Episode 6-11 流血の代償

 次の日、ウェンリィが死んだ。


 昼を過ぎた頃、食事も取らず部屋のベッドに身体を横たえたままだった又三郎は、ただぼんやりと天井を見つめていたが、娼館の中が突然ざわざわと騒がしくなった。何事かと思って身を起こした又三郎の耳に、ウェンリィの訃報が飛び込んできた。


 店のあちらこちらで、女達が集まって嗚咽を漏らしていた。又三郎には何が起こっているのかが全く分からず、そのうちの一人の女を捕まえて、ようやくその事情を知ることが出来た。


 女の話では、朝から使いに出かけていたウェンリィがその道中で何者かに襲われ、殺害されたのだという。にわかには信じがたい話だった。


 又三郎はふと、昨夜のウェンリィとのやり取りを思い出す。


 彼女の甘い香りと、柔らかい身体の暖かさが、まだ感触として生々しく残っていた。突然ウェンリィが死んだと言われても、又三郎にはまるで実感が湧かなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の晩、又三郎は娼館の中の一室、ターシャの部屋に呼び出された。


 娼館の表には、臨時休業の札が掛けられていた。建物のあちらこちらから、今も女達のすすり泣く声が漏れ聞こえてくる。


 又三郎を呼び出したターシャは、しばらくの間無言だった。


「実は一つ、アンタに黙っていたことがあるんだよ」


 どれぐらいの時間がたっただろうか。大きなソファに腰かけたターシャが、静かに口を開いた。


「ウェンリィは……あの子はね、ある男につけ狙われていたんだ」


 又三郎にとって、初耳の話だった。


「ある日の晩、とある場所へ使いに出した時に、押し込み強盗の現場に出くわしちまったらしくてね。その時に、あの子は犯人達の顔を見ちまったんだ」


「それは」


 絶句する又三郎に、ターシャが続けた。


「三人いた犯人のうち、二人は街の衛士が捕らえたんだけれど、残りの一人がまだ逃げたままだった。そして、その一人と思わしき男が、うちの店に客のふりをして現れて、あの子の口を封じようと襲ってきた。それをうちの用心棒が、大怪我を負いながらも何とか防いで追い返したのが、アンタを雇うようになったことの始まりさ」


 その話を聞いて、又三郎は自分がハモンドに呼ばれて、今回の仕事を依頼されたことの意味がようやく分かった気がした。事の真相は、ハモンドが口にしていたよりもずっと深刻なものだった。


「このことを知っているのは、亡くなったウェンリィを除けばアタシとハモンドだけさ。くれぐれも他言無用だよ」


 そう言うと、ターシャは机の上に置いてあった煙管の先に火をつけ、紫煙を吐き出した。


「本当のことを言えば、アンタをあの子専属の護衛として雇いたかった。でも、事の真相が外に漏れたら、店の客足も遠のくだろうし、何よりも店の子達を不安がらせることになる。だからアンタを臨時の新しい用心棒として雇い入れて、アンタの世話役にあの子を付けた」


「……」


「今日あの子を使いに出したのは、完全にアタシの油断だったよ。たまたま他に手の空いている子がいなくってね。まさか白昼堂々と襲われるなんて、思ってもいなかった」


 又三郎にしてみれば、そういった事情を知らなかったことが酷く悔やまれた。事情を知ってさえいれば、ウェンリィに同行してその身を守ることぐらいは容易に出来たはずだった。


 昨夜のこともあって、ウェンリィとは朝から顔を合わせづらかった――もしも彼女が出かける前に、何か一言でも言葉を交わしていれば、あるいはこのような事態には至らなかったのかも知れない。又三郎の胸中に、強い後悔の念がよぎった。


「あの子はね……あんな死に方をするような子じゃなかったんだよ。とても気立ての良い、優しい子だった。アタシにとっちゃ、実の娘みたいなもんだったさ」


 堪え切れなくなったターシャが、目頭を押さえて嗚咽を漏らした。沈痛な空気が、又三郎には何ともいたたまれなかった。


 しばらくの間、又三郎はじっと目を閉じていたが、やがて静かに言った。


「それで、が呼ばれた理由は?」


 まさかウェンリィを偲ぶ話をするためだけに、呼ばれたという訳ではないのだろう――又三郎の中にいるが、そう告げていた。


「ここから先は、アンタを一人の男と見込んでの話だからね」


 ようやく目尻を拭ったターシャが、いつもの目で又三郎を射抜くように見た。


「今からもう三月ほど前になるのかね……街で一時いっとき噂になった『人斬り』の話だよ」


 ターシャは小さく鼻をすすると、再びゆっくりと紫煙を吸い込んだ。又三郎は無言のまま、視線を床に落としていた。


「そいつは妙な身なりをした変わった男で、街のはずれにある教会を襲った無法者三人を、瞬く間に斬って捨てたって話さ。恐ろしく腕が立つって、もっぱらの噂だった」


 又三郎は顔を上げた。目の前のターシャの表情が、酷く歪んで見えた。


「アタシはあの子を殺した男が、憎くて憎くてたまらない。この手で自ら殺してやらなくちゃ、気が済まないぐらいに」


 ターシャは手にしていた煙管を、強く握りしめた。みしり、と小さな音がした。


「街の衛士がヤツを捕まえるまで、ただ待っているなんて出来ない。かと言って、こいつは街の冒険者なんかをあてに出来る話じゃない」


 ターシャがじろり、と又三郎を見据えた。


「アタシが持っているもの、ありったけ全部使って協力するよ……その『人斬り』の男、まだもう一人ぐらい、人を斬ることは出来ないものかね?」

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