Episode 10-5 誤算

 それから十日ほどが、何事も無く過ぎた。


 ただ、「何事も無く」というのは怪しい者の姿を見かけなかったというだけで、万事が無事に過ぎていったという訳ではなかった。


 又三郎達にとっての第一の誤算は食事だったが、第二の誤算はイレーヌの人遣いの荒さだった。


 イレーヌが言うには、怪しい者達はきっと深夜に襲ってくるだろうとのことだった。そのため、又三郎達は朝までの間、必ず交代で見張りをするようにと、きつく言われていた。


 又三郎達が閉口したのは、イレーヌが時々深夜に部屋へとやってきては、又三郎達がきちんと見張りの為に起きているかどうかを確かめることだった。


「若い美女に忍んでこられるのであれば、それもまあ悪くはないのだが、あの婆さんに忍んでこられてもなぁ」


 カリムは冗談交じりにそう愚痴をこぼしていたが、イレーヌが部屋にやってくる足音を聞くたびに、又三郎とカリムは怪しい者が忍び込んできたのかと、つい身構える羽目になり、交代で眠っていても熟睡することなどは到底できなかった。


 だが、それでは朝になればようやくゆっくり眠れるのかと言えばそうではなく、朝食の支度と後片付けの都合があるから、毎朝決まった時間に食堂で朝食を摂れとイレーヌは言う。一日銅貨五枚の給金以外にも、粗食とはいえ胃袋を掴まれている二人にとっては、眠い目をこすりながら言うことを聞くほかはなかった。


 朝食の後は、屋敷の掃除や庭の手入れを言いつけられた。確かに、自分達の寝起きする部屋は自分達で掃除しろとは言われていたが、そのようなことまでを言いつけられるとは、又三郎達も思ってもいなかった。だが、やはり雇われの身であるということと、イレーヌの何とも言えない迫力に圧されて、二人は仕方なしに彼女の言いつけを聞いていた。


 そして、これらの仕事にしてもイレーヌは一切の手抜きを許さず、時折二人の働きの様子を見に来ては、ここが汚い、あそこが汚れているなどと注文を付けた。その余りの細かさに、カリムは陰でぶつぶつと文句を言っていた。


 食材の買い出しなども、イレーヌから言いつけられた。もっとも、この仕事についてはカリムが存外に不得手だったため、教会でいつも買い出しをしていた又三郎の役目になっていた。


 というのも、指定された食材などを、出来るだけ安く買って来いというのがイレーヌからの指示だったのだが、長らくずっと独り身の冒険者として暮らしてきたカリムにしてみれば、まず市場のどこへ買い出しに行けば良いのかすら分からないといった按配あんばいだったためだ。


 これらの雑務は全て、本来の依頼内容には無いものばかりだったが、イレーヌから「ただ何もせずに喰っちゃ寝をして、金が貰えると思われては困る」などと頭ごなしに言われては、又三郎もカリムもいつしか文句を言い返す機会を失っていた。


 それでも、午後になれば大抵の仕事が終わるため、二人は慢性的な睡眠不足と空腹感を午睡でごまかす生活を続けていた。午睡をすることにまでは、イレーヌも口うるさく言うことはなかった。


 依頼を受けた最初の時こそ、用心棒として屋敷で寝起きしていれば、安い給金とはいえ食事もついてくるからまあ良いかなどと思っていたが、又三郎のは全く外れていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「マタサブロウ、起きろ。少し話がある」


 部屋に戻ってきたカリムの言葉で、又三郎は午睡の夢の中から現実へと引き戻された。


 カリムは貴重な午睡の時間を削って、冒険者ギルドへと足を運んでいた。カリムが言う話とは、その結果報告についてだった。


「イザベラに今回の依頼について、再度話を聞いてきたのだが、正直あまり良い話ではなかった」


 生あくびをかみ殺しながらベッドから身を起こした又三郎に、カリムが声を潜めて言った。


「ひょっとしたら儂らは、あの婆さんに一杯喰わされているのかも知れん」


「はて、それは一体どういうことだろうか」


 ややいぶかしげな顔をした又三郎の問いに、カリムが腕組みして小さく唸った。


「当初のイザベラの話では、イレーヌは商家の隠居だということだったが、婆さんが冒険者ギルドに依頼を持ち込んだ時の様子があまりに怪しかったので、イザベラが後で調べてみたところ、ということだった」


 カリムの言葉に、又三郎は思わず眉をひそめた。


「では、イレーヌ殿は一体どこの誰なのだ?」


「分からん。それに、冒険者ギルドへ婆さんが依頼を持ち込んできた時には、あのミシェルとかいう子供の話は一切出てこなかったそうだ。だからイザベラも、今回の護衛の対象は婆さん一人だけだと思っていたらしい」


 扉の向こうで聞き耳を立てているかも知れないイレーヌを気にしてか、カリムは囁くように言った。


「こうなってくると、あの婆さんの名前が本名なのかどうかも怪しいところだ。ミシェルも含めてな」


「ふむ」


「冒険者ギルドとしては、相手方にきちんと連絡がついて金払いさえ問題がなければ、依頼主の名前が本名かどうかまでの確認はしないということで、今回の依頼の斡旋を引き受けたらしいのだが……何とも酷い話だとは思わんか」


 そう言って口をへの字に曲げたカリムに、又三郎はややあってから答えた。


「我々にとって一番の問題は、この屋敷を狙うという怪しい者が本当にいるのかどうかだと思うが」


「その点については、さっき儂が確認した」


 カリムの目つきが、急に鋭くなった。歴戦の冒険者の目だった。


「今しがた屋敷に戻ってきた時、裏の勝手口の隙間から中を覗いている男がいた。何とも目つきが険しい奴だった」


「それは確かでござるか」


 又三郎の問いに、カリムが頷いた。


「儂の視線に気が付くと、慌てて逃げて行った。あの婆さんの言う通り、何者かがこの屋敷を狙っている雰囲気は確かにあった」


 その言葉を聞いて、又三郎は危うく油断しかけていた己の心を引き締め直した。用心棒を引き受けておいて、依頼主をきちんと守れないようでは話にならない。誤算で人の命を失うのは、ナタリーの父ジェフの時の一度きりで十分だった。


 最後にカリムが言った。


「婆さんには色々と聞きたいことがあるが、とりあえず今のところは詮索するのをやめておこう。まずは目の前の仕事に専念せねばな」

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