Chapter8 古狼の矜持

Episode 10-1 ある雪の日に

 モーファの街の一角にある、共同墓地。


 辺りにうっすらと雪が降り積もる中、又三郎は一人佇んでいた。


 目の前にあるのは、まだ真新しい墓石だった。簡素な造りで、こじんまりとした墓石には、そこに眠る者の名前だけが刻まれている。生前の故人の人柄が偲ばれる、飾り気のないささやかなものだ。


「そなたがいなくなってから、もう四月ほどがたつ……月日が過ぎるのは、とても早いものだな」


 墓石に積もった雪をそっと払いのけ、手にしていた花束を墓前に供えた又三郎が呟いた。


 時刻はもうすぐ昼を過ぎようとしていたが、薄暗い曇り空の中、無数の小さな白い結晶がはらはらと舞い落ちている。又三郎が吐く息も、うっすらと白い。


「あの時そなたに教えられてから、己の在り方について考えることが多くなったような気がする……未だその答えには、辿りついていないが」


 又三郎は、墓の下に眠る娘ウェンリィと最後の別れ際に交わした言葉を思い出した。


 彼女が又三郎に伝えた最後の願いは、「大切に思う人を好きになって欲しい」だった。誰かを大切に思うことは出来ても、その相手を好きになるという感覚が、又三郎には未だ理解が出来ない。剣の道に生きる者として、あるいは士道に背くまじきものとして、今までずっと信じてきた己の在り方が、人としての感覚を歪ませているのかも知れない。


 無論、目前の相手が何かを語りかけてくれる訳でもなく、辺りはしんと静まり返っている。又三郎は静かに目を閉じ、黙祷した。


 それからどれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。又三郎が再び目を開けた時、少し離れたところに一人の人影が見えた。


 それは、又三郎にも面識がある人物だった。


「お久しぶりね、マタサブロウ」


 落ち着いた冬の装いを身にまとっていても、艶やかな雰囲気は変わらない――こちらへと歩み寄ってきたのは、娼館「夢の狭間亭」の一番人気の女、ジーナだった。


「いつもここに来てくれていたのは、やっぱり貴方だったのね……時々、誰も覚えのないお花が供えられていたから」


 静かに目礼する又三郎に、ジーナが濃褐色の瞳を輝かせて微笑んだ。彼女の言う通り又三郎は、毎月の月命日にはここへ足を運んでいた。


 彼女の手の中には、黄色い花束があった。又三郎の視線に気が付き、ジーナが微笑した。


「シンビジウムよ。今の時期に咲く花は、どうしても種類が限られてくるものよね」


 そう言いながら自らも墓前に花束を供えようとして、ジーナがふと呟いた。


「あら、この花は……ラッパスイセン?」


「それがしは無骨者ゆえ、手向けの花のことなどはてんで良く分からぬ。店にあったものの中でこれが一番美しいと思ったから、この花を選んでみた」


 しかつめらしい顔をした又三郎の言葉に、ジーナは小さく笑った。


「そう……マタサブロウ。貴方、花言葉って知ってる?」


「はな、ことば……?」


 不思議そうに首を捻った又三郎に、ジーナは苦笑した。


「花言葉というのは、その花の種類ごとに込められた意味のようなものなのだけれど」


「ふむ」


「黄色のシンビジウムの花言葉は、『誠実な愛情』と『飾らない心』。あの子に相応しいと思って、この花を選んでみたの」


 にこやかに笑うジーナの言葉で、又三郎は花言葉の意味をおおよそ理解した。


 そこでふと不安に駆られた又三郎が、恐る恐るジーナに尋ねた。


「では、それがしの選んだ……らっぱすいせん、だっただろうか。その花の花言葉とは?」


 ジーナは少しの間、じっと又三郎を見つめた。そして答えた。


「ラッパスイセンの花言葉は『尊敬』よ」


 ジーナの言葉に、又三郎は思わずほっとため息をついた。花言葉などというものは初めて知ったが、これからは人に花を贈る時には、花の選び方を十分に注意する必要があるだろう。


 そんな又三郎の様子に、ジーナが悪戯っぽく笑った。


「マタサブロウ、もし貴方が私に花を贈ってくれるとしたら、どんな花を選んでくださるかしら?」


 落ち着いた雰囲気を漂わせる妖艶な美女が、その一瞬だけ華やかな町娘のような顔になった。それはまるで、静かな雪景色の中に一輪の花が咲いたかのようで、その印象の落差に又三郎はやや面喰ったが、しばらく考えた後に答えた。


「牡丹、だろうか」


 ジーナが一瞬怪訝な顔をして、それから困ったような笑みを浮かべた。


「ボタン? ごめんなさい、私の知らない花かしらね」


「それはそうかも知れない。こことは違う、それがしの生まれた国で咲いていた花だ」


 京の建仁寺けんにんじは、牡丹の名所として知られていた。新選組の隊務がなかった日に、ぶらりと出かけて見に行ったことがあった。また、又三郎の生まれ故郷である会津のすぐ近くには、薬種商である伊藤祐倫ゆうりんが摂津から取り寄せた牡丹の咲き乱れる名高い庭園があった。


 又三郎の記憶が正しければ、牡丹は支那が原産地の初夏に咲く花だ。一輪でも十分な存在感があり、艶やかで優美な花姿が、彼女に相応しいのではないかと思った。


「私はてっきり他の男の人達のように、赤い薔薇をいただけるものかと思っていたのだけれど」


 そう言って含み笑いを浮かべるジーナに、赤い薔薇の花言葉を聞く勇気は、又三郎には無かった。


 そもそも彼女の人気の程からすれば、おそらくは常日頃より多くの男達から花の贈り物を受け取っていることだろう。今更一介の武辺者からの花の贈り物が増えたところで、それにどれほどの意味があるのだろうか。


「相済まぬが、この後で少し用事があるため、それがしはこれにて失礼させていただく。今日はなかなかによく冷える。そなたも風邪など引かれぬよう、十分に用心なされよ」


 姿勢を正して会釈をした又三郎に、ジーナは微笑みながら頷いた。


「ええ、ありがとう。今日は貴方に会えて嬉しかったわ。また会えるかしら」


 ジーナは何かを訴えかけるかのように、じっと又三郎の目を見つめた。深く澄んだ湖水のような色をたたえた又三郎の目が、少しだけ笑った。


「そうだな。機会があれば、いずれまた」


 そう言い残して立ち去っていく又三郎の背中に、ジーナは拗ねるように小さく呟いた。


「……本当に、酷い人ね」


 ジーナは又三郎には敢えて教えなかった、ラッパスイセンのもう一つの花言葉のことを思った。その花言葉は――「報われぬ恋」。

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