかけたが、路地を出て通りに突き当たった時には、既にその姿は無かった。


 又三郎が屋敷に戻ると、カリムがイレーヌとミシェルをなだめているところだった。イレーヌは大声で泣きながらミシェルを抱いていたが、ミシェルの方は青い顔で震えたまま、一言も言葉を発しなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 カリムが一つ、咳ばらいをした。


「さて、婆さん。そろそろ包み隠さず話をしてもらわないと、な」


 ミシェルが自室で寝入った後、又三郎とカリムは屋敷の応接室でイレーヌと向き合っていた。


 賊が屋敷に侵入した時こそイレーヌは取り乱していたが、今はまるで何事もなかったかのように、すまし顔で又三郎達の前に座っていた。


「正直なところ、初めてこの屋敷に来た時には本当に怪しい者が来るのかと半信半疑だったが、こうして現に賊が屋敷に押し入ってきたところを見ると、何者かがこの屋敷を狙っていることは明らかだ」


 カリムが努めて重々しく言ったが、イレーヌの表情は変わらず、沈黙したままだった。


「あの時の状況から察するに、連中はミシェルを攫って身代金でも要求しようとしていたのだろうか……婆さん、あの連中は一体何者だ?」


「……」


「初めて儂らがこの屋敷に来た時には、何やら心当たりがあるようなことを言っておったではないか。それならば詳細をきちんと聞かせてもらわねば、我々の仕事も上手くいかん。隠し事をされたままでは困る」


 又三郎はカリムの隣で、沈黙を守っていた。こういう時には年長者であるカリムの方が、より説得力のある話が出来る。


 イレーヌはしばらくの間無言だったが、やがて言いにくそうに口を開いた。


「別に何かを隠していたって訳じゃないんですよ。ただ、狙われているというのは、ちょっとした勘のようなものだったのです。私だって正直、半信半疑だったのですから」


「隠し事がなかったというのは、嘘だろう」


 カリムが低く良く通る声で言った。


「儂らが聞いた話では、モーファの街の商家の隠居に、イレーヌという人物はいないということだった。となれば婆さん、アンタは一体何者なのか? それに、冒険者ギルドへ用心棒の依頼を出す時に、何故アンタはミシェルのことを話さなかったのだ?」


 カリムの問いに、イレーヌが小さく舌打ちした。そして、小声でぶつぶつとイザベラへの文句を言ってから、ようやく答えた。


「私が商家の隠居だっていうのは、本当のことですよ。ただ、理由があって名前を隠していたってだけで」


「その理由とは、一体何であろうか」


 ここで初めて、又三郎が口を挟んだ。カリムとイレーヌの会話が、やや険悪な雰囲気になってきたように見えたからだ。


 イレーヌは一つ、大きなため息をついた。


「あれからもう二年になりますかね……ミシェルの両親が、殺されたんですよ」


「誰に?」


「泥棒ですよ、泥棒」


 怪訝な顔をした又三郎に、イレーヌが忌々しげに言った。


「役人の話では、四、五人程の仕業だって言ってましたけれど、そりゃ酷いもんでしたよ。娘夫婦が殺されて、家じゅう引っかきまわされて」


「ふむ」


「ミシェルはたまたま、機転を利かせた父親に屋根裏へと押し込まれて無事だったんですがね。自分の目の前で両親を殺されて、そのショックで一切口がきけなくなったんですよ」


 イレーヌのその言葉に、又三郎はミシェルの心情を思い、思わず眉をひそめた。


 再びカリムが尋ねた。


「その時、アンタは一緒じゃなかったのかね」


「私はその時は、たまたま古い友人と旅に出ていたのです。旅から帰ってきたのは、騒ぎがあった次の日でしたよ」


「……」


「あの時はもう、とにかく無我夢中で、何とか事後を片付けた時には私も半病人みたいになっていましたけれど、そのあとすぐにこの屋敷へ引っ越してきたんですよ。ミシェルがあんまりにも怖がるから」


「アンタ達が名前を偽っていたのは、それが原因か?」


 カリムがそう言うと、イレーヌは僅かに頷いた。


「私もミシェルも、あんな目に遭うのはもう二度と御免でしたからね。名前を偽るぐらいのことはしても、別にばちは当たらないでしょう?」


 カリムは腕組みし、しばらくの間考え込んでから、言葉を続けた。


「今度のことは、その時の騒ぎと話がつながっているとアンタは思っているのかね?」


「それもただの勘ですよ」


 イレーヌは再び頷いた。


「私は前の泥棒の顔を見たわけじゃありませんからね、確かなことは言えませんよ。でも、最近になって妙に怪しい連中が、屋敷の周りをうろうろするようになりましたからね。そう考えたっておかしくはないでしょう?」


 その話を聞いて、又三郎とカリムは顔を見合わせた。続いてカリムが、今度はやや遠慮がちに尋ねた。


「二年前に娘夫婦の家を襲われた時、金などは盗られたのか?」


「お金? そりゃもちろん、一切合切全部持っていかれましたよ」


「ふむ……それではどうにも話の辻褄が合わんな」


 カリムがじろり、とイレーヌを見た。


「商家の屋敷に泥棒に入って、一切合切の金が盗まれたというのであれば、この屋敷にはもう金目のものが残っていないという話になろうが、実際に賊は再びやって来た」


「……」


「となると、考えられる理由は二つ。実はまだこの屋敷に金目のものがあるのか、あるいは以前の賊の狙いが、金目のもの以外の何かだったのか。金目のものがもう無いと分かっている屋敷に、再び忍び込むような馬鹿はおらぬだろう」


「おやまあ……ではきっと、新しい賊がやってきたのでしょうね」


 イレーヌが、けろりとした顔で言った。カリムの目つきが、やや険しくなった。


「では、再び聞こう。冒険者ギルドへ用心棒の依頼を出す時に、ミシェルのことを話さなかった理由は?」


「……」


「その理由を当ててみせようか。アンタは冒険者ギルドへ用心棒の依頼を出す時にも、ミシェルの存在を極力隠したかったのだろう」


 イレーヌは視線を逸らしたまま、沈黙を貫いていた。そこへカリムが、畳み掛けるように言った。


「となると、この屋敷が狙われる理由として一番考えられるのは、賊の狙いが金目のもの以外ということだ……おそらくは、ミシェルの命。違うか?」


 カリムの言葉に、イレーヌはしばらくの間無言で唇を噛んでいたが、ややあって諦めたようなため息をついた。

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