Episode 6-8 迷い
「ウェンリィ殿、少し相談に乗っていただきたいことがあるのだが」
又三郎がそうウェンリィに声を掛けたのは、「夢の狭間亭」で働き始めてから二週間ほどがたった夜のことだった。
「なぁに、マタさん。急に改まっちゃって」
夜の賄いの食器を下げに来たウェンリィが、朗らかに笑った。その夜も店は繁盛していたようで、遠くの方から賑やかな男女の笑い声などが聞こえてくる。窓の外に見える、真向いの建物の窓から漏れる灯の数も、いつもより少し多かった。
又三郎は、慎重に言葉を選びながら言った。
「ウェンリィ殿は、もしも何か贈り物をされるとしたら、一体何が欲しい?」
ウェンリィが、何とも意外そうな顔をした。
「えっ、何? 私に何かプレゼントしてくれるの?」
「あ、いや、変な気を持たせたのなら申し訳ない……実は、それがしが日頃世話になっている者達の中に、もう少ししたら誕生日というものを迎える娘御が一人おってな」
「夢の狭間亭」で働くようになってから、まだ一度も教会に足を運んだことはない。だが、今はまだティナが教会にいるはずなので、特段これといった心配などはしていなかった。
ナタリーは今回の仕事について、まだ怒っているのだろうか……又三郎はふと、そんなことを思った。
又三郎のその言葉を聞いて、ウェンリィはようやく得心がいったという表情を浮かべた。
「ははーん、さてはその子が、マタさんの良い人なのね。だからマタさん、お店の子達にも全然見向きもしなかったんだ」
「あ、いや、別にそういう訳では」
慌てて言葉を続けようとした又三郎を、ウェンリィは右手の人差し指を振って
「別に隠したりしなくたっていいって。いいんじゃない? マタさんのそういう一途なと、こ、ろ」
又三郎は何やら気まずくなって、思わず頭を掻いた。女の好みは女に聞いた方が早いと思ったのだが、どうやら相談する相手を間違えたのかも知れない。
その様子をウェンリィは笑って見ていたが、しばらくすると形の良い顎に手を当てて小さく唸った。
「でも、うーん……そうねぇ。ちなみにその子、歳はいくつぐらいなの?」
「ウェンリィ殿と、そう変わらないぐらいだろうか」
「ふうん」
ウェンリィは少しの間考え込んだが、やがて柔らかい笑みを浮かべて言った。
「月並みな言葉になっちゃうけれど、気持ちがこもってさえいれば、何でも喜んでくれるんじゃないかな?」
「いや、そう申されてもな」
「あ、でもこれからだんだんと寒くなっていくから、冬用の暖かいストールとかはどうかな? 女の子は誰だってお洒落でいたいものだし、気軽に身に着けられるものは数があっても困らないと思うわよ」
又三郎が、不思議そうな顔で首をひねった。
「ウェンリィ殿、『すとーる』とは一体何だろうか?」
又三郎の言葉に、ウェンリィが思わず目を丸くした。
「ええっ。マタさん、ストールを知らないの……って、男の人だったら女物の衣類のことなんて分からないのかな」
そう言うとウェンリィは、ストールが首の回りに巻き付ける防寒具の一種であることを又三郎に教えた。
「ふむ、要は
「襟巻……ってマタさん、お洒落のことには全く興味がなさそう」
ウェンリィが呆れたように被りを振り、そして笑った。
「でもマタさんは、その子の事が好きなのね?」
「好きとか嫌いとか、そういったものではない」
ぶっきらぼうな口調で、又三郎は思ったことを口にした。
「だが、彼女には少しでも幸せになって欲しいとは思う」
若い身空で両親を亡くしながらも、今も教会で懸命に孤児達の世話をするナタリーを見ていると、つくづくそう思う。それが嘘偽りのない、又三郎の本心だった。
ウェンリィは少しの間黙っていたが、やがて小さくほほ笑んだ。
「何だか今夜は、いいお話が聞けて嬉しかったわ」
「何をまた、
怪訝な顔をした又三郎に、ウェンリィはやや伏し目がちに、視線を外しながら言った。
「何となく、なんだけれどね……マタさんって、他の誰にも興味を持たない人なのかなって思っていたの」
「……」
「まるでこの世界のどこにも、自分の居場所なんか無いって言いそうな、そんな感じ。ちょっと目を離すと、すぐどこかに消えていってしまいそう」
ウェンリィの言葉は、又三郎の胸の内を微かに
確かに彼女の言う通り、無貌の手によってこの世界に飛ばされてきて以来、又三郎はこの世界において、自分が常に「どこにも当てはまらない異物」のようなものであると思っていた。
己がこの世界でどう生きて、何をしていくのか――そのようなものが未だ見出せずにいたのは、紛れもない事実だった。
無言のままの又三郎に、ウェンリィが続けた。
「だから、このお店の誰が声を掛けても、見向きもしなかったのかなって……でも、マタさんにはちゃんと、帰れる場所があるみたいで良かった。それに、私のことを頼ってくれて、ちょっと嬉しかった」
ウェンリィは、真っすぐに又三郎の目を見た。
初めて見た時から、とても綺麗な目をしていると思っていた。まるで深く澄んだ湖のような目――でも、どことなく悲しげな目。
ウェンリィが、にっこりと笑った。
「だからマタさん、せいぜいその子のことを大事にしてあげてね。きっとその子も、マタさんのことを大事に思ってくれているはずよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます