Episode 9-7 惨劇

 前進を再開した三人は、やがて大きく開けた広間のような場所に出た。ところどころに小さな水たまりがあり、足場の状態はあまり良くない。


 目の当たりにした光景に、又三郎は思わず顔をしかめた。地面のあちこちに転がっているのは、破れた衣服や何かのガラクタ、そしておそらくは人骨と思われる骨の数々。そして奥の方には、横たわる白い何かの姿が見えた。


 最初に見えたのは、上半身だけの姿になった、小鬼ゴブリン達に喰い散らかされたのであろう若い男の死体だった。喉笛を食いちぎられ、内臓は辺りに引きずり出され、頭皮は半分ぐらいが剥がれてしまっている。首には星が二つ刻まれた認識票が下げられていた。おそらくはこの者が、小鬼退治を引き受けた冒険者達の一人なのだろう。


 もう一人、冒険者のものと思われる死体が転がっていたが、こちらはもうほとんど骨だけになっていた。死体の近くには、引きちぎられた認識票が転がっていた。


 人間の死体などは見慣れていたつもりだったが、又三郎は喉元にこみあげてくるものをこらえるのに必死だった。


「まあ、無残なもんだよな……依頼に失敗した冒険者の末路なんてもんはよ」


 軽くこめかみを押さえながら、ロルフが呟くように言った。


「かと言って、生き残っていれば良いのかって言えばそうでもないってのが、これまたひでぇ話でな」


 ロルフが顎をしゃくったその先には、四人の若い女達が力なく横たわっていた。全員が全裸で、泥と血と何かの体液らしきものにまみれていた。既に言葉を発する気力も体力も失っているようで、かすかなすすり泣きの声だけが洞窟の中に響いている。虚ろな目は、ぼんやりと虚空を見つめていた。


 又三郎は愕然となった。一体これは何なのか。


 ややあって、ロルフがため息をついた。


「言っただろう……小鬼共に敗れたら、男は餌で女は苗床だって。連中は他の種族の女を利用して繁殖するからな。だから、小鬼共は基本的にさらった女を殺すことはしない」


「いや、しかし……これは到底、人の所業とは言えぬだろう」


 絞り出すような又三郎の声に、ロルフが小さく鼻を鳴らした。


「ああそうさ、あいつらは人じゃない。人の道理なんざ、最初から通用しない相手だ」


 シャーリィは又三郎が下げていた頭陀袋を受け取ると、周囲を警戒しながらも女達の元へと駆け寄っていった。そして、彼女が頭陀袋の中から取り出したのは、水が入ったいくつかの革袋と、女達の身体を覆うための外套だった。


「今回シャーリィを連れてきた理由の最後が、これさ。この役目ばっかりは、俺達が出る幕じゃない」


「ロルフ、又三郎、ちょっとこっちに来て」


 ロルフの言葉を、途中でシャーリィが遮った。ロルフの表情に、軽い緊張の色が浮かんだ。


「どうしたシャーリィ、何かあったか?」


「この子、脇腹にかなり深い傷があるんだけれど……どうやら毒が塗られた短剣か何かで刺されたみたい。傷口が既に腐り始めているし、たぶん毒が全身に回っていると思う」


 暗闇の中なので良く分からないが、言われてみればこの娘一人だけが、全身の肌の色が変色しているように見えた。


 沈痛な面持ちのシャーリィに、ロルフが小さく舌打ちした。


「ここにクラウスがいてくれりゃ、法術で手当の施しようもあったんだろうがな。今の俺達だけじゃ、到底この娘を助けることは出来ん」


 おそらくクラウスというのは、以前又三郎が冒険者ギルドで見かけた、ロルフ達の仲間の一人である僧侶プリーストの男のことを言っているのだろう。僧侶であれば、神の奇跡と呼ばれる法術を扱うことが出来ると、以前ティナから聞いたことがあった。


「では一体、どうするのか」


 又三郎の問いに、ロルフが微かに表情を歪めた。


「これ以上、この娘を苦しませ続ける訳にもいかんだろう」


 頬に涙の跡を残したその娘は、仰向けのまま、何かを訴えるようにぱくぱくと力なく口を動かしていた。ぼんやりとした視線の先には、ロルフの剣があった。


 ロルフはしばらくの間無言だったが、やがて腰の剣を引き抜き、一突きで娘の心臓を刺し貫いた。


 娘の身体が一瞬痙攣し、そのまま動かなくなった。又三郎は余りにも酸鼻極まる光景に、思わず目を背けた。


 同時に、又三郎は小鬼達に対する憎悪と怒りを禁じ得なかった。もちろん人間の中にも、女を攫い暴行を加える者はいる。だが、今目の前にしている光景は、余りにも凄惨の度が過ぎた。怪我を負い毒に侵された女を集団でなぶりものにするなど、とても正気の沙汰とは思えない。


 ロルフは剣を鞘に戻すと、娘の首に下げられていた認識票を一枚引きちぎり、懐にしまい込んだ。それから頭陀袋の中を漁って、細長い形をした厚手の大きな袋を二枚、又三郎に投げて寄越した。


「マタサブロウ、そっちの二人の遺体を、それぞれその袋に入れてやってくれ。こっちの娘は、俺の方で片づける」


「この袋は、遺体を回収するためのものか」


 憂鬱そうに呟いた又三郎に、ロルフが頷いた。


「ああ、そうだ……っていっても、まだ生きている三人を外に連れ出す方が先だがな」


 その時、又三郎達が通ってきた通路の方から、大きな咆哮が響き渡った。その咆哮を耳にした女達が、皆一斉に身体を震わせ始めた。


「嫌、嫌、お願い、もう乱暴はしないで……」


 ガタガタと身体を震わせていた娘が、側にいた又三郎に這い寄り、又三郎のそでを強く掴んだ。


 何事が起きたのかと思った又三郎は、やや緊張した面持ちで自分達が通ってきた通路の方を見ていたが、やがてそこから巨大な小鬼が一匹、姿を現した。


 その姿を見たシャーリィが、思わず息を飲んだ。


「あれは、大型種ホブ!」


 大型種と呼ばれた小鬼は、背丈は長身のロルフよりもまだ頭一つ分ぐらい背が高く、腕の太さも胴周りの太さも、まるでいつかに出会った大坂相撲の力士のようだ。小鬼というには、余りにも大きな体躯をしていた。


 大型種の濁った色の大きな目がぎょろりと動いて、こちらを見ている。笑っているのか、大きく割けた口の両端が牙をむいてつり上がり、そこから汚らわしい涎が幾筋も垂れていた。


「なるほど……こいつが今回の依頼をしくじった原因って訳か」


 ロルフが再び腰の剣を抜こうとしたが、その足元に倒れていた女が、震える身体でロルフにしがみついた。シャーリィは自分の身体を盾にして、依然横たわったままの娘をかばおうとしている。


 又三郎の袖を掴んでいた娘の歯の根が、ガチガチと音を立てていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……もう痛いのは嫌、怖いのは嫌、辛いのは嫌。お願い、助けて、助けて」


 目の前の大型種に、余程酷い目に遭わされたのだろう。娘の虚ろな瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。


 又三郎は袖を掴んで震える娘の手に触れると、押し殺した声で言った。


「大丈夫だ……任せろ」


 又三郎はゆっくりと娘の手を引きはがし、腰の刀を抜いて正眼に構えた。震える娘は呆然と、その背中を見つめていた。


 恐慌状態に陥って自分にしがみつく女を振りほどこうとしながら、ロルフが叫んだ。


「待て、マタサブロウ! そいつは今のお前の手には余る相手だ!」


 今日初めて小鬼を相手にした冒険者が相手をするには、膂力が桁違いなのが大型種だった。いくら又三郎の剣の腕が立つとはいえ、小鬼のように一朝一夕で倒せる相手ではない。


 又三郎は肩越しに振り返り、言った。


「手出しは無用だ。こいつはが殺す」


 その余りにも鋭い眼光に、シャーリィは思わず身震いした。以前に一度だけ見たことのある、暗い人斬りの目――歴戦の冒険者である彼女は、流石に恐怖で身動きすら出来ないといったようなことにはならなかったが、それでもただ固唾を飲んで又三郎の様子を見守るしかなかった。


 ロルフもまた、又三郎が放つ強烈な威圧感に一瞬息を飲んだ。だが、身体にしがみついた女を何とか振りほどくと、大型種に向かって駆け出した。


 それよりも先に、又三郎が素早く間合いを詰めて、大型種の喉元を目がけて鋭い突きを放った。


 だが、大型種の身のこなしは思いのほか素早く、又三郎の渾身の突きを身体を捻って躱し、その切っ先は大型種の左脇腹を浅く掠めるだけに終わる。


 大型種が唇の両端を醜くつり上げながら、又三郎の突きをかわす為に振り上げた左手に力を込め、その手にした巨大な棍棒を振り下ろそうとした。その一撃を受けては、たとえ甲冑を身にまとった者でも無事では済まないことだろう。


 大型種の目が、にたりと笑ったように見えた。


「くそっ、間に合えよっ!」


 ロルフが全身の発条を使って跳躍し、大型種の喉元へ追い打ちの突きを入れようとした。「疾風」の二つ名にふさわしい、風のように素早い動きだった。


 それよりも先に又三郎が、外された突きをそのまま左横薙ぎの動作へと変えた。大きく踏み出した右足はそのままに、大型種の胸の前で上半身を鋭く、力強く捻った。


 又三郎の身体の、どこにそのような膂力があったのか――大型種の身体は胸の辺りで上下に両断され、大型種の上半身がどうっと地面に落ちた。下半身はしばらくの間、その場に立ち尽くしていたが、やがて膝を折り、そのまま前に倒れ込んだ。


 その余りにも凄まじい光景に、シャーリィが小さく息を飲み、ロルフの動きが止まった。


 大型種の返り血を浴びた又三郎が、闇の中でゆらりと振り返った。光の精霊ウィスプの輝きを受けて、又三郎の目がぎらりと光った。


 ややあって、又三郎がぼそりと言った。


「安心しろ、もう大丈夫だ」


 又三郎の袖を握って震えていた娘は、その場で気を失って倒れた。

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