エピローグ

Episode 7-1 真意のありか

 又三郎が教会に戻ってから、数日がたった。


 その日は朝から、良く晴れた日だった。秋の気配も色濃く、風が随分と涼しくなっていた。そろそろ衣替えが必要な時期だろう。


 教会の庭ではナタリーとティナが、洗い終えた洗濯物を順番に干しているところだった。外での水仕事が少しずつ辛くなり始める時期に差し掛かっていて、二人とも長袖をまくって白い腕を見せていた。


「あら、マタさん。何かご用ですか?」


 ナタリーが、彼女の元へとやってくる又三郎の姿に気付いて、洗濯物を干す手を止め、軽く首を傾げた。ティナは早々に何かを勘付いたのか、ナタリーの背後で意味ありげな笑みを浮かべながら又三郎を見ている。


 又三郎は一つ咳ばらいをして、手にしていた紙の包みをナタリーに差し出した。


「その、何だ……以前ティナ殿から聞いたのだが、今日はナタリー殿が生まれた日であるそうだな。これはその、ちょっとした祝いの品だ」


 女に贈り物をするというのは、何とも慣れないものだな――又三郎は心の中で呟いた。


 ナタリーは突然のことで、しばらくの間呆気に取られていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。


「私にプレゼントを、いただけるのですか? マタさん、ありがとうございます」


「ナタリー姉、ちょっとここで開けて見せてよ」


 いかにも興味深そうな顔で、横にいたティナがナタリーに言った。ナタリーは言われるがままに、その場で紙の包みを解いた。


「あら、とっても素敵なストール」


「へぇ……マタさんにしちゃ、随分とセンスがいいじゃん?」


 何気ないティナの言葉に、又三郎は胸中に微かな鈍痛を感じたが、かろうじてそれを顔には出さずに済んだ。


「とっても嬉しいです、マタさん。大事にしますね」


 そう言ってストールを胸に抱きしめたナタリーの姿が、いつかの風景を又三郎に思い起こさせた。またほんの少し、胸の奥が痛んだ。


 それでも、贈り物を喜んでもらえたのは何よりだった。ほっと胸を撫で下ろすと共に、又三郎は胸中でウェンリィに感謝した。


 かたわらにいたティナが、二人に聞こえるような声で言った。


「プレゼントを貰ったら、何かお返しの品が必要だよねぇ」


 そしてティナは、何事かをぼそぼそとナタリーに耳打ちした。ナタリーの顔が、まるで突然火が付いたかのように、みるみる耳まで真っ赤になった。


 一体何を話していたのだろうか――又三郎は二人の様子をいぶかしんだ。


「実はアタシからも、ナタリー姉に渡したいものがあるんだよね。ちょっと部屋に行って取ってくるね」


 そう言い残すと、ティナは風のような素早さでその場を去って行った。


 その場には、又三郎とナタリーの二人だけが取り残された。少しの間、沈黙が続いた。


「……あの、えっと、マタさん?」


「何だろうか」


 渡すべきものは何とか渡せたので、又三郎は既に平静を取り戻していた。


 ナタリーが、ほんのりと頬を染めたまま、ためらいがちに続けた。


「さっきあの子ティナが言ったように、プレゼントを貰った人は、それをくれた人にお礼のお返しをするのが習わしなのですが」


「ふむ、そのようなものか」


 いわゆる贈答という奴だな、と又三郎は思った。又三郎のいた世界では、誕生日を祝うという風習は無かったが、贈り物を受けた側が返礼をするというのは、ごく一般的なことだった。


「それで、その……マタさん、少しの間だけ、目をつぶっていてもらえますか?」


「目を?」


 又三郎は怪訝な顔をしたが、言われるがままに黙って目を瞑った。


 しばらくして、又三郎の頬に、そっと柔らかい感触が触れた。微かな甘い香りが、又三郎の鼻腔をくすぐった。


「ナタリー殿、何を」


 慌てて目を開けた又三郎がそう言いかけた時には、ナタリーは真っ赤な顔のまま、慌ててその場を走り去っていた。


 呆然と立ち尽くす又三郎の元に、ナタリーと入れ替わりで、頭の後ろで手を組んだティナがニヤニヤと笑いながら戻ってきた。


「あーあー、ナタリー姉もこういうことには全然免疫が無いもんねぇ。まあ、しょうがないか」


「ティナ殿、これは一体どういうことか?」


 やや狼狽気味の又三郎に、ティナが呆れたように言った。


「あのさぁ、マタさん……確かにアタシ、ナタリー姉に誕生日のプレゼントをあげたら喜ぶよって言ったけれどさ」


「確かにそう言った」


「プレゼントの品物って、お花とかお菓子ぐらいの軽い内容のもので良かったんだよ? それを、いきなりストールなんか渡しちゃって」


「それが、どうかしたのか?」


 呆然とする又三郎を見て、ティナが苦笑しながら被りを振った。


「男の人がアクセサリーとか身に着ける衣装とかを女へのプレゼントで送るのは、相手が恋人か奥さんの時って相場が決まってるじゃん? マタさん、そんなことも知らなかったの?」


「なっ……」


「それに、ストールのプレゼントの意味は『あなたに首ったけ』……場合によっては『一晩を共にしたい』って意味もあるからね」


 ティナの言葉に、又三郎は思わず絶句した。又三郎にしてみれば、今回の贈り物について、ナタリーの生まれた日を祝うこと以上の意味などは知る由も無かった。


 そして、ウェンリィが贈り物としてこの品物を又三郎に勧めたこと、又三郎がウェンリィにストールを送った時の彼女の反応のこと――それらの意味を思い返し、又三郎は小さく唸った。


「まあ、マタさんにあんな気の利いたものが選べるとは思えないし、ねぇ……おおかた夜の街のお姉さんに担がれたクチなんじゃないの?」


 非常に痛いところを突かれた又三郎は、返す言葉も無かった。


「ナタリー姉も最初はそのことに気が付いてなかったみたいだから、アタシに言わせりゃまあ、どっちもどっちって感じだけれど」


「……」


「ちなみに、さっきのお返しの意味、知りたい?」


 小悪魔のような笑みを浮かべたティナに、又三郎が小さく呻いた。


「いや、今それを聞くのは止めておく」


 又三郎の反応を見て、ティナが腹を抱えて笑い出した。


 気まずくなった又三郎は、教会の庭に生えている一本の木に目を向けた。そこに、小さく舌を出して笑うウェンリィの姿が見えたような気がした。

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