Episode 6-12 豺狼と剣狼

 そろそろ夜が明ける頃だった。辺りには、珍しくうっすらと朝もやが掛かっていた。


 男は建物の影を伝って息を潜めながら、隣町へと続く街道を目指していた。


 とある屋敷で押し込み強盗を働いてから三週間近くもの間、男はモーファの街中をあちこち逃げ回っていたが、いよいよ街の衛士達の追求の目が厳しくなってきた。街の中ではもうこれ以上、男が逃げ隠れ出来る場所は無い。


 男が盗みを働いた時に顔を見られた娘については、一度は娘がいる娼館まで客を装って忍び込み殺そうとしたが、店の用心棒に阻まれた。それからしばらくの間は気が気でなかったが、幸いにしてその娘を先日、白昼の路上で見かけたため、ようやく口封じを果たすことが出来た。


 自分の顔を知られている人間が、娼館にまだ何人か残っている可能性は高かったが、これ以上この街に居続けることは出来そうにない。後は街を出て、ほとぼりが冷めるまでただひたすらに逃げ続けるだけだ。


 結果的に街を出ることになるのであれば、顔を見られた娘を殺したのは余計なことだったのかも知れない。押し込み強盗の罪に、殺人の余罪を増やしただけだ。だが、それを今更言ってみたところでどうしようもない。


 背後に迫る衛士達の気配を感じながらも、男は、ようやく街の外れにある街道へとたどり着いた。


 これまでの衛士達の動きにかすかな違和感を感じてはいたが、ここまで来れば衛士達も、これ以上追ってくるようなことはない。ほとんど何の準備もせずに街を飛び出すことになってしまったが、数日間を何とかしのげば隣町へと辿り着くことが出来る。男は思わず安堵のため息をつくと、態度を一転してぶらりぶらりと街道を進んでいく。


 その男の眼前に、朝もやの中から現れた影がゆらりと立ちはだかった。


「右目から頬にかけて長い傷があって、細面でやや猫背気味の男……なるほど、ウェンリィ殿が言っていた通りだ」


 影がぼそりと呟いた。


「あん? 何だ、てめぇ?」


 男はやや緊張した面持ちで、腰の短剣を抜いた。ここは街を出た街道上で、何が起こるか分からない場所だ。


「怪我をしたくなかったら、俺に近寄るな」


 短剣をちらつかせ、男は低く唸るように言ったが、相手は全く意に介さないように男の前へと進み出る。


 男のこめかみを、冷たい汗が一筋伝った。やがて短剣を握る手が、ぶるぶると震え出した。朝もやの中でわずかに揺れる影の姿に、背筋が凍りつきそうな感覚すら覚える。男は思わず叫んだ。


「おいてめぇ! 俺はもう、人を一人殺してきているんだっ! 今更もう一人殺すぐらい、どうってことねえんだ」


 ぞ、という言葉を、男は最後まで言うことが出来なかった。朝もやの中に白刃が煌めき、目の前にいた相手の影が、突然ぐらりと傾いて見えた。


 抜き打ちで逆袈裟に斬られた男は、自分の身に起こったことを認識する暇も無く、その場にどうっ、と倒れて絶命した。


 倒れた男の服の端で刀身についた血を拭い、刀を鞘に納めた影――又三郎が呟いた。


「そうだな……今更人一人を斬ることぐらい、どうということはない」

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