Episode 10-4 古強者の末路
又三郎がカリムと二人掛かりで部屋の掃除をしていた時、ふと気が付くと隣の部屋に人の気配を感じた。
最初はそれほど気にしていなかったのだが、掃除を続けているうちに部屋の扉の隙間から、こちらを覗き込む目がちらりと見えた。流石に気になって又三郎が扉を開けようと近づくと、部屋の中を覗き込んでいた目がぱっと逃げ出した。
カリムが又三郎に尋ねた。
「どうした、マタサブロウ?」
「つい先程から、こちらの部屋を覗き込む目があった」
怪訝な顔をした又三郎に、カリムが首を傾げた。
「まさかそいつが、今回の怪しい者って訳ではないだろうが……この屋敷に住む、婆さん以外の誰かだろうか」
「であればよろしいのだが。一応、様子を見てこよう」
そう言って又三郎は一旦部屋を出た。人の気配は、やはり隣の部屋から感じた。
隣の部屋の扉を叩いてみたが、返事は無かった。幸い部屋の鍵はかかっていなかったので、又三郎はそっと扉を開けて中に入った。
部屋の中を見渡すと、これまた殺風景な部屋の片隅には、脅えた目をした男児がいた。歳の頃は十といったところか。先程こちらを覗いていた目と、同じ目だった。
「坊、そなたはこの屋敷の者で間違いないか」
イザベラやイレーヌからは特に何も聞かされてはいなかったが、想像したところイレーヌの孫といった辺りだろうと、又三郎は見当をつけた。
「それがしは、今日からこの屋敷の見張りをすることになった大江又三郎と申す。坊はイレーヌ殿の御令孫でよろしいのだろうか」
又三郎は努めてゆっくりと、優しく話をしたつもりだったが、目の前の男児は気の毒なほどにすっかり脅えた様子のまま、言葉を何も発しなかった。
「坊、名は何と申される」
「……」
「歳はいくつだ」
「……」
又三郎が何を聞いても、目の前の男児は震えるばかりで、何も答えなかった。
これは一体どうしたものかと思案していた時、不意に背後からイレーヌの声が響いた。
「ミシェル、早くこっちへいらっしゃい。冒険者なんかの側にいてはいけません」
イレーヌの言っていることはいささか癇に障ったが、その声音は思いのほか甘かった。イレーヌの言葉に、ミシェルと呼ばれた男児は脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
「マタサブロウ、ここはミシェルの部屋です。怪しい者が来た時にすぐに守ってもらえるよう、貴方達の部屋を隣にしましたが、あの子の身を守る時以外は、あの子には一切関わらないように」
イレーヌはぴしゃりとそう言うと、そのまま奥へと引っ込んでいった。又三郎が呆然としていたところに、怪訝な顔をしたカリムがやって来た。
「おいおい、一体何があったんだ」
「……いやはや、それがしにも一体、何が何だか」
又三郎は頬を掻き、カリムに苦笑してみせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふむ。そのミシェルとかいう男の子が、イレーヌの孫だろうということか」
その日の夕食を終え、与えられた部屋に戻った又三郎に、カリムが言った。
雇われ者として喰わせてもらっている手前、おおっぴらに文句は言えなかったが、出された夕食はかなり粗末なものだった。常日頃から粗食に慣れている又三郎は、そう気になるほどでもなかったが、カリムなどは最初、そのあまりの粗末さに唖然として、イレーヌの
「その辺りの話を、あの婆さんは全く話をしてくれなかったので、憶測の域を出ないのだが……まさか婆さんの子供などということはあるまい」
腕組みをして考え込んだ又三郎に、カリムが髪と同じ色の顎鬚をかきながら言った。
「その辺りのことも含めて、やはり一度イザベラに詳しい話を聞いてこよう。あの婆さんのこれまでの口振りでは、ある程度の事情はイザベラに話をしていたらしいしな」
それからカリムは、ごろりとベッドに身を横たえた。先程口にした夕食は、その内容もさることながら、大の男にはどうにも量が少なくもあったので、抱えた空きっ腹を何とかなだめようとしていたのかも知れない。
ベッドの側にあった燭台の炎が、一瞬ちらりと揺れた。
「ところでマタサブロウ、お主、今回の依頼を受けた経緯はどのようなものなのか。お主のその若さであれば、わざわざ独り身で
カリムに尋ねられた又三郎は、ややあってから答えた。
「それがしは故あって、この街を離れての依頼を受けることがほとんどままならぬ。
又三郎の問いに、カリムが小さく鼻を鳴らして笑った。
「儂もまあ、似たようなものだな。まだ若かった頃には仲間達と組んで、様々な依頼をこなしていたものだったが……この歳になってしまうと、なかなかそういった依頼に巡り合うことも出来なくてな」
「それはまた、どうして」
カリムはふと遠い目をして、じっと部屋の天井を見つめた。
「若い頃に一緒だった仲間達は皆、墓の下に眠っているか、身を固めて冒険者稼業から足を洗った。儂一人だけが、他に行くあてもなく、することもなく、ずるずると冒険者稼業を続けてきた。そうこうしているうちに、独りで受けられる仕事しかできないようになっていたって訳よ」
そう言って自嘲したカリムに、又三郎が再び尋ねた。
「カリム殿程の熟練の方であれば、仲間を探すことなど造作もないことでは?」
その言葉を聞いたカリムは、まるで己をあざ笑うかのようにくくっと喉を鳴らした。
「今時の若いもんはな、わざわざこんな年寄りと組んで仕事をしようなどとは思わぬものさ」
「はて、そのようなものでござろうか」
又三郎は、先日ロルフ達と共に救助に向かった若い冒険者達のことを思い出していた。若くて経験が浅い者達に、カリムのような熟練の冒険者が共にいれば、あのような惨劇を招くこともなかったのではないか。
カリムがごろりと身を動かし、ベッドの上で片肘をつきながら又三郎に顔を向けて苦笑した。
「同じように歳を喰った冒険者でも、
「古強者であれば勝ち方も、あるいは負けそうな時の挽回の仕方も、色々と心得ておられることだろう。ただ歳を経ているからと言って、そう馬鹿にしたものではないと思われるが」
生真面目な顔でそう言った又三郎に、カリムは初めて穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「そう言ってくれる者がいるというのは、なかなかありがたいものだな……だが、現実はそうではない。若い連中は若い者同士だけで夢を見て、年寄りのことなど一顧だにしないものさ。かく言う昔の自分達もそうだったから、今更文句を言えた義理ではないが」
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