Episode 9-6 遭遇

 洞窟の中は、大人三人が何とか並んで進むことが出来るぐらいの広さだった。頭上の高さは二けん(約三メートル半)も無いぐらいで、何とか刀を振るうことができるかといったところだ。


 二間ほど先に飛ばした光の精霊ウィスプを先頭に、剣を抜いたロルフが歩く。そのすぐ後ろには光の精霊を操るシャーリィが、短剣を構えながら続いている。そして一番最後を又三郎が、頭陀袋を肩に背負いながら後方を警戒しつつ歩いていた。


 洞窟の中はじめじめとしていて、生き物の糞尿の匂いや腐臭が立ち込めていた。歩いているとあちらこちらに、何かの生き物の骨のようなものが散らばって見える。時々後ろを振り返るシャーリィの顔が、露骨に歪んで見えた。


 洞窟の奥の方からは、おそらく小鬼ゴブリンのものと思われる声と、微かにすすり泣く女の声が響いていた。


「このような闇の中で、小鬼達はどうやって暮らしているのだろうか」


 又三郎が呟くと、前を向いたままのシャーリィがささやくような声で答えた。


「小鬼達も、私と同じように夜目が効くのよ。光の精霊を呼び出したのは、貴方達人間が闇の中で目が効かないから。不便なものよね、人間って」


 やがて三人は、二股に分かれた分岐点に差し掛かった。右側の裂け目の方がやや広く、そちらの奥の方から微かな声が聞こえてくる。


「さぁて、どっちに行ったものかね」


 先頭に立つロルフが、小さく唸った。シャーリィの長い耳が、微かに動いた。


「声が聞こえてくるのは右側なんだから、当然右でしょう?」


「そりゃまあ、そうなんだが……左側を放っておいて、挟み撃ちにされるってのは嫌だな」


 シャーリィの囁きに、ロルフは渋い顔で頷く。


「こういう時にいつもの面子めんつが揃っていたら、二手に分かれるって手も取れたんだがなぁ……まあ、愚痴っていても始まらねぇ。マタサブロウ、後ろの警戒を怠るなよ」


 又三郎が無言で頷くのを確認してから、ロルフは右側の通路へと足を進めた。


 そこからしばらく進んだところで、不意にロルフが右手を上げて歩みを止めた。


「シャーリィ……念のためだ。明かりをもう一つ、マタサブロウの方へ」


 シャーリィは頷くと、小さな声で何事かを呟いた。ロルフの前を飛んでいた光球が二つに分かれて、そのうちの一つが又三郎の背後に浮かんだ。


 その直後、通路の前後から小さな足音がいくつも聞こえてきた。きぃきぃという、何かの鳴き声のようなものも複数混じっている。


「マタサブロウ、剣を抜け! おいでなさったぞ!」


 ロルフが叫んだ瞬間、三人の前後から何匹もの小鬼の群れが襲い掛かってきた。


 肩に背負っていた頭陀袋を地面に投げ出した又三郎は、最初に飛びかかって来た小鬼を抜き撃ちで上下に両断した。短剣を手にしたまま両断された小鬼は、つんざくような叫び声を上げながらその場で絶命した。


 その後に続く小鬼達に向けて、又三郎は二度三度と刀を振るう。相手の身体が小さいことも相まって、一太刀ごとに小鬼の身体が上下左右に両断されていった。


 又三郎の背後では、前方から襲ってきた小鬼の群れをロルフが蹴散らしていた。こちらも又三郎と同じく、無造作にも見える太刀筋で、まるで草でも刈るかのように小鬼達の死骸を積み重ねていく。


 二人の間ではシャーリィが、二人が戦いやすいように光の精霊を操っていた。そのおかげもあって、又三郎も刀を振るう上で不便を感じることはほとんど無かった。


「マタサブロウ、片っ端から斬って捨てろ! 一匹たりとも逃すな!」


 ロルフの声に、又三郎は後方へと歩みを進めて、群がり襲ってくる小鬼を順番に斬っていく。だが、小鬼達の群れの更に後方に、粗末な弓矢を構えた二匹の小鬼の姿が見えた。


 目の前にいる粗末な短剣を構えた小鬼三匹を仕留めないことには、弓矢を構える小鬼を斬ることが出来ない。このままでは下手をすると、すぐ後ろにいるシャーリィに矢が当たる可能性も考えられた。


 又三郎は腹をくくって、まずは目の前の小鬼三匹を始末した。弓矢を構えた小鬼に向かおうとしたところで、小鬼達の弓から矢が放たれた。


 一本の矢は、辛うじて刀で斬り落とした。だが、もう一本の矢は避けようがなかった。その矢が当たらないことを祈りつつ、又三郎は素早く前へと間合いを詰める。


 だが、避けきれなかった矢は又三郎の身体に当たる直前で、突然あらぬ方向へと進路を変え、洞窟の岩肌に当たって落ちた。


 何が起こったのかは理解出来なかったが、又三郎は勢いのままに弓矢を構えた小鬼二匹を、瞬く間に斬って捨てた。その更に後ろからは、小鬼の気配は感じられなかった。


 時を同じくして前方でも、ロルフが襲い掛かってきた小鬼達を全て斬り倒し、剣に付いた血を拭っている姿が見えた。


「こっちはだいたい片付いたぞ。マタサブロウ、そっちはどうだ?」


「こちらも特に問題は無い。襲い掛かってきた小鬼は、全て斬った」


 懐から懐紙を取り出して刀身についた血を拭う又三郎に、シャーリィが思わず感嘆の声を上げた。


「ロルフの方は全く心配していなかったけれど、マタサブロウ……貴方、こんなに狭い場所で、よくあんな器用に剣を振るっていたものね」


「狭い場所での斬り合いには慣れている。ここはまだ広い方だ」


 新選組での御用改めの時には、不逞浪士を相手に京の狭い家屋の中での斬り合いを強いられることもあった。その時のことに比べれば、この洞窟の中は存分に刀を振るうことが出来た。


「それよりも、先程は飛んできた矢が急に逸れていったが、あれは一体何だったのだろうか?」


 首を傾げた又三郎に、シャーリィが得意げに笑った。


「あれは風の精霊シルフの力を借りた風壁ウィンドシールドよ。持続時間が短くて威力も弱いけれども、飛んできた矢をらすぐらいのことは出来るの」


 そう言って彼女が差し出した左の拳には、小さな緑色の宝石が嵌められた銀色の指輪が光っていた。


「で、これが風の精霊の力を封じておくことが出来る指輪。この指輪があれば、自然の風が吹かない建物や洞窟の中でも、一度だけ風の精霊の力を借りることが出来るってわけ」


「あれもまた、シャーリィ殿の技なのか……なるほど、これは大したものだ」


 この技を借りることが出来ていれば、自分は淀千両松で命を落とすこともなかったのかも知れない――又三郎がぼんやりとそんなことを考えているうちに、ロルフが又三郎の方へと近寄って来た。


「一つ、二つ、三つ……俺もあっちで十匹ちょいぐらいは斬ったが、マタサブロウ、お前もまぁ良く斬ったもんだな」


 辺りに漂う小鬼達の血の匂いに顔をしかめながら、ロルフが言った。


「こちらで斬ったものと、ロルフ殿が斬ったものとを合わせると、おおよそ二十匹を軽く超えている。小鬼の群れというのは、だいたいどの程度のものなのだろうか」


 又三郎の問いに、ロルフは小さく肩をすくめた。


「さあて、ねぇ……ここにいる群れの規模がどれぐらいのものなのかは分からんが、あらかた始末はし終えたものと思いたいところだな」


 又三郎は、戦闘の前に投げ捨てた頭陀袋を拾い上げた。頭陀袋は小鬼の血と汚泥にまみれていて、又三郎は思わず渋面を作ったが、付着した泥を出来るだけ払い落とし、再び肩へと担いだ。

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